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6/18/2011

Skyline

スカイライン 征服(☆)


自分のVFX工房ができることの見本市にはなっている。つまり、業界向けのデモンストレーションだな。が、商品としては成立していないレベル。バカにしながら笑って楽しむことすらも難しい、短いはずの上映時間がひたすら苦痛に感じられる、近年稀にみるゴミ映画である。本作に比べたら、悪名高き『バトルフィールド・アース』だって可愛げがあるだけマシだろう。

まあ、さもありなん、監督は『エイリアンVSプレデター』という最高の素材を与えられて、これまた鑑賞が苦痛になるレベルの続編をつくちゃったストラウス兄弟だもんな。

L.A.を舞台に、パーティのために高層マンションのペントハウスに集まっていた人々が、為す術も無く異星人の地球侵略を目撃する3日間。あー、コンセプトだけだと、インディペンデンス・デイのクローバーフィールド化されたバージョンみたいな感じ。

しかし、クローバーフィールド程度の「見せ方」の工夫があるわけではない。エキストラを使えない制約ゆえか、非常事態におけるパニックを見せるシーンもない。限られた、魅力のかけらもない登場人物たちが、ペントハウス→屋上→地下駐車場を無駄にいったりきたりしているだけで、お話しの工夫もなにもない。いくら世界の終りを目撃する映画だと言ったって、必死のサバイヴァルくらいするだろうよ。この映画のような状況下で、高い建物の上層部に留まろうとする理由が理解出来ない。やる気がないにもほどがある。制約を逆手にとった面白い展開や見せ方を考えるのがクリエーターの仕事ではないのだろうか。自分たちの都合に合わせて登場人物の行動や思考、行動範囲を限定するなど、もってのほかだ。

登場人物たちに、映画制作関係者がいる。ロボットかなにかの出てくる撮影云々の話をしているから、てっきりそれを伏線に、捕獲した異星人やその乗り物を手懐けて映画撮影を敢行するバカ展開を期待したけれど、当然、そういう気の利いたアイディアなんかあるわけもない。まあ、最後の最後に、登場人物の脳みそ食った異星人が狂って(思考を乗っ取られて?)、残された身重の妻を守るという超絶バカ展開が待っているのだが、で、それで面白いのか?そういうのを面白いと思っているのか?

こういうのを見ると、JJ.エイブラムズの企画力だったり、子飼いの監督の演出技術だったりはやはり並ではないなぁ、と感心せざるえを得ない。もっといえば、同じようにストーリーそのものが面白いわけでもなんでもない『宇宙戦争』で、(それゆえに割と広範に不評が聞かれたりもするのだが)、スピルバーグ御大が見せた演出力の非凡さというものに、改めて深い感動を覚える。

インディペンデントの予算規模で、白昼堂々、巨大宇宙船やらモンスターっぽいものやら機動兵器っぽいものが地球上を蹂躙するという絵面を作れるというのは、たしかに感心すべきものなのだろう。しかし、単にそれだけでは、ミニチュアの光学合成をしていた時代と違って、VFXのハードルは限り無く低くなっているという事実の再確認にしかならない。なにせ、あの『宇宙戦艦ヤマト』を、日本で実写映画にできてしまう時代なんだからさ。

結局、作り手個人の個性は失われるかもしれないが、ハリウッドというシステムは、このような駄作のために大金がつぎ込まれる事態を避けるための「リスク・マネジメント」なのだ。様々な脚本家が何度も何度も脚本を手直しし、「商品」としての最低限のクオリティを担保しようとする。(まあ、それでも失敗するときは失敗するのだが。)本作は、そういう規格化されたありきたりの商品ばかりを生み出すプロセスにすら、やはり価値があるものなのだと再認識させてくれたりもするのである。やれやれだね。

10/22/1999

Body Shots

ボディ・ショット(☆)

ニューラインの宣伝曰く、「60年代の卒業、70年代のサタデーナイト・フィーバー、80年代のブレックファスト・クラブのように時代を定義する作品がある・・そして、今。」

本当か?

正直にいって、この程度の作品に時代を、世代を定義されるのは迷惑至極なんだけどな。宣伝も困った末のハッタリなんだろう。時代を定義する作品を、限定マーケットで公開ってあり得ないもんな。

それはさておき、映画は現代を生きる20代の男女8人の、恋愛観やセックス観が交差する一夜の出来事を描いていくものである。ショーン・パトリック・フラナリー、ジェリー・オコネルらが共演。『アメリカン・ヒストリーX』が話題になったデイヴィッド・マッケンナの脚本である。ケーブル局が制作したTV映画『GIA』が話題になった、マイケル・クリストファーの劇場作品監督デビュー作。もともと脚本、役者としてTV中心に活躍していた人のようだ。

ショーン・パトリック扮する人物と恋人のところに、デートレイプされたといって取り乱した友人が現れるところで幕を明け、前日の夜に戻って男女8人4組が過ごした一夜を描いていく。ダンスフロアで強いカクテル「Body Shots」を交わす4組のカップル。終盤レイプの顛末が描かれ、その事件を乗り越えた前述のカップルのシーンで終わる。その間に登場人物がそれぞれカメラ目線でいろいろ語りかけてくる趣向だ。

スタイル自体は今となっては珍しくないが、統一感のある色彩設計やマーク・アイシャムのジャズが入ったけだるい音楽によって、まずまず見た目のスタイルとしてはまとまっている。

ただ、つまらないんだよ。カッコをつけたスタイルと、実はそれなりにヘヴィーで辛気くさい内容もあっているとは思えないし。

ハリウッド的なメインストリームから背を向けて、都会的で深刻でスタイリッシュなドラマを作ろうと志向すればするほど、つまらない映画ができあがる法則でもあるかのような気がしてくる。アンチ・ハリウッド的な意味で、こういうのを過度に褒める人もいるけど、それはなんか違うんじゃないか。

6/30/1999

Wild Wild West

ワイルド・ワイルド・ウェスト(☆)

南北戦争でも活躍した喧嘩っ早い早撃ちの名手と、変装が得意な発明家である連邦保安官が、大統領グラントの命を受けてマッド・サイエンティストの野望を阻止せんと活躍するというお話し。60年代のヒットTVシリーズのリメイク映画化で、主演の2人にウィル・スミスとケヴィン・クライン、悪役にケネス・ブラナーをキャスティング。製作・監督はウィル・スミス主演で大成功をおさめた『メン・イン・ブラック』のバリー・ソネンフェルドである。

この映画、実のところ、今年もっともカネのかかった大作ではあるが、これはまずいだろう。何をどう楽しんだら良いのか分からない。製作側の狙いは「コメディ」である。そこに最初の掛け違いがあったのではないか、と思う。試写で「コメディ」と認識してもらえずに追加撮影が発生したなどと伝え聞く。完成品は出来の悪いアクション・アドベンチャーであり、笑えないコメディなのである。

ソネンフェルド監督は、独特のオフビートなテンポで展開される笑いの感覚が特徴的な、「コメディ」の監督である。撮影監督あがりなので、洒落た小話を絵で見せて連ねていくような作品には向いているが、この人のスタイルからすれば、あまり大作には向かない人だと思っている。

そういう彼の笑いのセンスが、軽妙なウィル・スミスと、デッド・パンのトミー・リー・ジョーンズというコンビの妙、ジョークを連ねて次第に大掛かりにエスカレートしていくような脚本構造の妙で、化けたのが『メン・イン・ブラック』という作品だった。その奇跡を再現しようというのが本作だという狙いはわからんでもない。

しかし、本作でコンビを組む、ウィル・スミスとケヴィン・クライン、これがどうにも相性が悪い。ウィル・スミスがアクション・スターであれば、相方が軽妙に笑いを取ればいい。しかし、軽妙さが売り物のウィル・スミスの相棒として、ケヴィン・クラインがいくら達者な役者でも軽すぎて収まりがつかないのである。それなのに、この二人が競うようにボケまくる脚本ってのは、どこか根本から間違っているんじゃないかと思う。その上、リミッターの外れて躁状態のケネス・ブラナーが絡んでくるっていうのだから、もう、ワヤクチャである。

じゃあ、せめて話が面白いのかというと、そうではない。もともと、「コメディ」が狙いのこの映画では、面白いジョークを展開させるためにのみストーリーが存在する。それが裏目に出て、ストーリーそのものは面白くもなんともない。作り手の狙いとは違うのかもしれないが、サマー・ブロックバスターとしてのアクション・アドベンチャー的な要素を期待した観客は、あまりのことに憤然とすると思う。ある意味で、大ベテラン、エルマー・バーンスタインが書いたスコアだけが、どこか正攻法なウェスタン・アドベンチャーの香りがするのだが、本来、この正統派の音楽そのものが「ジョーク」になるっていうのがあるべき姿だったんだろうなぁ、と、想像する。

唯一の見所は、最終兵器として登場するジャイアント・スパイダーのデザインだろうか。これは結構な力作である。近代重工業的、インダストリアル・レトロフューチャー(?)とでも呼ぶしかない奇怪で複雑なメカニックが、これもまた蒸気機関のようなエネルギー源で8本脚を動かして歩く様はなかなかのもの。その動きにも愛嬌があるのがなかなかよい。でも、これって予告で見ちゃったしなぁ。

脚本の担当としてあまりにもたくさんの名前が連なっている映画は、経験的に云って大方が駄目映画であるが、この作品のクレジットはなかなか壮観だ。『ショート・サーキット』や『トレマーズ』のコンビ、ブレッド・マードック&SSウィルソンと、『ドク・ハリウッド』や『ロジャー・ラビット』のジェフリー・プライス&ピーターSシーマン。『プレデター』のジム&ジョン・トーマスが揃い踏み。こんなメンツを揃えて、何度も何度も書き直しがあったんだろう。そのうちに、企画のツボがどこにあるのやら、わからなくなってしまったんじゃないかね。

3/22/1999

The Mod Squad

The Mod Squad

刑務所行きを逃れる見返りに、潜入捜査をすることになる不良青年3人を主人公とした人気TVドラマ(1968-1973)の設定をリサイクルして映画化。日本でも「モッズ特捜隊」とかいうタイトルで一分が放映されたそうなのだけど、これは残念ながら見たことがない。今回は、主演にクレア・デ-ンズ、ジョバンニ・リビーシ、オマー・エップスをキャスティング。脚本・監督はこれが2本目のほぼ無名なスコット・シルバー。

不良青年たちが潜入捜査をさせられるところは一緒。ドラッグ取引と売春が横行するクラブに潜り込むのだが、捜査をすすめるうち、自分たちをリクルートして潜入捜査を依頼した刑事が、射殺されてしまう。どうやら、押収したドラッグの横長しが絡んでいるようだ。これにショックを受けた3人だったが、事件の真相を暴くため、自らの意思で行動を開始するという筋立て。

まあ、人気ドラマのリメイク企画で、ティーン・アイドルの活躍するアクション活劇を作る枠組みとしては悪くないんじゃないか、と思う。人気・実力共に抜群とまではいわないが、そこそこ知名度が高く、最近比較的目立っているキャストも揃った。

いや、しかしね。これだけの素材を与えられて、こんな映画にしかならないってのは、作り手は相当のヘボだね。監督は、脚本兼任なんだから言い訳はいいっこなしだ。

犯罪暦のある不良少年たちが潜入捜査に雇われるというのは、現実味はないが、いいんだ、そんなこと。「警察バッヂも拳銃ももたないが、警官の入り込めないところで素性を知られずに潜入捜査をするチーム」っていう設定を活かせる話を作れなかったのが敗因。

主演の3人のキャラクターも描けていない。紅一点のクレア・デーンズにはかつての恋人との再会と裏切り、ジョバンニ・リビシには彼を蔑んだ目で見つめる両親との葛藤などという思わせぶりな設定を用意しているが、物語にうまく絡めることができていない。

若者受けするスタイリッシュな作品にしたいという監督の意欲は空回り。これを見ると、ほら、さんざん馬鹿にされる「ミュージック・ビデオみたいなチャカチャカした映画」っていうのにも、それなりのセンスと技術がいるんだということが分かったよ。

11/25/1998

Very Bad Things

ベリー・バッド・ウェディング(☆)

幼馴染の男友達5人組。仲間の一人が美人と結婚をするというのでラスベガスに出かけてバチェラー・パーティと洒落こんだ。ラスベガスといえば、カジノ、ドラッグ、娼婦。さんざん「悪いこと」を楽しんでいた男連中だったが、仲間の一人が偶然娼婦を殺してしまったことでムードは一転。真っ青になった男たちは、妙に冷静に振舞う一人の男のリードで死体を砂漠に埋めて知らんふりを決め込むことにするが、それでコトは終わらなかった。

次々に意味のない殺人が起こる、ブラック・コメディである。TV『シカゴ・ホープ』の出演者であるピーター・バーグの脚本・監督デビュー作だという。そんな作品の割には出演者が豪華だ。クリスチャン・スレイター、ダニエル・スターン、ジーントリプル・ホーンに加え、今や旬といっていいキャメロン・ディアズが出演しているんだから。

しかし、なんとも困った映画である。いや、倫理的にどうかということを問うつもりはない。だいたい、、「悪い事をすれば報いがある」という、因果応報に則った話なのだから、倫理的におかしいというものではない。コメディとして死体が転がる様や、罰当たりな死体の扱いをする映画は数限りなくあるわけで、それをとやかくいうつもりもない。

ただ、映画としてのテンポが悪く、コメディとして笑えない上だけでなく、後味も悪いのだ。

こういう話の中で一番輝いてしまうのは、やはり、曲者クリスチャン・スレイターだ。スレイターはあのカルト・ヒット『ヘザーズ』のせいか、それともなんか勘違いしているとしか思えない私生活のせいか、アブナイ役が最高に似合う怪優になってしまった。5人の中で比較的冷静で、事態の収集に向けてリーダーシップを発揮する時、なんとも言えない不気味な迫力と格好良さを発揮する。

キャメロン・ディアズが演じているキャラクターは宣伝に反して本当に脇役。『メリ首』の思わぬ大ヒットで得したのは製作者たちだ。彼女の役は他のキャラクター同様全く自分勝手なんだけれども、クリスチャン・スレイターを退場させるに至るシークエンスで見せ場がある。もしかしたら、ここが映画の中で一番面白い。

もう一人巧いのはダニエル・スターン。さっさと精神的に崩壊していく男の役なんだが、いや、本当にうざったくてこの映画の登場人物ならずともさっさと殺してやろうか、という気分にさせられた。もちろん『ホーム・アローン』でもいいところをみせていたが、それにしても、本当はこんな映画にはもったいない実力の持ち主ではあろう。

最初の思いがけない殺人が次々に意味のない殺人を呼ぶという展開は、いってみればコーエン兄弟の『ファーゴ』なんかもそういう趣向だが、この作品はもっと毒々しいコメディを狙っていて、観客が笑えなくなるぎりぎりのところまで過激さを持っていこうとしたようだ。しかし、全てのネタが人殺しに落ちていくあたり、殺伐と云うよりはむしろ単調。「中途半端」に生々しい描写は、いっそマンガ的にするのか、スプラッター的に極端に弾けるか、どちらかに振り切るべきだっただろう。

10/16/1998

Practical Magic

プラクティカル・マジック(☆)

面白い作品に出会うためには、ともかく沢山の映画をみるしかない。沢山の映画を見るということは、山ほどのクズ映画を見るということに等しい。そして、これはそんなクズ映画の中でも、何をクズと呼べば良いのか確認するためには格好のテキストになるような作品じゃないかと思う次第である。

魔女の血筋にあたる姉妹を主人公に、成り行きで殺してしまった妹の暴力的な恋人をめぐってひと騒動という話である。主演はニコール・キッドマンとサンドラ・ブロック。ダイアン・ウィーストやアイダン・クイン、ストッカード・チャニングらが共演。原作つきの映画化作品で、監督は、俳優としても知られるグリフィン・ダン。ああ、「狼男アメリカン」ノ人ですね。

御伽噺風に始まって、コメディに向かう様相を呈するが、突然MTV調になったり、重いドラマになったりして、気がつくと中途半端なまま恋愛御伽噺として幕を閉じる。この作品の大きな問題と思われる第1のポイントは、これは一体何の映画なのか、軸足が定まっていないことではないだろうか。いや、簡単にジャンル分けされるのを拒む映画にも面白い作品はたくさんあるが、定番を外そうとした努力が裏目に出ているのが本作ではないだろうか。

望みもしないのに不思議な力を手にしてしまった姉妹が世の中に順応しようとするドラマならそういう話にすべきだし、軽い気持ちでその場しのぎの魔法を使ったらとんでもない騒動になるドタバタ・コメディならそういう話にすべきだ。いい男に飢えた姉妹が恋愛がらみで魔法を使って思いがけないしっぺがえしを食いつつも真実の愛を見つけるロマンティック・コメディならそれでいいし、別の魔法使いが現れてサイキック・ウォーズになるならそれも見たいと思う。

でもこの作品は、残念ながらそのどれにも当てはまらないのである。

第二の問題は物語の構成がなっていないこと。時間にして最初の10分を除く全てが拙い。本筋は行き掛かりで殺してしまったニコール・キッドマンの暴力的な恋人を、さすがにまずいと生きかえらせようとしたりしてうろたえるところから始まる。捜査官が現れサンドラが恋に落ちる。ここに到達するまでに映画がどれだけの時間を無駄な描写に費やしたことか。ろくでなし男によるドメスティック・ヴァイオレンスに苦しんでいるはずのニコール・キッドマンがプールサイドで楽しそうに男たちと戯れているサービスカットを撮る前に、描くべきことがあるだろう。

映画はサンドラの2人娘や母親、叔母さんまで登場させて賑やかこの上ないが、基本的には本筋と関係のない必要のないキャラクターたち。恋の本命アイダン・クインも、重要な役割を担うはずなのに、無駄なシーン、無駄な登場人物、無駄な描写のために割を食ってしまい、単なる脇役程度にしか見えない。映画の中で悪役を引き受けるはずのニコールの恋人も、死ぬまでの間にキャラクターを見せる機会が一度もない人形のような扱い。

こんな出鱈目も逆に珍しい。原作に遠慮して脚色に失敗したのか。それを検証するために原作を探しに行くエネルギーも湧いてこないので、ただただつまらない映画の代表としてのみ、記憶に留めることにする。

9/04/1998

Knock Off

ノック・オフ(☆)

舞台は中国返還を控えた1997、香港。ファッションデザイナーで実業家の主人公が、CIAとロシアン・マフィアとの対決に巻き込まれてしまう。主演、ジャン・クロード・ヴァンダム。監督は同じくヴァンダム主演の『ダブル・チーム(1997)』に引き続き、本作がハリウッド進出第2作となるツイ・ハーク。

さて。ヴァンダムといえば香港映画界からハリウッド進出への足がかりをつくろうとする監督たちの踏み台として使われてきたのはご存知のとおり。マーシャルアーツ的な体技ができるアクション俳優であること、金をかけずに量産されている手軽な軽量娯楽映画の主演俳優であることなどが、それに向いているということなのだろう。

記憶をたどれば、まず、サム・ライミが製作し、ジョン・ウーが監督した『ハード・ターゲット』があり、リンゴ・ラムが監督した『マキシマム・リスク』があった。これらの作品は、監督のベストとは言い難いが、「ヴァンダム映画」としては割と面白く見られる作品になっていたんじゃないか。

そこで、ツイ・ハークの前作『ダブル・チーム』があった。NBAのビッグスター、デニス・ロッドマンが出演し、悪役にミッキー・ロークというやつだ。これが面白くなくてな。デニス・ロッドマンへの遠慮だったんだろうか。

そういう意味では、雪辱戦、といっても良いのが本作である。脚本には『ダイ・ハード』にも参加していたスティーブン・E・デスーザも名を連ね、これで面白くなるんじゃないかと期待して映画館に向かうわけだが、いやはや。これは辛い。これ、香港方式で脚本なんかないままなんとなく作っちゃったんじゃなんじゃないのか?舞台も香港だし。

小型爆弾をアメリカに輸出しようとしているロシアのテロリスト、阻止しようとしているCIA、香港の警察、謎の女、香港名物のぱちもの(=Knock Off) 輸出業者などと、いろいろな要素が突っ込まれているが、なんだか交通整理が出来ていない。仕掛け作りに凝ったのはよいが、明確な敵がなかなかわからないので、単純なアクション映画という意味では盛り上がらない。

そもそもヴァンダムが実業家っていうのが何かの間違いだったんじゃないか。また、コメディリリーフとしてロブ・シュナイダーが出演しているのだが、この2人、全く息が合っていないし、演出もコメディに振りたいのか、どっちにもっていきたいのか良く分からないのでスッキリしない。

アクション・シークエンスは良く組みたてられている。歯切れの良い編集も心地よい。が、ヴァンダムに老化現象が見られるような気がしてならない。体の動きやアクションの切れは、撮影や編集にも助けられて、大きく見劣りするほどでもないのだけれど、顔は明らかにふけてきているんじゃないか。90年代初期に比べると美しさに陰りがみられ、スターとしての輝きが失われつつある。噂されるドラッグの影響なのかと勘ぐりたくもなる。

ハリウッド進出作が2本連続で煮ても焼いても食えない出来栄えとなってしまったツイ・ハーク。ツイ・ハークはこのままヴァンダムともにキャリアを終えるつもりでなければ、何か新しい打開策を考える必要があるのではないか。全盛期には、そのスタイルがもっともアメリカ進出に向いているように思われた彼が、なぜにこんな苦戦を強いられているのかが結構不思議である。

8/17/1998

The Avengers

アベンジャーズ(☆)

日本では『おしゃれ(秘)探偵』として紹介されていた1961年から8年間も放送された英国製TVシリーズのリメイク。(マーベルのアメコミヒーローものではない。)60年代テイストがたっぷりの(おそらく近未来の)ロンドンを舞台に、英国の秘密諜報員コンビが気象コントロール装置を悪用して世界(・・・といってもとりあえずロンドン)を混乱に陥れる狂人に立ち向かう。主演はレイフ・ファインズ、ウマ・サーマン。悪役にショーン・コネリー。『ナショナル・ランプーンズ・クリスマスバケーション』などを手がけたジェレマイア・チェチック監督作品である。

最初は監督が凡庸なだけかと思って観ていた。いくら凡作・駄作といったって、普通は限度があるものだ。こんなに魅力的なキャストを揃えておいて、それなりに金もかかっているんだろうし、ダメ映画ならダメ映画なりに、平凡な盛り上がりを見せ、普通に終わるんだろうと、タカをくくっていたのが間違いだった。気がついてみれば最後まで盛り上がらない1時間半。なんなんだ、これは。唯一の救いはこの壊滅的な退屈さが2時間以上持続しないということだけだ。

素材はいくらでも面白くなりそうなのである。

スリーピースをきちんと着こなし、ぴかぴかの靴と帽子に、ステッキ代わりの傘まで持ち歩き、汗ひとつかかないようないでたちでアクションをこなすエージェントなんて、絵的に見ただけでも面白そうではないか。それを完璧な美男子レイフ・ファインズが演じているのだ。

ヒロインだって、あんなに観るに耐えなかった『バットマン&ロビン』のなかでも一人だけ輝いていたウマ・サーマンだ。主人公とコンビを組むだけでなく、ボンデージに身を包んだ悪役と2役を演じているんだ。

さらに、あのショーン・コネリーだ。スコティッシュな衣装に身を包み、悪役として大芝居を打つ。

見たくなるでしょ?期待したくもなるでしょ? 

で、土台になるTVシリーズがあるんだから、ゼロから作るわけじゃない。

それなのに、なぜ、フィルムが1巻抜けているのかと思うくらい出鱈目な映画になってしまうのか。むちゃくちゃな話運び、意味もなく登場して退場する登場人物たち、伏線になりそうなのになんにもならないネタ。テレビ東京名物の「お昼のロードショー」枠向けに1時間20分に切り刻まれた3時間の映画ですら、もっとまともなんじゃないか。

さもありなん、テスト試写の不評を受けて、115分から89分にカットされたんだそうだ。「フィルム1巻抜けてんじゃねーの疑惑」もまんざらではない。どおりで単にダメな映画というレベルを超えて、めちゃくちゃな映画になってしまっているはずだ。

これがどんなにヒドいシロモノか、確認するため以外にはオススメできない。くれぐれも、覚悟なしに見ないようにすべきである。しかしまあ、こんな映画を撮ってしまうと、2度と映画を撮らせてもらえなくなっちゃうんじゃないのかね。(1998/8)

6/02/1998

Godzilla (U.S.)

GODZILLA ゴジラ(☆)

南太平洋で日本の漁船を襲った謎の巨大生物は、フランスの核実験で放射能を浴びて異常な進化を遂げた巨大な爬虫類であった。繁殖のため地球をどっちに回ったのか知らないがわざわざNYに上陸した怪物は米軍とチェイスを繰り広げながら街を破壊、マジソンスクエアガーデンに無数の卵を産みつける。

東宝から権利を買ったソニー・ピクチャーズが製作・監督に『インディペンデンス・デイ(ID4)』のコンビ、ディーン・デブリンとローランド・エメリッヒを起用して製作した米国版ゴジラ。音楽のデイヴィッド・アーノルドも「ID4」組である。出演はマシュー・ブロデリック、ジャン・レノら。

予測はできたことであるが、これが全くIQの低いガサツな作品なのである。別に日本のゴジラに思い入れもないので、<大イグアナNYに現る>だと思って観ていたのだが、この幼稚さ、低脳さ加減は並みじゃない。

まず怪物に魅力がない。「大怪獣が街を破壊する映画」を期待すると、「大イグアナを追いかけて、はずしたミサイルで人間が街を破壊してまわる映画」だったりするのも問題だが、なんといってもこのクリーチャーの、デザインのみならず、動きにすら全く愛敬がないのは致命的である。生物的にしたかったというが、人間の妊娠検査薬で繁殖期だと分かることが「生物的」なのではない。作り手に、この怪物に対する愛情が欠落しているのが一目瞭然である。

では人間さまの方はどうかというと、どいつもこいつも食われて死んでもらって構わないと感じるほど魅力に欠けるキャラクターばかりだ。口にする台詞ときたら幼稚園の学芸会。中学生でも書きそうなダイアローグ。囮につかう魚の山を見て"A lot of fish."というマシュー・ブロデリック。カットの切り替えに当たる演出の間は明らかに笑いを狙っているのだが、こんな台詞をきかされてどう反応したら良いのか。こんな役を演じるブロデリック自身が間抜けに見えてくるのが悲しい。

『ジュラシック・パーク』もどきだといわれることを承知で持ってきたにちがいない後半の見せ場だが、このあたりも観客が期待したはずの「怪獣映画」から完全に逸脱しており、敢えてモドキをやる意味がわからない。ID4で馬鹿にされた憂さ晴らしをしたいのか、有名な映画評論家(シスケル&エバート)に似たキャラクターを出してくるあたりの幼稚な負け惜しみ。

オープニングのシークエンスと、うなされた日本の漁師が巨大イグアナをゴジラと呼んだことからゴジラという名前になってしまうエピソードは素直に面白かったが、それ以外は全く見るべきところのない作品である。これならば、以前、ゴジラを撮ると噂されたが予算の折り合いがつかず降板したヤン・デボンが撮った『ツイスター』の方が、まだ怪獣映画の変種として面白い(というか、わりと好き)。(1998/6)