3/01/2008

L Change the WorLd

L Change the World(★)

映画好きで、ある程度どんなジャンルの映画も見るとはいえ、時間も体力も限られているわけであるから、なんでも片っ端から、というわけには行かない。そこで、明確ではないのだけれども、自分にとって優先順位の高い映画と低い映画を見分ける基準のようなものは持っているし、こういうのは見に行かない、というルールのようなものがないわけではない。『デス・ノート(前編・後編)』からの付き合いだと思って特に高い期待も持たずに本作を見に出かけたが、新しいルールがひとつできた。「ナンチャンがFBIを演じるような映画は2度と見に行かない。」それ、何ていう学芸会ですか?

いや、本当に、これ、作り手は、作りたくもないものを押し付けられて、やけくそになって、ギャグで撮ったんじゃなないかと思った。中田秀夫は何が悲しくてこんな作品を作っているのだ。しかし、恐るべき事実として、どうやら、「どうしようもない脚本を与えられてやっつけ仕事で撮った」というのではなく、本人が脚本作りの初期から関与しているようなのである。おいおい、今後このひとに何を期待したらいいのかがわからなくなったよ。

これは、『デスノート(後編)』のラストでデス・ノートに自らの名前を書いた「L」が、死ぬまでに残された (劇中では描かれなかった空白の)23日間に起こった出来事という設定の話である。その設定のもとで、『デス・ノート』シリーズとは違ったことをやる、「L」の違った側面を見せる、というのが基本的なコンセプトなのだが、ここで何を間違えたのか、「殺人ウィルスを使った世界規模のテロ」などという大仰だが全く興味をそそられないプロットを持ち出したのが第1の敗因。「世界規模」の話で、海外ロケまでしておいて、テロリストにしろFBIにしろ、みんな日本人が日本語で会話する世界で完結するのが第2の敗因。どうせマンガ世界なんだからリアリティにこだわる必要なんかないと思い込んで、『デス・ノート』が決してはずすことのなかったマンガなりのリアリティを放棄したのが第3の敗因。スピンオフなんだから、『デス・ノート』が奇跡的に構築することに成功したある種の箱庭世界のなかに限定して話を展開すればそこそこ見られる作品になったはずなのに、違ったことをやろうとしてそこから逸脱すればするほど、嘘臭さが耐え難くなるのである。

いや、ほんとうに不思議なことだと思うのだが、そもそも『デス・ノート』は嘘臭い映画だった。マンガの中だから許容できるのであって、アニメならともかく実写映画にしようものならとたんに破綻することが目に見えているような作品だった。それなのに、あの映画は、まるで「マンガをアニメ化した」かのごとき力技で、嘘臭い世界を映画の中に限定で現出、成立させてしまったのである。そして、『L』も嘘臭い映画である。しかし、嘘臭さの質が異なる。ここにある嘘臭さは、マンガやアニメのそれではない。現実に立脚して作り上げた(あり得るかもしれない)世界でもなく、注意深く(作品にとって都合よく)作られた独自の世界観に基づく虚構世界でもなく、娯楽映画なんだから、マンガなんだからこんなものでいいんだろ?というダメ邦画の嘘臭さ。匙加減を間違えたというのではなく、そもそもそういったことに必要な注意が払われていない手抜きをこそ感じさせても、予算や技術の制約で致し方なくそうなってしまったという微笑ましさのかけらはどこにも見受けられない。

まあ、いいや。100歩譲って全てがギャグだとしよう。狙って撮りに云った笑いもあるだろう。だが、ナンチャンを「FBI」としてキャスティングするのが狙った笑いだとしたら、その発想が狂っている。そうじゃないか?

で、タイトルなんだけど、「L、世界を変えろ!」なの?「Lが世界を変える」の?前者なら「, 」なり、「;」なり、「:」なり、「L」とそれ以降(サブタイトル?)を区切ってほしいよね。後者なら「chaneges」だ。まあ、こんなだっせー英語タイトルつけちゃう時点で映画に何も期待できないのは明白なんだけどね。