3/31/1999

10 Things I Hate About You

恋のからさわぎ(☆☆☆★)

スタッフ・キャストともに耳に馴染みのないティーンズ映画に何を期待できるかもよくわからないまま、TVスポットだけを頼りにとりあえず出かけてみることが多いのだが、そこそこな打率で意外な拾い物にぶつかることもある。そして、本作はそんな一本だ。

ストーリーの骨子にシェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』を借り、恋のゲームがノリと歯切れもよく繰り広げられる本作、軽いロマンティック・コメディが好きな人には、ハイスクールものなんかとバカにせず、一見をお勧めしたい佳作なのである。

ハイスクールに通うタイプの異なる姉妹が紹介される。ジュリア・スタイルズ演じる姉の方は変わり者で反抗的、しかも男嫌いだが、ラリサ・オレイニック演じる妹のほうは学園の人気者で遊びたい盛りである。お固い父親から「姉が誰かと付き合うようになったら、お前のデートも許してやる」との言葉を引き出した妹と、彼女に一目惚れの転校生(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)が一計を案じ、強力な「助っ人」(ヒース・レジャー)を雇い、姉の心を篭絡しようとする。

脚本はカレン・マックラー・ラッツとキルスティン・スミスの女性ライターコンビも、TVを活動の場としている監督のギル・ジュンガーもこれが初の劇場用作品。ほら、出演者の名前を聞いても、脚本・監督の名前を見ても、耳に馴染みがないというのはこのことだ。

この作品が上手くいっている理由の一つは、舞台はハイスクールでありながら、もともとストーリーラインのかっちりした古典を土台にした脚本がよくかけていることだろう。このアプローチはジェーン・オースティン「エマ」を土台とした『クルーレス』や、ラクロ「危険な関係」を土台にした最近のヒット作『クルーエル・インテンションズ』などとも共通するものだ。よく知られた物語を巧みにアップデートすることで、現代性と普遍性を両立させると、時にとても面白い仕上がりになるものなのである。

わりとキャラクター数の多い作品なのだが、無駄なキャラクターはいない。それぞれの役割がはっきりしていて、ぴったりな役者がキャスティングされている。人物の紹介、出し入れがうまく、これを裁く演出にも危なげがなくテンポが良い。

若い役者たちも好演している。本作のヒロインになるジュリア・スタイルズは単純な美人ではなくて、どちらかと云えば個性的である。その容貌も、自己主張が強い感じも、男の観客よりは同世代の女の観客に受けそうだと思う。また、ワイルドな不良役っぽさを前面に出したヒース・レジャーも個性的な容貌をしていて、なんだか一昔前の江口洋介みたいな髪型をして出てくる。こいつはなかなかのインパクトだ。

若い男女の思惑で繰り広げられる軽いノリの恋愛コメディでありながら、ただの馬鹿騒ぎに終わらせることなく、登場人物たちのキャラクターを大事に、そして、その感情を丁寧に、真摯に描けていて、共感の持てる物語になっているところに好感をもった。こういう作品が、アメリカ映画の裾野を広げているのだと思うし、こういう作品の中から、次の世代を担うスターが育ってくるんじゃないかと思う。だからハイスクールものの追っかけも捨てたものじゃない。

The Matrix

マトリックス(☆☆☆☆)

サマーシーズンを待たずに3月末などという中途半端なタイミングで公開されるキアヌ・リーヴス主演のアクション映画だというので、さして期待もせずに気楽に見に行き、それほど混んでもいない劇場でで見た。しかし、これがあまりにも面白いので、バカにして見逃すことのないよう、珍しく周囲に触れて回っているところだ。『バウンド』で注目された、ウォシャウスキー兄弟が、ジョエル・シルバーのもとで完成させた、ヴィジュアルも鮮烈なSfi アクションである。

主人公は、表の世界ではコンピュータ・プログラマ、裏の世界では腕利きのハッカーとして生活している。ある日、「彼が現実だと思っていることは、地球を支配する人工知能が作り出した仮想現実に過ぎない」と主張する男たちが現れ、後戻りできない世界へと主人公を誘う。主人公は、彼らのいう “The One”, 特別な存在として、人類の真の解放のために戦うことができるのか。

ともかく、圧倒的に新しい映像世界が、作品世界がそこにあるように感じた。いや、部分部分を見れば、どこかで見たことあるものの集合体で、日本のアニメ、数々の先行するSF、香港スタイルのガン・アクションやワイヤー・ワークなどの影響や引用で埋め尽くされているのだが、それらを自分たちなりに消化して、最先端のCG技術と撮影技術で料理してみせた結果、総体として、これまでに見たことのない「クール」な作品に仕上がっているのである。

映像として格好良いが、単に格好が良いというのとは違い、その映像のスタイルに物語上、世界観上の必然性とがある。物語とヴィジュアルの必然的な結合だ。

止まった時間の中でカメラだけが自在に動きまわり、超現実的なアクションが展開され、薬莢が雨あられと飛び交う。その様は、笑ってしまうくらいに過剰である。そして、あまりのことに唖然としてスクリーンを見つめる。普通ではありえない。しかし、こんなことが可能なのは、この映画が「仮想の電脳空間」で展開されているからだ。

設定が映像に必然性を与え、映像が設定を裏打ちする。スタイルや撮影技術だけならば後続する作品がこぞってこの映画の真似をするだろう、しかし、本作が持ち得たような説得力は決して持ち得ない。そんな意味で、この作品のオリジナリティは強く担保されることになるだろう。

どうしても派手なアクション・シーンにばかりが目についてしまうのだが、コミックの世界から出てきた監督だけあって、構図、色彩設計、ライティングなどがいちいち決まっている。ヘリコプターを使った大掛かりなスタントの撮影も含め、撮影のビル・ホープの貢献は大きいだろう。

敵味方のキャラクターも魅力的に描かれているが、半分以上は脚本よりもキャスティングの成功によるものだ。主人公の仲間となる大きな身体のローレンス・フィッシュバーン、しなやかな身体と大人の色気があるキャリー・アン・モス、敵となる人工知能が差し向けるエージェントを演じるヒューゴ・ウィーヴィング、そして預言者を演じる黒人女優グロリア・フォースター、それぞれの容姿や持ち味がキャラクターを見事に決定づけている。見て分かる、画で語る、それは、キャスティングにまで貫徹された原則になっている。

スローモーションや飛び散る薬莢、2丁拳銃など、香港スタイルの模写が、VFXで超現実的なレベルにまでパワーアップ。コレオグラフィも見事である。ガンアクションと並び、本作のもう一つの柱が香港から招いた達人ユエン・ウーピンが手がけるマーシャル・アーツとワイヤーワークだ。キアヌ・リーブスも、これをこなすのに相当苦労したんじゃないか。もちろん、本場のそれとは比べものにならないヘッポコぶりなのだが、物語設定上、それゆえのリアリティというか、それすらも必然的なものとして見えてくるところが面白いと思う。

まあ、高級な部類の作品ではなく、最強のB級映画と呼びたい、本来カルトな嗜好に訴える作品である。。色々考えだすと荒っぽいところが目についてくるのだが、見ている間それを忘れさせてくれるだけのパワーには溢れた傑作である。主人公が自らの使命を自覚し、次なる闘いに向かうエンディングは、続編への布石という話ももちろんあるにせよ、それ自体が痺れるかっこ良さであった。

3/26/1999

Life is Beautiful (La vita è bella)

ライフ・イズ・ビューティフル(☆☆☆☆)

なんとまあ、ストレートなタイトルで。

第二次大戦前夜のイタリアのトスカーナ地方。本屋を開くために街に出てきた口から先に生まれたような主人公は、道中で出会った小学校の教師に一目惚れ、あの手この手をつくして彼女の心を射止める。息子も生まれて幸せな家庭を築くかにみえたが、ナチスのユダヤ人狩りの手はイタリアにも及び、一家全員で強制収容所に送られてしまう。収容所内の過酷な環境におかれてなお、嘘八百とユーモアのセンスを武器に、息子の命と汚れなき小さな心を守り通そうとする主人公。

大評判になっている本作。イタリアのコメディアンであるロベルト・ベニーニが脚本・監督・主演をこなして描く、ホロコーストを背景に、コメディタッチで描く、さんざん笑わせ、しんみりさせ、感動もさせるドラマだ。

リアリズムの映画ではない。いってみれば、ファンタジーだ。人類史上の悲劇を背景に、笑いを武器にして「人生の素晴らしさ」を描いてみせるという企画。良く練られた脚本と詩情豊かな演出で、心を打つ一本に仕上がった。ホロコーストという重い題材は、それだけで気が重くなる。かといって、それを笑いを交えて描いていいのかという懐疑。でも、そんな憂慮や心配はこの映画を見れば氷解する。

この物語の前半を彩るのはロマンスである。いっちゃなんだが、どこの馬の骨ともいえない主人公が、地元の名士と婚約状態だった美しい女性の心を射止めるまでの展開は、ハリウッドのクラシックなロマンス映画も真っ青の優雅さと繊細さに満ち、名(迷)シーンの連続である。しかし幸せは長く続かない。ユダヤ系でない妻が、それでも収容所への同行を主張して譲らないシーン、収容所内でわずかな隙を突いて(クリエイティブな方法で)自らの無事を妻に伝えようとする主人公の行動。こういう状況でなければ描けないロマンスもある。

そして後半は本作の核になる部分になってくる。主人公の嘘八百とユーモアのセンスを武器に、非人間的な環境をいかに生き延びるのか。いかにして息子を守るのか。ドイツ語が分かりもしないのに通訳をかってでて、勝手な話をでっち上げるシーンなどは、爆笑を呼びつつも底にある「父親の愛情」が胸を打つ。

リアリズムの映画ではないといったのは、主に収容所内の描写である。確かに、現実にはこの映画のように事が運ぶほど甘くはないと云う指摘はもっともなのだろう。ただ、この映画のもつ「ファンタジー性」は、一概に欠点とはいえまい。なぜなら、それが、すなわち戦時下で行われた非人間的な行為を静かに告発する仕掛けとして非常に効果的に働いているからだ。

主演のロベルト・ベニーニは実に良く動き、よく喋る。自分自身で監督しながら暴走寸前で止めることができたのは題材の重さゆえだろうか、まさに絶妙の演技である。妻を演じる女優の意思の強さを秘めた目も美しいが、幼い息子を演じる子役の達者なことには本当に舌を巻く。涙腺の弱い観客はこれにやられること、間違いなしといっておく。

主に笑いのシーンで、やり過ぎて見ていられないほど泥臭くなってしまいそうになる瞬間が何度も訪れるのだが、主観的にいって、なんとかぎりぎりのところで踏みとどまっているように思う。「イタリア映画」だから、どうせベッタベタなんだろうというこちらの先入観をあっさり裏切り、想像以上の洗練具合なのでびっくりした。また、映画を支えている音楽が、いいんだ。ローカル色を出しながら時に牧歌的で、時に物悲しく、しかし、最後まで決して軽やかさを失わない。サントラは愛聴盤になりそうだ。

イタリアならではの、イタリアででしか作り得なかった、しかし、普遍的な映画の魅力に満ちた作品である。まさに、人生は素晴らしい 。

EDtv

エドtv(☆☆☆)

ハリウッドでは似たような企画が同時期に乱立し、互いに競うようにして映画化されることがよくある。偶然なのか、時代の気分がそうさせるのか、パクり、便乗の類なのか、競争心・対抗心ゆえなのか、それぞれ事情は様々だ。

「実在の人物に24時間密着、生放送するTV番組」っていうネタが、どうしてこんなタイミングで被ることになったのかも謎なのだが、ジム・キャリー主演、アンドリュー・ニコル脚本、ピーター・ウィアー監督の『トゥルーマン・ショー』と、マシュー・マコノヒー主演、ローウェル・ガンツ&ババルー・マンデル脚本、ロン・ハワード監督の本作『EdTV』とは、作家性の違いとはこういうことかと一目瞭然、そのベクトルが違いすぎて全く違う映画になっているのが面白い。

共通点があるのは、メディアに対する皮肉な考察っていうことだけだな。

あちらの作品が、「神と人間と人生についてのドラマ」であったなら、こちら『EdTV』は、ドタバタ風味のの「風刺コメディ」である。

真実の映像を24時間、編集なしで放送するのを売りにするTV局が、視聴率低迷の挽回策で、ごく普通の男の生活を四六時中、密着で生中継することを思い付く。プロデューサーの目にとまったのが31歳、サンフランシスコ在住のビデオ屋店員エド。テレビのクルーに常に付きまとわれながら、にわかスターとして全米の人気を一人占めするようになっていく。

名声とプライバシー、有名人に群がるメディアやパパラッチ、それに熱狂する大衆心理。ウディ・ハレルソン、マーティン・ランドー、デニス・ホッパー、エリザベス・ハーレー、ロブ・ライナー、エレン・デジャネレスらのアンサンブル・キャストを自在にさばきながら、TVカメラの前で恋人への不実が発覚したり、真実の愛が芽生えたり、実の父親が現れたりといった、主人公と、その周囲の人々のエピソードが綴られていく。

それほど突拍子も無い展開はないのだが、そこは、ロン・ハワードの『バックマン家の人々』をはじめ、これまでにもウェルメイドなコメディを作ってきた脚本家チームだけあって、話の転がし方がうまい。タブロイド紙やUSA TODAY、TVのトークショーなどを皮肉っぽい扱いも笑わせる。

ロン・ハワードも、気負った大作映画を撮ると薄味で今ひとつなんだが、こういうアンサンブル・キャストで見せる小粒なコメディは安定感があって巧い。複雑になりがちな登場人物やエピソードを小気味よいテンポで交通整理をしていく手腕はさすがである。

ただね、脚本家チームもロン・ハワードも、風刺コメディを撮るには人が良いというのか、お行儀が良いというのか、悪意と毒が足りないんだよね。

キャストのなかでは、プロデューサー役のエレン・デジャネレスが面白い。TVを中心に活躍している達者なコメディエンヌで、この映画でも彼女の魅力の一端は十分にうかがい知れるだろう。また、マシュー・マコノヒーとウディ・ハレルソンが兄弟っていうのは誰のアイディアか知らないが、それだけで笑えるキャスティングだった。風貌はどことなく似てるよね。キャラクターはずいぶん違うんだけどさ。

3/22/1999

The Mod Squad

The Mod Squad

刑務所行きを逃れる見返りに、潜入捜査をすることになる不良青年3人を主人公とした人気TVドラマ(1968-1973)の設定をリサイクルして映画化。日本でも「モッズ特捜隊」とかいうタイトルで一分が放映されたそうなのだけど、これは残念ながら見たことがない。今回は、主演にクレア・デ-ンズ、ジョバンニ・リビーシ、オマー・エップスをキャスティング。脚本・監督はこれが2本目のほぼ無名なスコット・シルバー。

不良青年たちが潜入捜査をさせられるところは一緒。ドラッグ取引と売春が横行するクラブに潜り込むのだが、捜査をすすめるうち、自分たちをリクルートして潜入捜査を依頼した刑事が、射殺されてしまう。どうやら、押収したドラッグの横長しが絡んでいるようだ。これにショックを受けた3人だったが、事件の真相を暴くため、自らの意思で行動を開始するという筋立て。

まあ、人気ドラマのリメイク企画で、ティーン・アイドルの活躍するアクション活劇を作る枠組みとしては悪くないんじゃないか、と思う。人気・実力共に抜群とまではいわないが、そこそこ知名度が高く、最近比較的目立っているキャストも揃った。

いや、しかしね。これだけの素材を与えられて、こんな映画にしかならないってのは、作り手は相当のヘボだね。監督は、脚本兼任なんだから言い訳はいいっこなしだ。

犯罪暦のある不良少年たちが潜入捜査に雇われるというのは、現実味はないが、いいんだ、そんなこと。「警察バッヂも拳銃ももたないが、警官の入り込めないところで素性を知られずに潜入捜査をするチーム」っていう設定を活かせる話を作れなかったのが敗因。

主演の3人のキャラクターも描けていない。紅一点のクレア・デーンズにはかつての恋人との再会と裏切り、ジョバンニ・リビシには彼を蔑んだ目で見つめる両親との葛藤などという思わせぶりな設定を用意しているが、物語にうまく絡めることができていない。

若者受けするスタイリッシュな作品にしたいという監督の意欲は空回り。これを見ると、ほら、さんざん馬鹿にされる「ミュージック・ビデオみたいなチャカチャカした映画」っていうのにも、それなりのセンスと技術がいるんだということが分かったよ。

3/19/1999

True Crime

トゥルー・クライム(☆☆☆★)

クリント・イーストウッド監督・主演の軽量級のサスペンス娯楽。派手さはないんだけれど、独特のリズムがあって、かっちり楽しませてくれる一本である。ジェームス・ウッズ、デニス・レアリーなどが共演している。

今回彼が演じるのは、女たらしのジャーナリスト。ある晩、バーで口説きかけていた若くて有能な同僚記者が帰り道に事故に遭って死亡してしまい、彼女が担当していた記事のあとを継ぐことになるのである。それは、コンビニで働いていた妊娠中の女性店員を殺害したかどで、死刑が確定している黒人工務員の最後の心境を綴るというものだった。その日の真夜中には死刑が執行されるという状況で面会にいった主人公だったが、直感でこの男の無実(つまり冤罪)を信じ、それを証明するために東奔西走することになる。

前作『真夜中のサバナ』は観客を選ぶ映画だったが、そういう映画と、軽い娯楽映画を交互に取っているように見えるイーストウッド、今回は、その「軽い方」である。近作だったら彼の『目撃』をみて、その語り口が気に入った人なら今回もイけると思うんだがどうだろう。

無実の罪で死刑になる一人の男を救う、サスペンスフルでヒロイックな物語のように見えるが、実は物語の核は「主人公の負け犬ぶり」にあって、そこが泣かせるところである。どこかで、この男の誇りをかけた闘いが、「格子の中」の死刑囚のドラマと対をなし、最後には深い余韻を残す。

ドラマティックな筋立てでありながら、無理に感動を強要するようなことをしない、むしろそっけないぐらいの演出が、一度ハマると何とも心地よい。「無罪の証拠」も、やたら小難しい細工をせず実にあっけなく落とすから、これを「ボケた」と口の悪いものは云う。でも、それは違う。この映画は謎解きが主眼ではないのだ。死刑執行間際のサスペンスにしたって、ボタンを押すか押さないかで引っ張るかと思いきや、ここでもまた意表を突いてさらっと流すのだ。

その一方、「証言者の語った通りの映像」と「その場で起こった事実の映像」を両方観客に提示して観客を翻弄するあたり、おや、こんな策を弄したりするんだと意外に感じたり。

さすがにキャラクター描写には厚みがあって面白い。新聞社の上司であるジェームズ・ウッズはそのテンションの高さが笑えるし、主人公に妻を寝取られたデニス・レアリーの複雑な心境も上手く描かれている。死刑囚のカウンセラーを任じている偽善牧師や、有罪を心から信じている訳でもない刑務所長など、出番やセリフの少ない役柄にも、類型的で表面的な善悪(牧師=善、看守=悪)では終わらない人間味が描かれている。死刑囚を尋ねてきた妻と幼い娘、その娘がどこかで落としてしまった緑のクレヨンをめぐる小さなエピソードなどが、「じわり」と効いてくるしかけである。

単純な冤罪と正義をめぐるドラマと見せかけて、気がついてみれば、「イーストウッド映画」としか呼べぬジャンル分け不能なところに持って行ってしまうところが、さすがというのか、なんというのかイーストウッド。あのの歳で女ったらしを平然と演じてしまう彼が、どこか微笑ましいと思える観客に、是非是非オススメしたい。

Forces of Nature

恋は嵐のように(☆☆)

ベン・アフレックとサンドラ・ブロックが共演する、珍道中系のロマンティック・コメディ。『ライフwithマイキー』を書いたマーク・ローレンス脚本で、監督はこれが2本目のブローウェン・ヒューズ。

結婚式のためにNYからジョージア州・サヴァナに向かう飛行機が離陸時に事故をおこし、機内で知り合った奇妙な女性と別の手段で目的地を目指すことになる。ところが、旅の道中で思わぬトラブルが続いてしまい、目的地はなかなか近づいてこない。そして、出会う人々が決まって「結婚なんて、牢獄のようなもの」などと辛辣なコメントを吐くときた。本当に予定通りに結婚しても良いものかどうか、主人公の決意が揺らぎ出す一方、旅の道連れとなった女性の不思議な魅力にも惹かれていく。

性格や立場の異なる男女が旅の途中で惹かれあうようになる、定番のように見えて、どこか安心できないところが残る話である。主人公は結婚間近。その結婚が「本人の意に沿わない」ものであるとか、「結婚相手が実は不誠実」とか、ワケありだったなら、その結婚を投げ捨て、旅を共にした二人でハッピーエンドを迎えることができる。でも、そこんところがよくわからないんだ。これが男の側の単なるマリッジ・ブルーっていうのでは、映画がハッピーに終わらない。・・・どちらに転ぶにしてもだ。

マリッジブルーのベン・アフレックが、触媒としてのサンドラ・ブロックに出会い、元の鞘に戻ってハッピーエンド、という筋だてはありだけど、そういう方向に話を持っていくのなら、ベン・アフレックの婚約者をもっと描く必要があるし、サンドラ・ブロックとベン・アフレックがカップルになるかのような予感を抱かせる演出は極力避けるべきであろう。原題タイトルが示唆するような、自然の力のごとく主人公の人生を通りすぎていく、不可避なトラブルメイカーくらいの扱いにしておけばよかったんじゃないか。

メインとなるストーリーはなんだか良く分からない不思議なことになってしまっているのだが、飛行機、レンタカーの乗り合わせ、鉄道、長距離バス、ツアーへの便乗、おんぼろ中古車などを経由する珍道中は、アメリカの色々な風景を垣間見ることができて楽しめる。ヴァージニア州リッチモンド、ノース&サウス・キャロライナ州、ジョージア州サヴァナと舞台になる土地を移動しながらロケが行われたようで、その土地の空気が画面に良く出ている。

ただし、旅の起点となるはずのNYの空港は、ワシントンDCのダレス国際空港で撮影されているのが一目瞭然。・・別にいいけど。一瞬、DCが出発点だと勘違いしてしまったじゃないか。

サンドラ・ブロックはここのところあまり似合わない役柄、らしくない作品が続いていたように思う。今回は久しぶりに生き生きした彼女を見ることができるのは良いことだ。この人は、何でもこなす器用な女優ではない。しかし、隣の素朴なお姉ちゃんとか、彼女が輝ける役柄にはまると、とたんに他の人では出せない魅力が溢れ出す。今回は、そうだな、彼女じゃなくてもいいといえば、いいような気もするが。

3/13/1999

Rushmore

天才マックスの世界(☆☆☆★)

オフビートでとぼけた味わいの奇妙なハイスクール・コメディである。

主人公は、名門の私立学校、ラシュモア学園に通う15歳、マックス・フィッシャーだ。彼は授業にはちっとも身が入らないのだが、ありとあらゆる「課外活動」に異様な熱意を燃やしていて、行動力も抜群。20近くのクラブの代表を務め、あるいは、新たなクラブを創設し、演劇部では脚本と演出と主演を兼ねる。

そんな彼にとって重大な事態が発生する。あまりに成績が悪いため放校されそうになるのだ。ラシュモアにおける学校生活(といっても課外活動)が人生のすべてである主人公にとって、それは一大事。なんとか手を打つために策を巡らせるうち、低学年のクラスを教える美人教師に恋をしてしまう。しかも、主人公とは奇妙な友人関係にあった学校のパトロンが同じ相手に惚れてしまったことから、最初の目的はどこへやら、15歳童貞男と中年オヤジによる、低レベルかつ熾烈な恋の鞘当て争いが繰り広げられていくことになる。

そんなわけで、あまり比べる対象を思いつかない、なにやら奇妙で変則的な映画なのである。しかし、精神的に成熟しきっていない2人の男が繰り広げる三角関係を中心に、主人公の学園生活を通じた精神的な成長が描かれていくという意味ではオーソドックスな青春ものである。

だが、学園物の定型に流しこんで作られた作品ではない。突拍子も無いキャラクターが出てくるが、マンガ的な誇張で描かれているわけではなく、映画を成立させるための「記号」のような扱いでもない。この映画は、一見して奇妙な登場人物の中にある人間味というか、人間そのものが持っている感情や、その人間のなかから滲みでてくるような可笑しさを真摯に見つめ、拾い上げ、綴っていくのである。

あり得ない話なのに、その状況に現実味があり、その感情に切実感があり、共感を誘ったりする。嘘がない、そう思うのだ。そんなところにこの映画の魅力がある。

主演のジェイソン・シュワルツマンはタリア・シャイアの息子だそうだ。ヒロインがオリヴィア・ウィリアムズ。そしてなにより、恋敵になるのが、ビル・マーレー、テキサス大時代からの友人関係だというオーウェン・ウィルソンとウェス・アンダーソン共同クレジットの脚本を、ウェス・アンダーソンが監督。

で、ビル・マーレーなんだ。この人、最近ではジャンルもスタイルもまちまちな作品に起用され、それぞれ怪演を披露していてどれも甲乙つけがたいのだけど、もう、この作品における彼の演技、彼の存在は筆舌尽くしがたき唯一無二のものである。キャラクターの中にある子供っぽさを、オーバーアクトをするのでもなく、さらっと演じきるボケ具合。しかし「助演」に徹して、でしゃばり過ぎないこの節度。

コメディとしては笑いのとり方がスカした感じ。ガハハではなく、クスクス笑いであったり、じんわり積み重なっていく面白さなので、好みが分かれるかもしれない。格好つけすぎたオシャレ系コメディだと思われちゃうとちょっと残念なんだけどな。

3/12/1999

The Rage: Carrie 2

キャリー2(☆☆★)

つ・・・つくるのか、これを。

やはり、『スクリーム』の成功がひとつの契機になっているのだろう。そして、80年代にジョン・ヒューズの映画をみていた世代が作り手に回ってきているタイミングだというのもあるのだろう。ここのところ、若いアンサンブル・キャストを使ったハイスクールもの、あるいは、ホラーものが、一時期よりも活発に作られているように思う。

そこで、本作。なぜだか、あの『キャリー』の続編である。

スティーヴン・キング原作、ブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』は、狂信的な母親のもとで育てられた女の子「キャリー」が、遅い初潮を迎えたのをきっかけに超能力を発現する物語であった。クライマックスでは、同級生たちの限度を越えたいじめに彼女が哀しみと怒りを爆発させ、プロムの会場が血に染まり、炎に包まれる。

あれから20年。前作の事件で生き残ったスー・スネルがカウンセラーを務める高校を舞台に、忌まわしい悲劇が繰り返されようとしていた、というのが今回のお話。ちなみに、原作の「キャリー」には続編がないので、これは映画会社の都合による、映画版を底本とした勝手な続編である。

今作は前作の生き残りとして、エイミー・アーヴィング(!)演じるキャラクターが再登場し、さらに前作のフッテージを数箇所挿することで、一応、正当な続編であるという体裁を整えているものの、主人公は新人エミリー・バーグル演じる「レイチェル」だ。(←キャリーじゃないじゃん!)

主人公は違い、時代は違えど、同じストーリーをなぞり、同じ物語が展開される。続編というか、やっすいリメイクというか、そんな感じだな。だって、挿入された前作のフッテージのほうがよっぽど強烈な印象を残すってんだから洒落にならない。

ただ、青春ドラマとしての脚本は、そんなに悪くないと思う。「キャリー」を現代的なコンテクストで翻案するにあたり、「高校の支配的文化に同化できず日陰にいるゴス少女」と、「派手にスポットの当たる日向に身を置きながら、周囲から浮いている誠実な青年」の、孤独と疎外、そして受け入れられることの無い悲劇の恋愛。注目を一身に浴びて自惚れ甚だしいジョックスどもの憎々しさ。もはや、大定番の構図であるが、作り手たちはそんな世界に身を置く多くのティーンズに向けて、丁寧にドラマを組み立てている。

そう、今作の「レイチェル」は、前作の「キャリー」ほどの異形としては描かれていない。そして、孤独ではあっても完全に社会性を欠いた存在ではない。ある意味でどこの日陰にもいる普通の少女であり、身近に感じることが容易な存在になっているのは大きなポイントだろう。

映画のクライマックスは、さすがにヴォルテージが高く、低予算の割にはかなり派手にやらかしてくれている。主人公レイチェルが怒りに身を任せ、全身を茨のタトゥーが覆うという容貌の変化がビジュアル的に面白い。とはいえ、豪邸一軒とパーティの参加者を殺戮するだけなので、街ひとつを破壊し尽くした原作にも、プロム会場を吹き飛ばした前作にも、スケール感では及ばない。最後は、前作を見ていたら誰もが想像する通りのお約束のシーンがある。

この映画、ロバート・マンデル監督で撮影が始まったものの、途中でリュー・バリモア主演のエロティック・スリラー『ボディ・ヒート(Poison Ivy)』のカット・シーアが大幅な撮りなおしの末、完成させたんだそうだ。

3/07/1999

The Corruptor

NYPD15分署(☆☆★)

NYのチャイナタウンを管轄する署に慣行を破って配属された若き白人警官を迎えたのは、街の実情に詳しくコミュニティからも尊敬されているベテランの中華系警官だった。が、そのベテラン刑事、裏側では街を牛耳る闇の勢力とも馴れ合いのグレーな関係を続けつつ、新たに勢力争いに加わった福建ギャングと果敢に渡り合う。ルールなき街の混沌のなかで、自らもある秘密を隠しながら犯罪と向き合っていく若者。これを演じるのがマーク・ウォルバーグ、チャイナタウンのベテランを演じるのはチョウ・ユンファだ。

のっけから展開される香港風大活劇で我らがユンファ兄貴が大活躍。怪しい鼻歌で。売春宿の手入れに現れるや、いきなり激しい銃撃戦に突入する。カットの短いスピーディな編集で構成されたアクションシーンはなかなかの迫力。狭い室内でのアクションは、香港時代の作品を彷彿とさせ、ハリウッド製香港映画の趣だ。

そんな幕開けだから、単純明快なアクション活劇を期待すると、ドラマはより複雑な様相を呈し、白黒で割り切れない混沌とした現実の中で、それぞれの友情、正義、倫理観が問われていく。え、そういう真面目なドラマだったんですか。でも、そうなるとなおのこと香港ノワールな雰囲気が濃厚だな。

監督はジェームズ・フォーリー、ジョン・グリシャム原作(処刑室)『チェンバー/凍った絆』くらいしか知らないのでなんともいえないが、米国的なルールが通用しないようなチャイナタウンを舞台にして、およそ米国的でない映画を撮ってしまうんだから、度胸がある。

チョウ・ユンファは米国進出後、一番まともな役でその魅力を発揮しているが、英語での台詞まわしには相当手こずっているように聞こえる。これ、本当はものすごい儲け役のはずなんだけどな。マーク・ウォルバーグは元アイドルとは思われぬ地味具合。作品選びをみても本気で役者をやるつもりでいるんだろう。役柄がルーキーなんだから仕方がないとはいうものの、大スター相手に存在感が少々薄いんだよね。

善悪敵味方入り乱れ、誰もがそれぞれの秘密を隠し持っていて、観客にふせられた秘密もある。だから、誰の視点で物語を追っていけば良いのか、少々分かり難い構成になっている面があるのではないか。なかなか物語にのめり込めずに戸惑ってしまった。

3/05/1999

Cruel Intentions

クルーエル・インテンションズ

これは、『危険な関係』@プレップ・スクール in N.Y.、という映画なわけですね。

リッチで甘やかされ、暇を持て余している義理の兄セバスチャンと妹キャスリン。今回、セバスチャンが狙いをつけた学園理事の娘アネットは真面目で、いかにも結婚まで処女を守るタイプ。セバスチャンが年度の終わりまでに彼女を攻略できなければ所有するポルシェはキャスリンのもの。攻略できれば、キャスリンの体はセバスチャンのものだ。

モラルの狂った義理の兄妹にライアン・フィリップとサラ・ミシェル・ゲラー。賭けの対象にリース・ウィザースプーン。その他、セルマ・ブレアー、ジョシュア・ジャクソンらが共演。脚本・監督はロジャー・カンブル。

この作品、かなり「拾いモノ」。

もちろん、「ティーンもの」にしては刺激の強い内容が物議を醸しているけれど、道義的に狂った人間はきちんと処罰されて終わる、という教訓を持っている意味で、本質的にはモラリスティックな話である。そうはいっても、売れっ子の若手(といっても20はとうに超えている)俳優たちをつかってこの話をやるというのは、商業的には面白い選択だし、企画としてはチャレンジングといえるんじゃないか。

新人ロジャー・クンブルの演出にはデビュー作の気負いもあるにせよ、独特のスタイルとリズムがあって心地よいし、危ない橋をコメディとして渡り切るそのセンスはなかなかのものだ。刺激的ではあるが、エゲツナイ直接描写は巧妙に避け、視覚的には何もないうちから、台詞とシチュエーションだけででエロティックな雰囲気を盛り上げる。

『バッフィ』の人気者、サラ・ミシェル・ゲラーの安っぽい魅力が、キャスリン役にドンピシャとはまり、彼女の映画における代表作ができた。ライアン・フィリップは中性的、メトロセクシャルな雰囲気が面白い。その彼がいつしか本気になってしまう相手が、それほど美人とは言い難いリース・ウィザースプーンっていうのはどうかと思うが、個人的には贔屓にしているので問題なし。セルマ・ブレアーは、この中では一番年上の女優なのだが、この人の振り切れたコメディ演技は間違いなく、本作の笑いどころである。

学園物ではあるが、裕福な家庭の子弟が通うプレップ・スクールという設定で、リアルなハイスクール・ライフを描くのではなく、浮世離れした「寓話」として描いているかのような雰囲気に独特のものがある。既成の最新ヒット曲とエド・シャーマーの手になる現代的なインスト曲を自在に使い分けた音楽も楽しい。サントラ、結構、売れるんじゃないのかな。

Analyze This

アナライズ・ミー(☆☆☆★)

結婚を間近に控え平穏な生活を送っていた精神科医のもとに、突然、悪名高きNYマフィアのボスが訪れた。全米の親分衆が集う大事な会合を控えて、どうも体調的に優れないので、精神科医でセラピーを受けようと思い立ったというのだ。精神科医は、このオソロシイ患者を拒否することも出来ず生活をかき乱されていく。

ハロルド・ライミス監督作、といえば、まずコメディ映画としてプロの仕事を期待できる鉄板だ。しかもビリー・クリスタルとロバート・デニーロのダブル主演。デニーロがマフィアの大親分をセルフパロディ的に演じるというのだから、これで面白くならなかったら嘘だろう。

だいたい、脚本も危なげがない。「マフィアの親分と精神科医」というアイディアとキャストだけでも勝ちが見えているというのに、ワンアイディアで突っ走るような真似をしないのである。

数ある精神科医の中で主人公が選ばれてしまうきっかけに始まり、対立組織やFBI が絡んで話が徐々にエスカレートしていくプロセス、結婚式やパーティが思わぬ形でめちゃめちゃになっていく顛末、あるべきエピソードがあるべき順番、あるべきかたちで丁寧に組み立てられている。

それぞれのエピソードにおけるシチュエーションの組み立てや、キャラクターの出し入れも的確。台詞のギャグから視覚ギャグまで「フリ」があって「オチ」があり、テンポよく、そして気持よく笑わせてくれる。自ら脚本にも参画しているライミス、さすがに笑いのツボを知り抜いた喜劇人だ。

主演の二人もリラックスしている。互いに、互いの演技を楽しむ余裕すら感じさせる。精神科医に頼り切ってしまうデニーロ親分の可愛らしさ。義理人情に厚く、彼なりではあっても気を使っているところが憎めない。単なる迷惑な闖入者というのではなく、デニーロの演技が「観客に愛されるキャラクター」ヲ作っているのは大きなポイントで、それ故にクリスタル演ずる精神科医が、最初は脅されて嫌々付き合っていた相手の心の問題を、本気で解決してやりたいと感じるようになる心境の変化に説得力が出てくるんだよね。

プロデューサーも務めるビリー・クリスタルは、大物デニーロに遠慮して受け芝居に徹しているかとおもいきや、最後にキッチリ「デニーロのマフィア演技をマネする」大芝居。ヒロインではあるが、リサ・クドロウは添え物で、むしろ、チャズ・パルミンテリ他、おなじみのヤクザ顔役者がしっかり脇を固めて笑いも持っていく。

ドラマ的にないものねだりをすると、大親分の心の悩みだけでなく、精神科医側の抱える父親へのコンプレックスもまた、この二人の関係において解消され、互いに「癒し、癒される」ところまで踏み込めていたら完璧だっただろう。もしかして、その踏み込みが足りない部分を続編で、、、とか?この大ヒットぶりを見ていると、そんな展開もあるのかもしれないな。