10/25/2008

The Other Boleyn Girl

ブーリン家の姉妹(☆☆☆★)

16世紀、英国国王ヘンリー8世は流産と死産を繰り返し世継ぎとなる男子を産むことができないキャサリンとの「婚姻の無効」をローマ教皇に申し立てるも認められることがなかったため、教皇庁との断絶を選び、英国国教会を成立せしめるに至る・・・などと書くと面白くもなんともないのだが、この映画は、堅苦しい世界史教科書の記述の裏側にあるスキャンダラスな史実を基に、女たらしで飽きっぽいヘンリー8世と、姉妹ともにヘンリーの愛人となったアンとその妹メアリーの3人を中心にすえた、下手な昼メロが吹き飛ぶようなドロドロの愛憎メロドラマとして仕上がっており、娯楽性十分の一本だ。この作品は、そういう下世話なところが面白いのであって、ソープオペラのようだという非難はお門違いだろう。

何よりもまずキャスティングが豪華。邦題にもなっている「ブーリン家の姉妹」を、この秋それぞれ別の主演作も公開されているナタリー・ポートマン(『宮廷画家ゴヤは見た』)』とスカーレット・ヨハンソン(『私がクマにキレた理由』)が演じ、ヘンリー8世はエリック・バナという布陣。背が低く色黒でやせっぽちで小賢しいアン・ブーリンをポートマンに演じさせる一方で、色白豊満な美人といわれる妹をヨハンソンに演じさせるキャスティングは、ビジュアル的も実力的にもこれ以上望みようがあろうか、というべきもの。本作の見どころのひとつは2人の演技合戦ということになろう。

しかし、実のところ本当に貢献の高いのはピーター・モーガンによる脚本だろう。もちろん、「史実」を元に昼メロドラマをつむぎ出してみせたフィリッパ・グレゴリーの原作小説があってのことだとは思うが、英国史になじみのない観客にもとっつきやすく状況を説明し、政治的な背景にはあまり踏み込まずに愛憎関係にフォーカスをあてていく手際のよさは鮮やかなものである。複雑な人間関係や感情の機敏を実に的確に描いて分かりやすく、かつ、面白い。登場人物は類型的に描写されているように見えるが、それぞれの立場で、それぞれの判断を下すさまが見て取れる。権力欲に取り付かれた新興貴族である姉妹の家族の描写などもさじ加減がよく、権勢を極めるも最後は断頭台で命を落とすアン・ブーリンの空しく哀れな顛末を描く筆致も見事である。遠い昔の愛憎劇を描きながら、単に「現代的」であるのではなく、現代に通じるドラマを見出すことができるのである。

監督のジャスティン・チャドウィックはTVドラマ出身だというが、どうして、TVらしいメリハリと、映画ならではの風格を併せ持つ堂々たる演出で観客を飽きさせず、十二分に名を上げたといえよう。サンディ・パウエルによる絢爛な衣装も見応えあり。

Every Little Step

ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢(☆☆☆☆)

ブロードウェイ・ミュージカルの舞台裏を題材にしたミュージカル、『コーラスライン』の再演にあたっての、ほんとうに入念で、手間隙と時間のかかったオーディションの様子を克明に捉えた秀作ドキュメンタリー。メタ構造となる題材の選び方、企画そのものが一番の勝因であるが、オリジナルの『コーラスライン』(1975年初演)が生まれるまでを、原案者であるマイケル・ベネットのインタビュー・フィルムなどを丹念に集め、きちんと挟み込んでいったことで30年におよぶ歴史の厚みが出た。

初めは何千人もが集まったオーディションも、段階が進むにつれハイレベルの実力者ばかりが残っていく。何ヶ月にも及ぶ長丁場のオーディションのなかで、役を演じることではなく、役を生きることを求められるさまは、まさに素の自分を表に出して語っていく『コーラスライン』の物語さながら。残酷なようであるが、候補者の中で誰が残り、誰が選ばれていくのかを見守るのは、我々観客にとってはスリリングな体験である。カメラは、目の前の候補者の人間性に肉薄するとともに、おある候補者の、あまりのパフォーマンスを前にして審査員一同が期せずして涙を流してしまう瞬間など、ドラマチックなシーンをあまさず捉えていて圧巻だ。また、「前回は良かったのに今回はどうしちゃったの?」といわれた女優さんが、「何ヶ月も前のことなんて覚えていない」と苦悩を吐露する瞬間。この映画の観客にとってはほんの何分か前に目にした姿の記憶が鮮明なだけに、なんとも残酷で心が痛む。

私がかつて見た『スウィート・チャリティ』の舞台で、骨折した主演クリスティーナ・アップルゲイツに代わり主演を張っていたシャルロット・ダンボワーズが、(これもまた役柄と重なるわけだが、『シカゴ』の主要キャストすら演じたことのある)その実績や実力にもかかわらず他と同じゼロからの過酷なオーディションに臨み、オリジナルキャストとしての初主演(キャシー役)を勝ち取っていくところは本作の個人的なハイライトで、厳しいプロフェッショナルの世界を目にして打ちのめされる思いであった。(付け加えると、同じくダンサーである彼女の父親のエピソードも壮絶であった。)

ちなみに、この「再演」であるが、興行としては大成功とはいいかねるもので、すでに幕を閉じてしまっているのである。8ヶ月とか、1年近くかけてオーディションを行っても、1年や2年でクローズとなってしまう、興行の世界もまた厳しいものだ。そこらへんの事情についてはメル・ブルックスの『プロデューサーズ』に詳しい(嘘)。

10/24/2008

Goya's Ghost

宮廷画家ゴヤは見た(☆☆☆)

この秋、立て続けに2本公開されたナタリー・ポートマン出演コスプレ作品のうちの1本がソウル・ゼインツ製作、久々な感じのミロス・フォアマン監督の『宮廷画家ゴヤは見た』である。ゴヤは何を見たのというのか。それは悪名高きスペインの異端審問である。もちろん、モンティ・パイソンのスケッチのことではない。17世紀末のマドリッドを舞台に、ポートマン演ずる商家の娘が異端審問にひっかかり、あんな拷問やこんな拷問を受けるのである。それだけでもみてみたくなるというのに、ポートマンに対してあんなことやこんなことをしちゃう教会権力側の日和見異常人格者を、『ノー・カントリー』で一世風靡したハビエル・バルデムが演じるのである。これは見逃すわけにいくまい。で、タイトルにもなっている時代の目撃者を演じるのが、ステラン・スカルスゲールドなんだけど、こちらはあまり見せ場なし。

スペインの異端審問は16世紀ごろ始まったもので、表向きはともかくとして、ユダヤ教やイスラム教の習慣を守るものを排斥することで政治的な基盤を磐石なものとするため、世俗権力が宗教的権威を利用したものだという。自白を引き出すために拷問が用いられ、自白すれば最悪火刑に処せられる。この映画が描いている時代には下火になって機能しなくなっていたらしく、これもまた映画で描かれているように隣国フランスからの「侵略者」であるナポレオン・ボナパルトの支配下で正式に廃止されることになる。だから、この映画でゴヤが見たのは、異端審問の終焉である、ということもできる。

ハビエル・バルデムが演じる男は厚顔無恥の日和見主義者である。教会権力の示威のために異端審問を利用すべしと進言し、幽閉されているポートマンに情けをかけるふりをして犯し、放逐されればナポレオン側に付き、かつての同僚たちを断罪する節操のなさ。開放されたポートマンに私たちの娘はどこ?と尋ねられれば、この女は気がふれていると主張し、精神病院送りにする非道ぶり。ゴヤはまた、こうした腐敗した人間の絶頂と末路をも目撃する。

物語の中では触媒としてしか機能していない「ゴヤ」を真ん中におくことで激動の時代を切り取って見せようというのが狙い。権力者の肖像画などで稼ぎと名声を得ながら、異端審問の様子をスケッチし市中に流通させるなど、ゴヤの立ち位置そのものもなかなかに面白いと思うのだが、そのあたりについては掘り下げがない。もちろん、それを掘り下げていたら3時間越え確定なので、気軽な映画鑑賞者としてはこのほうがありがたい。

ハビエル・バルデムは、こんな役ばかりでいいのか?とは思うが、ねちっこくて嫌な男を怪演しており楽しませてくれる。ナタリー・ポートマンが文字通り体当たりの熱演なのだが、美人の彼女が悲惨な境遇をボロボロになって熱演すればするほど、その熱演が鬱陶しくなったりもする。いや、まあ、こういう役も演じてみたかったのはわかるけど。彼女をサディスティックにいぢめて見たい向きにはお勧めの一本。

10/23/2008

The Nanny Diaries

私がクマにキレた理由(☆☆☆)

この秋、2本の出演作が立て続けに公開されたスカーレット・ヨハンソンの、1枚看板による主演作がシャリ・スプリンガー・バーマンとロバート・プルチーニ協同脚本・監督作品である『私がクマにキレた理由』。このコンビは『アメリカン・スプレンダー』が評判だったが、現時点で未見。本作は、大学はでたものの就職先がなく、なりゆきからアッパーイーストサイドの富裕家庭で住込みの子守(ナニー)をやることになった女の子の視点で、「上流階級」のクレイジーな生態を暴き出すコメディ。雇い主夫婦を演技巧者のローラ・リニーとポール・ジアマッティ。登場時間は短いけれど印象深いのは主人公の母親を演じるドナ・マーフィ。『ファンタスティック・フォー』の炎男、クリス・エヴァンスが同じ建物に住むちょっといい男役で出演している。

主人公が文化人類学専攻という設定で、「アッパーイーストサイドに生息する未知なる人種のサンプル調査」をしているかのような見せ方が賢い。(だから、雇い主夫婦は終始、観察対象のサンプルという意味で、「ミスターX」「ミセスX」と呼ばれている。)物語の基本構造は女の子が社会にでて、頑張って、自立していく成長譚なのだが、これをありふれた1本とは毛色の違う作品にしているのが作り手の社会風刺、社会批評精神といえる。事実、主人公の雇い主夫婦の描写、彼らのお仲間たちの描写は、いちいち悪意がこもっていて、たいへんに面白い。これをサンプルとして提示することで、「映画向きの特殊な事例(作り事)」ではなく、「(誇張はあるにしろ)一般的な事例」である、という主張がなされていると考えてよかろう。けけけ、全く変わった連中だぜ、金持ちってのはさ。そんな金持ち連中も、この不況の煽りをうけて高級アパートを引き払っているんだろうね、このご時勢。

さて、その雇い主夫婦。どちらかといえば庶民な印象のローラ・リニーに有閑マダムをあて、颯爽としたビジネスマンというより「猿の惑星」なポール・ジアマッティを夫役という、あからさまに見てくれより演技だというキャスティングが素敵である。特に、ローラ・リニー。メリル・ストリープが『プラダを着た悪魔』で演ったように、完璧な悪役の中に一滴の人間味を出させる演技を要求されているのだが、これが難しい。メリルの役は悪役ではあるが「プロフェッショナル」でもあった。しかし、このマダム(やその周囲にいる同類)のやっていること、主張していることときたら、まあ、どこをどうとっても呆れ果てるばかり、もう、どうにもエクスキューズのしようがない。それでも決して平面的ぺらぺらの人間として描かれているわけではなく、彼女(やその同類)なりの立場や悩みがあるわけで、このあたりの脚本のさじ加減は見事というしかないのだけど、その微妙なところをきちんと演じて見せるのだ、ローラ・リニーという女優は。前から好きな女優さんではあったのだが、これにはもう、感心しきりである。

スカーレット・ヨハンソンは、高卒グダグダの『ゴースト・ワールド』に逆戻りまでとは云わないが、大卒なのに世間知らずのグダグダふてくされ系の精神的に幼いキャラクター。ま、彼女ならこの程度の役、簡単なものだろう。もっとわかりやすく、元気ハツラツで可愛い女優さんを使えばこの映画のコメディ指数は高まったかもしれないが、「文化人類学専攻」などというマニアックな役柄でもあるので、ヨハンソンのダラっとした感じがはまっている。しかし、ウディ・アレン作品でのセクシーな魅力はどこへやら。フツーっぽい女の子を演じているからフツーなのかもしれないけどさ。

10/18/2008

Eagle Eye

イーグル・アイ(☆☆☆)

ある日突然テロリストの容疑者に仕立てられた青年は、彼をはめたと思しき謎の相手からの電話の指示に従ってFBIらの追手から逃亡することになる。子供の命をだしにして、同じように電話の指示に従うことを強要された女性と合流した青年は、電話の主に翻弄されるまま、目的も理由もわからず国家規模の事件に巻き込まれていく。出演はシャイア・ラブーフ、ミシェル・モナハン、ロザリオ・ドーソン、ビリーボブ・ソーントン、マイケル・チクリス、ウィリアム・サドラーら。DJ・カルーソ監督。

様々な映画から記憶に残る印象的なモチーフを「いただい」て再構成された、典型的な「巻き込まれ型サスペンス」である。ひとつひとつのネタはリサイクルものなので、映画好きならすぐに古典的作品から比較的最近の映画まで、何本ものタイトルや、あんなシーン、こんなシチュエーションが自然と頭に浮かんでくることだろう。しかし、それを以って本作を否定するのは心が狭い。オリジナリティという観点からいえば取り立てて新鮮味にあふれた映画とはいいかねるかもしれないが、再利用ネタの「再結合」と「再構成」により、ツギハギ映画というのではなく、この映画なりの一貫性のあるスタイルを生み出しているし、そこここに仕掛けられた現代的な味付けで、それなりに楽しめるよう仕上がっている。思うに、B路線の娯楽作品というのは、そもそもそういうものじゃないだろうか。この作品の場合、Aクラスのバジェットのおかげで派手で大掛かりなアクション・シーンもたっぷり用意されているから、普通の観客も退屈しないだろう。気軽な popcorn movie としては、上出来だ。

そういえば、スピルバーグの後押しで一躍売り出し中のシャイア・ラブーフの出演作品を何本かみてきたことになるが、この作品を見て、彼が重宝されているのは、おそらく、観客にとって感情移入しやすい「普通のお兄ちゃん」的な風貌だけではないだろう、と感じた。たとえば、どこにでもすっと溶け込んであまり自己主張しない使い勝手のよさ。これは、作り手側にはポイントが高い。いかにもスター俳優然とした強烈な個性で作品の色を決めてしまうのではなく、企画や脚本が要求する役割に寄り添って見せる、誰にも嫌われることのないある種の無個性ぶり、一方で、それでも画面に埋没しない程度のスター性の適度なバランスも持ち合わせている。そんなところが企画先行型の大作映画では貴重な資質なのだろう。

そういうある種、「無個性」な主役に対して、個性的な役者を脇に配すのも、当代、ありふれたやり口である。この映画も、電話の声であるジュリアン・ムーア(クレジットなし)はいうに及ばず、実力派の見知った顔が並んでいて、ちょっと期待も高まるというものだ。ただ、そうした役者がその個性や演技の技量を十二分に発揮できているかといえば、それはまた別の話。主人公の父親役で顔を見せたウィリアム・サドラーは、ありがちな父子の葛藤や複雑な感情を、エピローグ部分での無口な再登場で味わい深く演じて見せるのだが、いかんせん登場機会が少ない。本編中で何かに巻き込まれても良かったのではないか。あるいは、FBIとは違った立場で事件を追うことになるロザリオ・ドーソンやマイケル・チクリスの役柄も、面白くなりそうなのにキャラクターとしての膨らみがない。まあ、物語に奉仕する部品以上の役割を与えられていないのだから、それも致し方あるまい。そして何より怪優ビリーボブ・ソーントンだ。追手であった男が、最後には主人公と協力して自体の収集に当たるというドラマがあるのだからもう少し何とかなりそうなものを、彼のフィルモグラフィのなかでも凡庸な部類の仕事で、全くのところ精彩を欠く。

監督DJ・カルーソが同じ主演で撮ったスマッシュ・ヒット『ディスタービア』は、なにやら『裏窓』の剽窃だと訴えられて騒ぎになっているが、残念ながら未見である。そんなわけで、『テイキング・ライヴズ』と本作での印象になるが、手堅い娯楽サスペンスの作り手には違いないとして、いかんせん、物語を転がしていくのに精一杯で、キャラクターを膨らませたり、ユーモアを挟み込んだりする余裕が感じられないところが弱いところだろうか。ヒッチコック好きなのであれば、爆発で誤魔化すのではなく、今後もサスペンスを重視した作品を撮っていってほしいところだ。ビッグバジェットとなった本作が、分岐点になると思う。

しかし、本作での『知りすぎていた男』のクライマックス引用は、近作では『ゲット・スマート』に続くもの。本作におけるオマージュとしての必然性はわかるが、こう立て続けに同じネタが続くと、「またか!」と思うのも事実。なんでこんな重なり方をするのだろうか。

10/11/2008

Get Smart

ゲット・スマート(☆☆☆)

ネタ切れのハリウッドが引っ張り出してきたのは、往年のテレビ・ドラマ『それゆけスマート』。テレビで放送されていた件の作品をリアルタイムで見ていたのは私よりも上の世代だが、とはいっても、同じ役者が主演して作られた劇場版だという『0086笑いの番号』は記憶に残っている。爆発すると繊維が消えてなくなるヌード爆弾をめぐってのバカ騒ぎ。調べてみるとこれは1980年になって作られた作品だというから、なんだ、そんなに古くないのね。どおりで見たことがあるはずだ。このシリーズ、馬鹿げたことを真面目くさった顔でやってのけ、人を喰った感じでクスクス笑わせるのが特徴である。シリーズ・クリエイターにメル・ブルックスが名前を連ねており(本作にもクレジットが残っている)、まあ、ああいうテイストなのね、とわかるだろう。

主演にスティーブ・カレルを迎えてすべてを一新した本作。競演にアン・ハサウェイ、ドゥウェイン"ザ・ロック"ジョンソンを並べ、TVで人気が出たばかりのマシ・オカなんかも脇役として登場。冒頭では顔を見せない悪役だが、特徴的な声でそれと分かるテレンス・スタンプも出ている。監督はここのところアダム・サンドラー組でよい仕事をしていたコメディ専科のピーター・シーガル。まあ、大きくはずすことのない無難な人選だろう。実際、これはこれでバカらしくも面白いネタを満載した水準作だと思う。

もちろん、いま「馬鹿げたことを真面目くさった顔でやってのけ」て一番面白いのはスティーブ・カレルだと思われるので、このキャスティングでリメイクをやろう、という企画の勝利だといえる。背広をきて真面目な表情をしていれば十分に普通の人で通用しそうな、少し哀しげな目をしたこの男の、ちょっとしたズレから増幅していく違和感をベースにしたお笑いの質が、オトボケ系の本シリーズにぴったりだ。それに、目と口がおおきいとはいえ、とっても美人なアン・ハサウェイを、「全身整形なので身元が割れずにすんだ」という設定のキャラクターに充てるというギャグ、それを堂々と演じてみせるハサウェイはクールな人だと思う(個人的には、これが鑑賞決定要因#1)。

ギャグの密度はそんなに高くないので、ナンセンスギャグの波状攻撃的な作品を期待すると肩透かしを食う。どちらかといえば、一昔前な感じのオーソドックスな作りが、微笑ましい。ちなみに、ほんわか和み系のギャグといえば、思わぬところで登場するビル・マーレーが最高におかしい。ぜひぜひ、彼を見逃さないで欲しい。ビル、あんた、やっぱり最高だ。続編にも出てくれるよね?

クライマックスがドルームワークスの『イーグル・アイ』と同じ某ヒッチコック作品を引用したもので、まあ、超有名作の超有名ネタゆえに被ってもおかしくないのだが、数年前にフジテレビな映画でも引用されていたがゆえ、またですか!と思わないでもない。コメディに引用やパロディはつきもとはいえ、意外にネタもとにできる作品が限られているのかもしれないという気がした。