8/22/2009

Taken

96時間 (☆☆☆★)


しばらく見かけないと思っていたら、時ならぬリュック・ベッソン祭りである。本作を含め、リュック・ベッソン(製作・脚本)&ヨーロッパ・コープによる仏製香港映画が短期間に4本集中公開というのだからビックリだ。『トランスポーター3』はイマイチだったが、こっちは滅法面白い。ベッソンもののなかでは、出来のよかったジェット・リー主演作に並ぶ良作ではないだろうか。


話は単純である。未成年の娘が旅行先のフランスで誘拐され、一件して普通の冴えないオヤジに過ぎないが、実は凄腕の元CIAエージェントである父親が96時間以内に娘を連れ戻すため、尋常ではない覚悟で悪者どもを追い詰めていくのである。舞台はパリであるけれども、東欧の貧しい国にルーツをもった地下組織が、若い女性を薬漬けにして売春婦に仕立てるというあたりは、ロンドンを舞台にした『イースタン・プロミス』にも通じるところがあって、あながち絵空事ではないに違いあるまい。故国から女たちを騙してつれてくるよりは、バカでガードの低い未成年旅行者を手っ取り早く誘拐するほうが理にかなっているという説明に、なるほどね、と感心してしまったじゃないか。

原題は『Taken』・・・連れ去られた、ということだ。劇中で、このような犯罪のケースでは通常、96時間以内に被害者を発見できなければ、永久に見つからないという説明がある。邦題『96時間』は、この(ある種の)タイムリミット、運命の分かれ道に由来するものである。

この映画、確かに単純な話ではあるのだけれど、元エージェントという主人公が、わずかな手掛かりから犯人グループに迫っていくあたりの手口を見せるあたりがとても新鮮で、面白い。それより何より、「娘思いの冴えないオヤジが実は凄腕」というキャラクターに、リーアム・ニーソンなどという重量級の役者をキャスティングしたセンスがすばらしい。B級娯楽アクションの荒唐無稽な話のはずが、このキャスティングのおかげでグッと現実寄りに引き寄せられ、なんだか、まともな社会派映画をみているような気分になるのが驚きのマジックだ。リュック・ベッソンらしからず、珍しく脚本の構成や段取りがうまくできているのも成功要因のひとつであろう。冒頭の短い時間で主人公の娘に対する強い気持ちと、実のところは元CIAエージェントであるというキャラクターの説明を、自然な流れのなかできっちり描けているから、あとは娘を救うという大義名分を盾に暴走する主人公に違和感を感じることなく感情移入できるのである。

ピエール・モレルという監督、『トランスポーター』や『ダニー・ザ・ドッグ』といったベッソンもののなかではマトモな作品の撮影を担当し、『アルティメット』で監督デビュー、本作が2作目である。撮影監督らしく無駄がなくタイトであるが、映像的な見せ場はきっちり心得ているし、アクションの撮り方でも変にスタイリッシュぶったりしなでオーソドックスであるところに好感が持てる。この人は、派手な映像やアクションが映画をひっぱるのではなく、キャラクターのエモーションがストーリーをひっぱるのだという、とても単純な真実を分かっているのではないか。そういった意味で、このひと、今後が楽しみな監督だ。

Transporter 3

トランスポーター3 アンリミテッド(☆☆)


リュック・ベッソン(製作・脚本)&ヨーロッパ・コープが次々送り出してきた仏製香港映画とでも呼ぶべき軽量B級映画群のなかで、私が一番面白いと思っているシリーズが『トランスポーター』だ。これも回を重ねて3作目、本作のエンディングから判断するに、これでいったん終止符を打つことになるのだろう。残念ながら、それも致し方あるまい、という出来栄えである。1作目のコーリー・ユン(おお、まさに香港映画人!)がシリーズの基調を作り、後に『インクレディブル・ハルク』で成功を収めるルイ・レテリエが、荒削りながらB級娯楽作らしいダイナミックなアクション演出を披露したところで、今回の監督はオリビエ・メガトンへとバトンタッチ。まあ、そもそも監督云々で見る映画ではないのだが、せっかく肉体を張ったアクションが出来る役者を使いながら、編集でガチャガチャごまかすタイプの演出で、肝となるファイトシーンが台無しである。

しかし、3作目の今回、一番ダメなのは、監督の演出スタイルなんかではない。これまでにもまして知能指数の下がった頭の悪い脚本だろう。リュック・ベッソン製作・脚本の作品群を「仏製香港映画」と呼ぶのは、ジェット・リーと相性がよかったとか、マーシャルアーツを取り入れているとかいうことでなく、「そもそもまともに脚本を用意しているのか?」という侮蔑を、その昔、盗作を恐れてまともな脚本なし量産されていた香港映画になぞらえていっているつもりである。つまり、最初から精緻で観客をうならせるような脚本なぞ、これっぽっちも期待しちゃいないのだが、今回の脚本は、こちらの(存在するとはいえないくらい低い)期待値をさらに余裕で下回ってくれるから恐れ入る。悪役が、自分の目的を達成する上で、こんなまどろっこしい手段をとらなくてはならない理由がさっぱり理解できないのだから、見ていてバカらしくなってくる。

魅力のないヒロインの造詣も、この手の映画においては致命的であると思う。もともとベッソンの好むヒロイン像というのが偏っているというのは過去の作品を一通り見ていればわかることで、一般的な意味合いにおいて「魅力的」なヒロインを期待するのは間違いだとは思っている。しかし、今回、このキャラクターは魅力以前の問題で、みていていらいらするし、腹立たしいばかりである。キャスティングされたナタリア・ルダコヴァの演技(だけでなく容姿)にも問題があると思うが、そもそも脚本が悪いこと、女に興味がないとでもいわんばかりに単調な演出も酷いものだ。このキャラクターに対して、主人公が(最終的には)恋に落ちる理由が全く理解できないのだから、そういう観点からも、作品として破綻しているといわざるを得まい。

Hachiko: A Dog's Story

Hachi 約束の犬(☆☆☆)

神山征一郎監督作品で、わりとヒットした『ハチ公物語』(1987) の米国版リメイクである。ストーリー、エピソードや人物配置は基本的にオリジナルを忠実になぞったもので、主人公が大学教授であるというところまで同じ。米国といってもロードアイランドという土地を舞台に選んだのは、主人公が毎日列車(コミューター・トレイン)で仕事に通う設定で違和感がないことが一番の理由だろう。犬は秋田犬。遠く日本から海を越えてやってきたこの犬は、ご丁寧にも首輪に漢字の「八」の字が書かれていたことから、「ハチ」と呼ばれる。ついでに、映画の最後には、「本当のハチ公は東京・渋谷で主人を待ち続けた犬だ」と紹介が添えられている。それだけなら、まあ、米国を舞台に焼きなおしたが、原典を尊重していますよ、という作り手の誠意のようなものを感じないでもない。

しかし、この映画、どこか座りが悪いのである。それは、「主人公の息子が教室で語って聞かせる、父と愛犬の話」という物語の構造をとっているからだろう。「これは日本で実際にあったお話しにインスパイアされて、米国を舞台に焼きなおしましたよ」と、映画の製作者から観客に説明がある。そういう映画の中で、少年が出てきて、自分の自分の父の話として、過去の出来事として、物語を語る。論理的に矛盾しているとまでいうつもりはないが、なんだか不必要に虚構を2つ重ねているように思えて違和感が残るのだ。

米国人の少年が語って聞かせる話、という構造をとるのであれば、話の内容は「誰からから聞いた日本の話」でも成立するはずである。あるいは、「本当のハチ公は東京・渋谷で主人を待ち続けた犬なんだけど、それを米国を舞台に焼きなおしましたよ」という説明が入るのであれば、少年が父と愛犬の話として物語を語る必然性はなくなる。あるいは、いっそのこと、「みんなの前で話すネタに困った少年が、どこかでみた日本映画のストーリーを自分の父親と愛犬の話として語って聞かせたことがバレて、校長室に呼ばれて叱られる」といったエピローグでもついていたら、よほど座りが良いと思うのだが。そうしたら少年が大きく板書する<HACHIKO>の「KO:公」が、一体全体どこに由来するのかという謎も解けるというものだ。

犬視点での撮影はともかく、犬が死ぬ間際に幸せだった日々を回想するという演出では、いったい涙を流したらよいのやら、吹き出して笑ってしまったらいいものなのやら困るという不思議な気分を味わえるのだが、日本の『ハチ公物語』をそれほど面白いとも思わなかった当方にとって、犬を可愛らしく撮れている点においては米国版のほうが圧倒的に出来が良いと感じた。米国のそれなりに厳しい規制をクリアしながら、犬のしぐさや表情をきっちりフィルムに焼き付けるには忍耐強さも必要だっただろう。アニマル・トレーナーも優秀であるに違いない。まあ、いずれにせよラッセ・ハルストロムなどというビッグ・ネームを担ぎ出してきて作るような映画ではないことだけは確かである。

8/15/2009

Bolt (3D)

ボルト(☆☆☆★)


3D(日本語吹替)での鑑賞。まあ、経験的にも3Dでの字幕は厄介だから、吹替もやむなし、である。個人的にはオリジナルそのままの音声、字幕なしで鑑賞できると良いと思うが、興行としては成立しない。劇場公開という形態を考えたら、観客一人ひとりが好みに合わせて音声や字幕の切替えやON/OFFができるようにすることも不可能。かくして3D映画の興隆でオリジナル音声を聞く機会が確実に減っていくのだとしたら由々しき問題だと思っている。

さて、本作である。ディズニーがPIXARを買収した結果としてジョン・ラセターがディズニーのアニメーション全体の指揮を任されるようになってしばらく経つのだが、本作はその新体制になってから立ち上げられた最初の作品なのだという。新体制の肝は、経営主導による製作ではなく、作家主導による作品作りということに尽きるのだろうし、中身においてはPIXARがそうしてきたような、ストーリー(とキャラクター)に対する徹底的なこだわりの追求、ということになるのだろう。その結果、本作は、これまでの低迷はなんだったのかと思わせる出来栄えで、嬉しくもなるし、恐れ入りもするのである。

飼い主から離れてしまった犬が、大好きな飼い主のところに戻るため、仲間と共に大陸横断の旅をすることになるというシンプルなストーリーを核にした、ファミリー映画の王道をいくドラマである。そこに『トイ・ストーリー』のバズ・ライトイヤーを思わせるような、「フィクションの世界を現実と勘違いさせられている犬」というひねりを加え、笑いを生み出すと同時に、主人公のである犬の内面のドラマを引き出している。過去にトラウマをもつ人間嫌いの猫、TVばかり見ていてこれまた世間知らずのハムスターなど、脇のキャラクターもきっちり作りこまれ、頭の悪い鳩たちで笑いをとる。PIXARの作品がそうであるような、ときに実験的であったり野心的であったり趣味的であったりするような、ある種の「濃さ」には欠けている。が、そのあたりが今後の「DISNEY」と「PIXAR」のブランドのアイデンティティの違いになっていくのかもしれない。

映画の肝となる設定を説明するために設けられた冒頭の劇中劇に感心した。要は、主人公の犬が出演しているTVドラマの撮影シーンなのだが、普通にカットを割って撮影していたりしていようものなら、さすがの役者犬も現実とフィクションを勘違いしたりしない。そこで、「犬の真剣な演技(=本気)を引き出すため」に、ライブ・アクション一発撮りで撮影をしているという、うまいアイディアを持ち出してくるのである。ダイナミックなアクション、手に汗握るスリリングなチェイス、、、と、まあ、実際にこれをこんなやり方で撮影するのはどう考えても無理な話。大嘘を嘘っぱちと思わせないあたりの絶妙のさじ加減。裏方スタッフの働きを挟み込みながら、「これでは犬も自分の超能力を信じるよね」と観客を納得させてくれるし、そもそもアクションが良くできていて、映画の導入、つかみとしては完璧だといってよい。

3D映画という観点からは、この作品が「3D」であることを特別に意識したような演出が目立たないこと、普通に作った映画を自然体で3D化処理しただけのような気負いのなさが印象に残った。3D作品をみるのは久しぶりなのだが、ロバート・ゼメキスの『ポーラー・エクスプレス』3Dや、『ベオウルフ』3Dなどは、3Dを売り物とした過剰な演出が楽しくもあり、鼻につきもしたものだ。自然体とはいっても本作、冒頭のアクションやクライマックスなどの大掛かりなシーンは言うまでもなく、ごくごく普通のシーンにおける奥行きに広がりが感じられ、臨場感や没入感は格段に高まっている。選択肢があるなら3Dで見たいと思わせるだけの有意差はあるのだが、一方で、本作の強み、そして良さというものは、3Dのアトラクション的側面に頼らなくても成立する普遍的な映画としての質の高さでもある。やはり、本当に面白いものはどんなフォーマットであろうとも面白いということか。

8/14/2009

G.I Joe

G.I ジョー(☆★)

いや、見終わった瞬間に、この映画を見たことすら忘れていたというくらい、心にも頭にも何も残らない、ただの暇つぶし映画。駄作とか凡作とか呼ぶほどのものですらない。米国娯楽映画の白痴化を絵に描いたような作品で、ハリウッド映画がつまらなくなったという人が真っ先に槍玉にあげるのに最適の作品である。(そういう意味では存在価値がないわけでもないのか。)

すっかり時代に乗り遅れている当方、「G.I ジョー」と聞けば、リアル志向の米軍兵士アクション・フィギュアだと思っているから、いまや世界の嫌われ者と化した米軍兵士が主人公で映画になるのかね、と思ってみたり、TV版『サンダーバード』がそうだったような人形アニメ、はたまた玩具の兵士人形が活躍するジョー・ダンテの『スモール・ソルジャーズ』(兵士人形が悪役だったけどな)のような映画になるのかしらん、と思ってみたりしていた。(『スモール・ソルジャーズ』はわりと好きだ。)しかし、時代と共にリニューアルを繰り返したハズブロ社の「G.I.ジョー」シリーズは、米国籍を中心とした特殊部隊「チームG.I.ジョー」の面々が特殊装備を駆使し、世界征服をたくらむコブラ団と闘うという非常に退屈な「お子様設定」を与えられ、80年代にアニメ化され、一部で人気をはくしていた模様である。本作、『G.I. ジョー』は、『トランスフォーマー』でうまい汁を吸ったハズブロによる玩具のバックストーリーものアニメの映画化第2弾なのである。

これを任せられたのは、『グリード』で名を上げ、『ハムナプトラ』こと The Mummy 正・続で知られるスティーブン・ソマーズである。派手で荒削りとはいえB級題材をサービス精神旺盛に楽しませる作風は相変わらず。だが、土台が底の浅いお子様アニメであることもあって、大人の観客が本気で面白がれるような内容にはなっていない。悪の秘密結社と戦うヒーロー・チームというセットアップは現代的なビジュアルに反して案外クラシックで、このあたりはソマーズの資質に合うところだとは思うのだが、派手で刺激的なアクションで全編を埋め尽くそうとする意欲とエネルギーはともかく、緩急なしにただただアクション・シーンを羅列した構成には辟易とさせられる。こういった類の刺激というものは、メリハリをつけて緩急をつけるからこそジェットコースター的な面白さにつながるものだ。いくら派手にドンパチやってみせようが感覚が麻痺した観客はスリルも刺激も何にも感じない。悪い意味でのパーフェクト・ポップコーン・ムーヴィーである。

玩具展開上欠かせないマンガチックな秘密兵器や装備が物語の足を引っ張っていて面白くない。こういう類のものは却って、最強チームが最強たる強さや凄さ、格好良さを伝える上での阻害要因になるものだ。せめてガジェットとしてのデザインや機能に新鮮味があれば楽しめるのだが、独創性が皆無でがっかりさせられる。ほとんど描写時間がないわりには主要キャラクターを描き分ける努力をしているのは事実であるが、いかんせん、多人数、非固定式のチーム編成で、大多数はチーム内での役割分担や得意技もよくわからないまま終わってしまう。なかでも一番影が薄いのが主人公(らしき人物)だというのが、本作の退屈さを象徴している。特殊装備なしに闘っているように見える、(特殊装備をつけた人間より速く、強い)黒忍者(レイ・パーク)と白忍者(イ・ビョンホン)の対決だけは、キャラクターの特徴も分かりやすく、そこそこ面白く見ていることができた。

8/08/2009

He is Just not That into You

そんな彼なら捨てちゃえば?(☆☆★)


『そんな彼なら捨てちゃえば?』・・・・まあ、女性向き映画として売るための邦題だ。ここから喚起されるのは、「主体的で強い現代女性が、つまらない男を捨て、恋愛を積極的に楽しむ(明るい)コメディ」を想起させられるけれど、実際のところは、すれ違ってばかりのビター・スウィートな男女関係を描く群像劇なので要注意。

原題は「彼、それほどあなたに入れ込んじゃいないわよ」といったところだ。原作というのだろうか、ネタもととなっているのはSex & the City の脚本家による)同タイトルの恋愛指南書で、これを材料に使って物語仕立てにしたのが本作というわけである。ちなみに、訳書の邦題が『そんな彼なら捨てちゃえば?』で、映画はこちらをいただいてきたようだ。まあ、本作の登場人物が語る恋愛における駆け引きのあれこれが、「原作」由来のネタということになるだろう。物語としては、そうした駆け引きだったり、それに端を発する気持ちのすれ違いだったり、引き起こされる悲喜劇だったりを、複数のカップルの関係性のなかで具現化していくかたちで描かれている。この脚本を書いたのは、『25年目のキス (Never been Kissed)』を書いたコンビ、アビー・コーンとマーク・シルバーステインだ。実はこれ、ちょい役で出演のあるドリューが主催するフラワー・フィルムズの作品なのだ。自身のヒット作であり、佳作を書いたコンビを起用しての映画化、というわけだ。

出演者が多彩である。なにしろ、スカーレット・ヨハンソン、ジェニファー・アニストン、ジェニファー・コネリー、そしてもちろん、ドリュー・バリモアと、特に女優は新旧華のあるところをずらっと揃えている。しかし、作品の柱になっているのは、恋愛下手で損ばかりしている女の子を演じるジニファー・グッドウィンと、彼女の相談に乗って友人付き合いしているうちに情が生まれてしまう青年を演じるジャスティン・ロングだ。この二人、役者としても、役柄としても、映画の主役というよりは、コメディ・リリーフ的な脇役タイプであるところが面白い。そして、映画の一番いいところをさらっていくのが、意表をついてベン・アフレッだ。

"How to" ものというのか、英語でいうところの "Self-Help book" が土台というなら、もっとポップで楽しく、虚実はともかく薀蓄いっぱいの映画に仕立てることもできたであろうし、おそらく、普通はそれを考えるものだと思う。この映画のセンスがよいところは、敢えてそうしなかったところ、コメディ仕立てを装いながら繊細なドラマを狙ってきたところであると思うし、それ自体は評価したいと思っている。ただ、逆に、そういう難しいところを狙ったがゆえにハードルが高くなり、脚本にしろ、演出にしろ、どこか力が及んでいないように思われるのである。少なくとも、軽いコメディを期待した観客をいい意味で裏切り、満足させるだけのパンチはここにない。監督はTVドラマを中心に活躍しているケン・クワピス(私にとっては悲惨な出来栄えだったシンディ・ローパー主演『バイブス/秘宝の謎』の監督、のイメージが未だに離れないんだが)。