2/27/2011

The King's Speech

英国王のスピーチ(☆☆☆☆)


指導者の言葉の重さ。望んだわけではない地位と重責。抑圧された屈折と全てを受け入れる覚悟。理解と友情。

『英国王のスピーチ』は掘り起こされた大変に興味深い歴史的な事実を、的確な脚本と素晴らしい役者たちの人間味溢れる演技によって手堅く描いた良作である。突出しているとまでは思わないが、前評判無しに見たらその出来栄えに喝采したことだろう。

冒頭で描かれる「閉会の辞」の件で絶望的な状況を的確に描出して見せたあとの本題への流れるような導入。節目節目となるイベントの描写を省略し、最後の最後、冒頭とついになる形での「開戦の辞」に向かって全てを盛り上げていく構成も王道なら、対立と和解を繰り返しながら互いへの信頼と理解を深めていく2人の男のドラマとしても、唐突に罵詈雑言と歌が交じったり、いかにも英国的なユーモアのセンスが溢れでたりする爆笑コメディとしても、面白い。開戦前夜、霧のロンドンの雰囲気を出した美術から撮影まで、なかなか丁寧に作られていて隙がない。

しかし、題材の面白さを横におくならば、本作はやはり俳優のための映画であろう。

King's English で、しかも吃音で、人前で話すことのプレッシャーやフラストレーション。端々から透けて見えるジョージ6世の半生。国民のために運命を受け入れようとする覚悟。それらを語らずして見せる演技はやはり圧巻だ。ここ最近の出演作の全てで好演しているコリン・ファースの脂の乗り切った名演を堪能させてくれる。一方、堂々たる態度で自分のやり方を通す「決してドクターとは呼ばせない」言語矯正の専門家を演じるジェフリー・ラッシュ。彼自身も役柄と同じく(植民地)オーストラリアの出身だが、注意深く耳を傾けないと分からない程度のわずかな訛りを残た話し方で、この人物の一筋縄ではいかぬ半生までも演じきる。久々に本領発揮といったところだろうか。

映画はこの2人のためにあるようなものだが、父王ジョージ5世にマイケル・ガンボン、妻にヘレナ・ボナム・カーター、チャーチルにティモシー・スポールと英国名優目録と化した「ハリー・ポッター」組から3人出演している他、兄にガイ・ピアース、大司教にデレク・ジャコビと脇にもいいキャストが並んで安定感が抜群である。

いってみれば、特殊な時代、とても特殊な状況に置かれた男たちのドラマではある。ニュース・フィルムに撮されたヒトラーのアジテーションを見て、「内容はわからないが、たいへんスピーチが上手いようだ」と感想を漏らすシーンがあるが、戦争の影がひたひた迫る時期、国家のリーダーとしての言葉の重さや主人公に課せられた責任の重さであったりという、「状況」をこれほど端的に見せる秀逸なシーンもあるまい。ちょっとした発表やらプレゼンテーションとはワケが違うのだ。

そうはいっても、観客にとって身近で卑近な事例とでも難なく二重写しにできてしまう間口の広さが本作が人気を勝ち得る理由ではあろう。好感を抱くことのできる人物たちが、目の前の困難に必死で立ち向かい乗り越えていく、あるいは、男同士の信頼と友情、そういう物語には、誰にでも感情移入しやすいものだ。

2/20/2011

A Better Tomorrow (2010) 무적자

男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW (☆★)

まあ、場内の客層が、かつてあの名作に心を撃たれた人々というより、茶の間で韓流テレビドラマでも見ている感じの人々だったので嫌な予感がしたですよ。ええ。でも、ジョン・ウーその人がこの脚色を面白いと思い、製作総指揮に名を連ねているというからわざわざ足を運んでみたわけなのだが。

そりゃ、北朝鮮からきた兄弟として、ホーとキットに相当する二人の絆や愛憎を掘り下げるというアプローチもよいとは思うのだけれど。あの「男たちの挽歌」は、やっぱり、あの役者、あの台詞、あの音楽があって『男たちの挽歌』だったのであり、これじゃないんだ。ごめん。

監督のソン・ヘソンは、なんでもタルコフスキーが好きらしいのだが、そんなやつに『男たちの挽歌』を撮らせちゃいかんだろ。

だいたい、長い。123min 。オリジナルは95分だぜ。前日譚というか、物語のバックグラウンドを説明するためだけに尺をとりすぎており、かったるくてたまらない。役者がどれもこれも中途半端にイケメンなのも困る。音楽が湿っぽいだけなのも違う。銃火器によるアクション・シーンはさすが徴兵制の国だけあって(?)迫力満点だが、植木鉢に拳銃を隠すところくらい敬意を払って再現して欲しいものだ。

それに何よりも、マークの「もう頭を下げるのは嫌だ、物乞いは御免だ!お前を3年待ったんだ。二人で巻き返そう!(大意)」という絶叫がないんじゃ困る。足を洗いたいのに、自分の復讐のために足に怪我を負ったやんちゃな二兆拳銃野郎が涙ながらに絶叫して訴える。あそこでグッとくるんだろ。あれがなくって何が『男たちの挽歌』だ!台湾に飛ばされていたジョン・ウーの、ティ・ロンの心の叫びはどこに行ってしまったのか。なんかな、マーク役の役者にもキャラクターにも、あのチョウ・ユンファの見せてくれた愛嬌というか、魅力がないんだな。

とまあ、『男たちの挽歌』を名乗る必然性も感じられないし、名乗るんだったらもうちっとしっかりしろよと思うのはオリジナル好きがゆえ。しかし、それを抜きにして新作の韓国アクション映画としてみても、平凡よりも下の部類だろう。この内容で120分越えなんて、それだけでセンスがないといっているようなもんだ。

Hereafter

ヒアアフター(☆☆☆)

「イーストウッドの大霊界・死んだらどうなる?」・・・かと思いきや、死と直面した人間たちが、そのこととどう折り合いをつけて前に進んでいくかという話であった。

パリ、ロンドン、サンフランシスコを舞台に、3人の登場人物のそれぞれの人生が描かれ、最後にそれが「ロンドンで開かれるブックフェア」を舞台に交差するという構成だ。これが、あの『クイーン』や『フロストxニクソン』のピーター・モーガンの脚本と聞くと、ちょっと意外な感じがする。一見して、商業作品として練りこまれた脚本というのではなく、思いついたアイディアをさらっと書き流したドラフトのままなんじゃないか、それをそのまま映画にしてしまったんじゃないか、とすら思える内容だからだ。実際、彼自身が撮るなら(予算の制約も含めて)「ロンドンの少年」のエピソードに絞り込んで脚本を書き直すつもりでいたという。

まあ、本当に驚くべきなのは、こんなにラフに見える脚本から、自然体でさらっと撮ったが如くを装いつつ、独特のリズムで「映画」を紡ぎ出してしまうイーストウッドの演出術なんだろう。世評では不評気味な本作だが、それは、さすがに近年の神憑った傑作連打の流れにおけば「弱い」作品だとはいえ、私はこれ、嫌いではない。それどころか、なんでこういう映画が撮れてしまうんだろうか、どうしてこれで映画が成立してしまうんだろうか、と感心してしまう。

まあ、前作の『インビクタス』も本作に似てかなり不思議な映画で、題材としての圧倒的な「事実」が映画を成立せしめているように見えなくもなかった。それ故に、分かりやすい映画でもあった。が、本作は、そういう題材やストーリーの強さすら取り払って、そのあとに残る、無意識、無作為に見えないわけでもない剥き出しの演出術だけで成立している作品のように思えたりもする。

特に印象に残った個別の話としては、まず子役がいいということ。経験のない素人の双子だということだが、うまい演技を引き出せるものだ。そして、マット・デイモンはやっぱりいい役者だということ。自然に役柄に馴染んでいるし、台詞では説明されない内容を、観客にきっちりと伝えるさじかげんも心得ている。それに、クッキング教室での目隠し試食がエロいこと。枯れてないなぁ、あいかわらず変態的だなぁ、イーストウッドは。ブライス・ダラス・ハワード、シャマラン映画で見る彼女も良かったが、確かに痩せ型でイーストウッド好みの女優かも知れない。また出演して欲しいものだ。

あとひとつ、映画の本当に最後に近いあるシーンで、マット・デイモンの妄想?らしきシーンが唐突に挿入される編集には心から驚いた。いや、妄想だと受け取ればそれはそれで分からんでもないのだが、この映画、あの瞬間まで、基本的にああいう心象風景を実際に画にしてみせるということをしていないじゃないか。妄想にありがちなぽわわわわ~ん、と音の出そうなフェイド・イン/アウトをやっているわけでもないから、初めは「やけに強引なジャンプカットだな」と思ったくらいだ。直後、もとの場面に引き戻されて、え、妄想?予知?過去に予知した場面のフラッシュバック?将来のできごとを垣間見せるフラッシュフォワード?(それは結局予知と同じか)、と挿入された意図を考えだしたら、もう分からない。狐に摘まれたような気分だが、一方で、あのカットなしには本作が成立しないようにも思う。不思議な映画は、最後の最後まで不思議であって、しかし、心のなかに忘れ難いイメージを残すのである。

2/13/2011

How Do You Know

幸せの始まりは(☆☆☆)


70歳になる大ベテラン、ジェームズ・L・ブルックス、監督としては2004年の『スパングリッシュ 太陽の国から来たママのこと』 以来となる新作で、得意の大人のロマンティック・コメディ路線。いつものように脚本も兼ねている。最悪だと思えた状況が、何かのきっかけで思いもしない方向に好転することだってあるんだよ("How Do You Know?")、というメッセージも心地よい。

ソフトボールの全米選抜チームで活躍してきたが世代交代を進めるチーム方針でお払い箱とされた女性(リース・ウィザースプーン)が、女遊びの派手な人気のプロ野球選手(オーウェン・ウィルソン)と勢いと成り行きで付き合い始めるがしっくりいかない。そんな折、職務における違法取引の嫌疑で刑務所送りになりそうな上に、恋人とも別れ、父親からのプレッシャーもあって切羽詰っている男(ポール・ラッド)が、知人の紹介でこの女性と食事を共にし、恋に落ちてしまう。

なにか取り立ててすごい作品というわけではないのだが、いつものこの監督の仕事らしく、単純な三角関係コメディのようでいて、複雑な人生と心の機微を流れるような語り口で見せる、過小評価されている佳作。リース・ウィザースプーン好きやオーウェン・ウィルソン好きなら楽しめるだろう。リースが演じる前向きに努力と根性で頑張ってきたのに、人生のターニングポイントでそのすべてを失ってしまった切なさをこの人らしく演じているのと、実にお気楽でいい加減な男のように見えるオーウェン・ウィルソンが、子犬のような目でいいところをさらっていくのが見所である。

オーウェン・ウィルソンや、ジャック・ニコルソン演じるポール・ラッドの父親役などが、基本的に自己中心的な本音を隠さない自由奔放なキャラクターとして描かれているのに対し、映画の中心となるリース・ウィザースプーンやポール・ラッドは、周りの期待に応えなくてはならないというプレッシャーのなかで、本音を押し殺していたり、本音がなんなのか分からなくなっているキャラクターである。不器用といえばそうだし、誠実といえばそうだ。自己主張が強くなければ生き残れない米国では、割を食うタイプの人々だともいえる。本作のポイントはここにあるのだろう。

映画は主役2人のひととなりを描き出すために、中盤、少々まどろっこしい展開になって、映画の流れが停滞するのが欠点だが、ある意味、そこにこの作品の誠意があるようにも思う。こういう2人だからこそ、の名場面もある。

ジャック・ニコルソンは監督と縁が深いのだが、まあ、ラッドにプレッシャーを与える偉大で怪物的な父親という役柄を考えればこれ以上にないキャスティングではあるが、脇役なのに必要以上の存在感で目を引いてしまい、少しバランスが崩れている気もするかな。

2/11/2011

The Wall Street: Money Never Sleeps

ウォール・ストリート(☆☆★)

『ウォール街』の続編である。が、同じ雰囲気の作品ではない。いや、もっといえば、これはまるっきり違う構造を持った作品である。同じなのはマイケル・ダグラス演ずる懲りない悪役ゴードン・ゲッコーとトーキングヘッズの曲(エンディング)くらいなものだ。

前作は、「一人の野心的な若者の成功と挫折」としての普遍的なドラマのかたちを借りていた。その上で、市場参加者の一人としての架空の人物とそのインサイダー取引を例示しながら、より大きなもの=時代を描出する作品であった。そして、そのことが製作された80年代半ばの「旬」を感じさせる臨場感につながっていた。

今回はどうか。

ここではマイケル・ダグラスの演じるゴードン・ゲッコーというキャラクターをダシにしているが、前作と逆に、ある程度認知された大きな「システム」の姿とそのカラクリの構図を描くことが先にあるのではないか。そして、複雑な現実を分かり易く単純化するために、それらしい架空の登場人物が配置され、それらしい架空の事件が設定されている。まず、そこが大きな違いであるように思う。

もちろん広い意味でいうなら、「今という時代」を描く映画であり、アメリカの現代史の一断面を描き続けるオリバー・ストーンらしい作品の系譜につらなるものではある。しかし、現在進行形の何かを描いているのではなく、すでに「過去」となった出来事を観察してみせる映画であるということが、前作との決定的な差異であろう。現代を描いていながら、今を描いた映画ではないと感じさせる微妙に劣化した鮮度の問題は、本作の発する熱量の低さにも繋がっている。

その2つの意味において、前作の再現を望んだ観客の期待は裏切られている。前作視点で言えば、本作は「あの魅力的だったキャラクターが、現実に起こったこの10年のイベントをどう理解し、彼なりの立ち位置でどう生き抜くのか」という後日談でしかない。いってみれば、前作の出涸らしだ。演出や映像スタイルも、前作との連続性を重視したのか、一時代前的な古さすら感じさせる。

比較に意味があるかどうか分からないが、同じ00年代を舞台に、大量の投資マネーが流れ込んだ先で起こっていた熱狂(のひとつ)を題材とした『ソーシャル・ネットワーク』のほうが、前作の持っていたのと同種の「熱」を発している。個を描くことで時代を描くという立ち位置も同様。もっといえば、映画のスタイルとしても今を感じさせる刺激があり、別の角度からとはいえ、金融の現代的ダイナミックさを描出することすらできていた。

まあ、そのあたりが、本作の印象を平凡なものにしている理由であるし、前作のファンからもあまり良い評価を得られない理由に違いない。

本作で語られている教訓は、結局のところ「金と欲だけではない"Priceless"なものがある」という、手垢のついた当たり前の話である。ただ同時に、それ以外は結局全て人間を突き動かしているのは「金と欲」であって、愚かな人類は同じことを繰り返しているのだとも語られている。新しく台頭してきている世代の、これまでと少し違った価値観の萌芽も描かれているが、オリバー・ストーンはそこに過度の期待を見い出しているわけでもなさそうに見える。シニカルではあるが、そういう少し煮え切らないところが本作からカタルシスを奪ってしまっている。

2/10/2011

The Green Hornet

グリーン・ホーネット(☆☆★)

j実はちょっと肩身が狭いのだが、ラジオドラマも、ブルース・リーの出演で知られるTVドラマも名前くらいしか知らない。そんなわけなので気楽にいえば、これはちょっと金がかかっていて、いつもより少しはしゃぎ気味のセス・ローゲン主演のコメディ映画である。監督はミシェル・ゴンドリーだが、脚本も手掛けるセス・ローゲンの色が濃厚。

簡単に言えば、ヒーローにあこがれるボンクラ2代目が、「偉大な父親の影を払拭し大人になる話」であり、「パートナーである有能なKATOとの男同士の幼稚っぽい友情と馬鹿騒ぎの話」である。だから、「スカッと爽快なヒーローもの」なんぞを期待すると肩透かしを食らうと思うのだが、ほのぼのと楽しいお気楽コメディとしては及第点。

残念なポイントは、『イングロリアス・バスターズ』で受賞後としては最初の出演作になるクリストフ・ヴァルツの役柄が思ったほどに面白くなく、彼の本気の実力を目にした後では拍子抜けしてしまうことか。でも、このがっかり具合は結構大きいな。

予想外によかったのは、Kato を演じる台湾のスター、ジェイ・チョウだ。ブルース・リーの代わりだと思えば無理があるが、この子犬のようなキュートさはちょっといい。セス・ローゲンとのコンビもしっくりきているし、基本がコメディであるという本作のテイストにもあっている。実現までに2転3転したキャスティングが、結果としてよいところに落ち着いたものだと思う。

付け加えると、今回は完全に脇役扱いのキャメロン・ディアスが、相変わらずコメディエンヌとしての勘所の良さを発揮していて好印象。やっぱり、この人はわかっている。

3D映画として作られているが、書割りのような不自然さのあるシーンも多いし、エンドクレジットが一番飛び出しているというあたりが失笑ものである。選択肢があるなら2Dで見てもいいレベル。ただし、中盤登場するスプリット・スクリーンでの3D演出は際立って新鮮だった。分割されたそれぞれの画面がサイズが変わったりするだけでなく、3Dで、前後に奥行きをもって配置されたり移動したりするんだな。これは今後、他の作品でも真似されて使われるんじゃないか。本作最大の収穫といえるかもしれない。(大げさ?)

2/06/2011

RED

レッド(☆☆☆)


かつての凄腕たちが集まって大奮闘、といったら、『エクスペンダブルズ』と似てる?なんて云われてしまうんだが、いや、ぜんぜん違うぞ。あちらはリアルに「ひと昔前の名前」な人たち+αが、昔風の頭の悪いアクション映画を復活させたのがミソなんだが、こちらは、(年齢こそあれだが)現役トップクラスのベテランたちが集結して、「引退した凄腕エージェント」を楽しそうに演じるコミック原作のアクション・コメディ、なんだからな。

主演はもちろん、ブルース・ウィリス。ああ、この人も「引退」した年金暮らしを演じる年齢になったかと思うと感慨深いものがある。で、すごいのは共演者。モーガン・フリーマン、ジョン・マルコビッチ、ヘレン・ミレン、ブライアン・コックス、リチャード・ドレイファス、(なんと)アーネスト・ボーグナイン。あと、ヒロインがメアリールイーズ・パーカーで、ライバルがカール・アーバン。

まあ、モーガン爺さんとマルコビッチは平気でヘンな映画にも出る人たちだから、あんまり驚きははない。

・・・が、こういう映画にヘレン・ミレンが出ているというのは意外な印象である。

女王陛下まで演じた演技派の大女優が、バカでっかい銃器を抱え、プロの殺し屋を可愛らしく演じていいところを全部さらっていく。間違いなく本作一番の見所は彼女である。

もうひとつの見所は、いったい今いくつなんだという歳のアーネスト・ボーグナインの登場だろうか。私の世代だと、失礼ながら映画スターというより「エアウルフ」に出てたおっさんという印象のほうが強かったりするのだが、この人の独特の風貌を、21世紀のいま劇場でお目にかかれるとは思わなかった。ちょい役だが印象的。作り手の敬意が感じられる。

年金暮らしだか、かつての凄腕エージェントで、引退後(Retired)も超絶的に(Extremely)危険(Dangerous)とされるブルース・ウィリスが何者かの抹殺ターゲットになり、MI6からロシアのエージェントまで、昔の仲間(や敵)を巻き込んで背後の陰謀を暴いていくという話。まあ、昔関わった事件を口外されないようにするために、関係者の口封じをしようとしていたっちゅうありがちな展開だが、謎解きが主眼の映画ではないし、なによりコメディなので、これでよし、といったところである。

アクションはマンガっぽく派手だが、大味ではある。また、出演者の年齢にあわせてなのかなんなのか、演出のテンポがもっさりしていてキレが悪い。が、そのテンポが醸し出すお気楽ムードは悪くないと思う。あと、カール・アーバンが格好いい。見ているこちらは、もう、「ドクター・マッコイ」だと思っているんだが、あんなに筋肉質でアクションのできるドクターってのは凄いぞ(違)。

主要な登場人物の一人が死んでしまうが、あれを殺したのは映画のムードからしたら間違いだろう。せめてエンドクレジット後にひょっこり顔を出す、とかの遊びが欲しかった。まあ、役者との契約で、例えヒットしても1本限りとかになっていたのかもしれないが。

The Town

ザ・タウン(☆☆☆★)


地元の狭いコミュニティで、代々当たり前のように銀行強盗を繰り返しているグループの実行犯のリーダー。成り行きで人質にとったのちに開放した銀行職員の女性が近隣の居住者であることを知り、念のため様子を伺うことにして近づいたところが、次第に女性との交流が深まっていき、今いる場所と生き方を捨て、彼女と共に新しい人生を始めたいという思いが強まっていく。しかし、義理、人情、周囲のしがらみがそれを許さない。FBIの捜査の手が迫る中、レッドソックスの本拠地フェンウェイパークを舞台に最後の大仕事が始まる。

まあ、有り体に言えば、組織を抜けて堅気の女と一緒になろうと夢見るヤクザの話、のようなもんか。

ボストン出身で、デニス・ルヘイン原作の『Gone Babe Gone』 で(日本では劇場未公開ながら)見事な監督デビューを飾ったベン・アフレックが、再び勝手知ったる地元を舞台にした犯罪ドラマを手掛けた。本作の舞台となるCharles Town は、同様にボストン市街の周辺部に位置する South Boston (『The Departed』, 『Good Will Hunting』 の舞台), Dorchester (『Gone Baby Gone』 の舞台) と並んでガラの悪い、あまり治安の良くないイメージのある場所だ。本作中、刑務所内で3つのエリア収監者での覇権争いがあるというような台詞があって、そんなものかと納得してしまっていいのやら、どうなのやら・・・・と思っていれば、エンド・クレジット前の申し訳なさそうなexcuse に笑いを禁じえず。そうだよね。

この映画、派手なイベント映画ではないが、ドラマに見応えがあるし、アクションもいい。前作ではあまり大掛かりなアクション・シーンはなかったが、本作は冒頭の銀行強盗のシーンに始まり、市街地でのカーチェイス、クライマックスでの大銃撃戦などが盛り込まれ、低予算ゆえの「リアル」な撮影が迫力を増している。アクションシーンは長尺版よりも短くカットされているというが、劇場公開版でも物足りなさは感じない。特にカーチェイスはよくできていて、米国の街にしては欧州風でもあるボストンの狭い路地でのアクションは見応えがあった。フェンウェイでの銃撃戦もかなり壮絶だ。お手本にしたらしいマイケル・マンの『ヒート』風味を感じさせる。

キャスティングがいい。役者の実力が十二分に引き出されている。恐るべき花屋のオヤジを演じるピート・ポスルスウェイトの貫禄、幼馴染の兄弟分を演じる単細胞で凶暴なジェレミー・レナーの化けっぷり、その妹で主人公の愛人状態になっているブレイク・ライブリーの安い崩れっぷりと色気なんかは特にいい。役者の力を借りながら、映画で描かれていない、もしくは公開版からはカットされてしまったキャラクターの背景や厚みをにじみ出させることができている。ベン・アフレックの映画にまつわるエピソードでは、前作でも「ところで君、一体ボストンのどのあたりの出身なの?」と勘違いされるほどに「訛り」をマスターしてくる役者がいたのだが、本作でもまた同様、カリフォルニア育ちのブレイク・ライブリーの真に迫った訛りっぷりに本気を見る。

俳優としてのベン・アフレックは不思議な人で、CIAの分析官、などという頭のよさそうな役を演じると阿呆っぽく見えるのに、地元のチンピラというような頭の悪い役を演じるとどこか賢く、格好良く見える。本作における彼は後者。ジェレミー・レナーと比較すると顕著で、吹き溜まりの中で一人だけ、格段に理性的に見えてしまうのである。実はそこが本作ではうまく効いていて、かつて街を出るチャンスをモノにしながらふいにした経緯や、家庭の事情などのバックストーリーが明らかになるにつれ、この男が「よそもの」である女性に惹かれ、人生をやり直したいと願う気持ちの切実さが伝わってくる。

この映画のエンディングは原作とは異なるが、この改変が許容範囲だと感じられるのは主人公のキャラクター、ひいてはベン・アフレックの個性ゆえだろう。脚本を書いた出世作『Good Will Hunting』 では街に残って見送る側だったアフレックだが、ここにはあの作品のエンディングのテイストも遠くで二重写しになっているように思えたりもするのである。

2/05/2011

Law Abiding Citizen

完全なる報復(☆☆☆)


この映画、宣伝がミスリードしようとするような「社会派の問題作」などでは、決して、ない。そんな風にこの映画を見ると拍子抜けして怒っちゃうんじゃないだろうか。

押入り強盗2人組に妻子を殺された男(ジェラルド・バトラー)は、事件を担当した検事(ジェイミー・フォックス)が事件の主犯との司法取引に応じ、一人を極刑とするものの、証言に応じた主犯者が軽微な罪にしか問われなかったことに衝撃を受ける。10年後、自ら残虐な方法で犯人たちに復讐を遂げた男はあっさりと逮捕されるが、牢獄のなかにいながらにして事件に関与した司法関係者たちの命を脅かしていく。

「捜査段階での不備により決定的な証拠が不採用となってしまった際、犯した罪に見合った裁きを下すことよりも、有罪を勝ち取ることを優先し、証言を得るために行った司法取引の是非」とか、「その結果、重大な犯罪を犯した凶悪な人間が、短期間のうちに罪を許され釈放されてしまう現実の是非」・・・・、などといえば、社会派っぽくなっちゃうのだが、本作においてそれは本題ではなく、奇想ともいえる手口で法のシステムを翻弄する男と、それに対抗する男の、それぞれの正義と信念をかけた闘いを描くためのエクスキューズなのである。

単に善悪の闘いとしても映画は成立するだろうが、悪党を単なる悪党とせず、同情に値すべき動機を与えることで、ピカレスク・ロマンとしての面白さが出ている。そう、これはそういうちょっとした暇つぶしに最適な「面白娯楽映画」である。

ちょっと強引ともいえる設定で、しかしBっぽい面白さを優先させてしまう脚本は、カート・ウィマー。映画好きには「ああ、ガン=カタの、」で通じるだろうか。近作『ソルト』の脚本にも名前がある。監督は、かつて『交渉人』でサミュエル・L・ジャクソンとケヴィン・スペイシーの男の対決を撮ったF・ゲイリー・グレイだ。そんな2人の作る映画のテイストは、だから、社会派の真面目な映画を期待した観客には合わないんじゃないかと思うのである。

中盤でジェラルド・バトラーの「正体」が明らかになったとき、ワクワクしちゃうか、萎えちゃうか。

もちろん、そこで盛り上がるのが、本作の正しい楽しみ方なんだと思っている。見ればわかることだが、そこにある強引さや飛躍こそが、本作のサービス精神であり、そういう作り手の姿勢が「面白娯楽映画」としてのキモなのだ。まあ、正直、そこであんまり盛り上がってしまうと、今度は、この男の本当の手口が明らかになったときにちょっとがっかりするんだけどな。

主演、ジェラルド・バトラーは最近ではロマンティック・コメディなどにも出演が多いが、やはり『300』のイメージは強烈で、タフガイをやると似合う。本作では決して筋肉バカではない、知的なタフネスもイけるところを見せてくれていい感じだ。ダンディで、タフで、知的で、ロマンティックで人間的、ときに馬鹿っぽかったりもする。なんか、そう考えると、この人の個性はどこかジョージ・クルーニーあたりに近いかもね。