11/20/2010

Harry Potter and the Deathly Hallows Part 1

八リー・ポッターと死の秘宝 Part 1(☆☆☆)

「ハリー・ポッター」シリーズもとうとう最終巻となる第7巻の映画化である。今回が前編、来夏公開のPart-2 で完結となる。2001年から始まった映画化シリーズは、途中で大きく失速することもなく、10年越し(あと1本)で8本の連作が完成することとなったわけだ。これは、素直に凄いことだと思う。

この映画シリーズにはいろいろな楽しみ方があるが、基本的には映画としての過度の期待なしに、原作の動画挿絵集くらいのつもりで見るのが良いと思っている。リアルタイムで物理的にも演技的にも成長していく主人公たちの姿を見守るのも楽しいし、時代を代表する英国名優図鑑としての楽しみもある。そうそう、本作では新たにビル・ナイ、リス・アイファンスがキャストに名を連ねた。2人とも脇役ではあるが、楽しそうに演じている。

監督は5作め以降、デイヴィッド・イェーツで定着し、本作で3本目。前2作はそれほど褒めた出来ではなかったが、今回はわりといい。少し「子供向け」の範疇を越えたハードな描写も交えたダークなトーンのなかで、クライマックスに向かう緊張感や緊迫感が出ているし、舞台が「外」に場所を移すことでスケール感の感じられる画作りも見られる。なにより気に入ったのは、タイトルの「死の秘宝」にまつわる魔法世界の説話が語られるシーンでのアニメーションで、ここだけ独立した作品としても見応えがあるくらいに素晴らしい出来栄えだと思う。

もちろん、「前編」の宿命として話が完結していない弱さはあるし、2本分割で余裕が出たがゆえの中だるみもある。他には、たとえば5作目で登場したイメルダ・スタウントンのキャラクターをお笑いに振り過ぎた後遺症も残っていて、ひとりだけ場違い感満点である痛さもあったりする。が、次回 Part-2 の長い長い予告編としては望みうる最良の部類には違いがあるまい。

今回、2本に分割されたことで、原作からの大きな変更や割愛は避けられたようだ。もっとも、これまでの映画シリーズの中での扱いの大小にあわせて調整がされているようで、扱いが悪くなったり小さくなったりしたところはある。また、これでもなお説明不足というか、原作を読んでいないと意味が分かりにくい部分が残っていたりもするが、映画シリーズをひと通り見てきていれば混乱するほどのものではないだろう。尺の余裕ゆえ可能になったことだろうか、キャラクターの心情に寄り添ったり映像的な見せ場を作る意図で挿入されたシーンがあるが、概ねストーリーテリングのうえで効果的であったと思う。

今回は3D化を目論んでいたが変換プロセスがうまくいかず、2D版のみの公開となった。出来上がった作品の撮り方や編集を見る限りでは、3Dを意識したそれにはなっていないから、3D化断念は大英断だったと思う。Part-2 もそもそもの作りが大きく変わっているとは思えないので、作品という意味では2Dのままでいいんじゃないか。ただし、興行的にはこういうヒット確実な作品で、しかも3D箱で上映しておきながら、3D分の上乗せが見込めないあたりが辛いところだろう。

11/14/2010

Twilight Saga: Eclipse

エクリプス トワイライト・サーガ(☆☆)

あっという間にシリーズ3作目。原作は4部作だが、最終章は2本に分けて映画化される模様。

今回、映画本編の始まる前に、特別編集「これまでのあらすじ、設定ご紹介」が流された。レンタルだろうと放送だろうといくらでも前作を見る機会がある今の世の中、正直、この映画を「見たい」と思って劇場にくる客が、1~2作を見ていないというのもレアなケースだろう。してみると、この前説は、こんな映画には興味もないのにデートで彼女に付き合うことにした男の子向け、なのか、昨今物忘れが激しくなってきて、全部見てきたくせに細かい設定なんざ覚えちゃいない当方みたいな観客向けっていうことだろう。

さて、今回のお話しである。2作目でいったん離れ離れになってひと騒ぎあったものの元の鞘におさまった主人公カップル。舞台は再びシアトル郊外の田舎町。高校を卒業したら前作での約束通りヴァンパイアの一員になると決心しているヒロインに、自分と同じ苦しみを与えたくないと苦悩する優等生彼氏。そこに、「俺と一緒になればそんな苦しみとは無縁だぜ」と上半身裸の人狼君が割って入り、あらためて3角関係ごっこがぐだぐだと展開される。一方、1作目で敵対した勢力の生き残りである赤毛のヴァンパイアがしつこくヒロインをつけ狙い、とばっちりを受けた草食ヴァンパイア一族と人狼一族が共闘し、赤毛が作りだした凶暴な戦闘部隊と一線交えることになる。

まあ、なんだ。乗りかかった船なので、次は少しくらい面白くなるか、盛り上がってくるか、とちょっとだけ期待しながら見続けている。が、予想通り、ちっとも面白くならないので困ったものだ。

今回は三角関係がヒートアップし、ヒロインを守るために嫌々ながら共闘したり、半裸男に寝取られを許したりというのが見せ場だろうか。また、人狼一族に聞かされた一族を守った女性の勇気ある行動、吸血一家から聞いた南北戦争期に恋愛感情を利用された苦悩などのエピソードが現在とシンクロしてくるドラマ性もある。本当に見るべきもののなかった前作よりは内容が濃い。

が、これはもう、原作の問題だと思うのだが、そもそも、おはなしがそれほど面白くないんだな。少女漫画なんだからそんなものといわれたら返す言葉もないが、そもそも自分中心で身勝手なヒロインに好感を持つことができない。人狼にも期待させる素振りを見せたり、振っておきながら自分や家族のみを守るために利用しようとする性根が悪い。こんなやつはさっさと吸血されて魂を失ってしまえばいいのである。

そんなヒロインを苦悩の表情で見つめるばかりの彼氏と、諦めの悪い半裸の人狼については、まあ惚れた弱みというか、自業自得のうちだと思うのだが、その仲間や一族は、ヒロインさえいなければ起こらなかった争いに巻き込まれているようにしか見えない。いっそこの小娘さえ殺してしまえば全てが円満になるんじゃないか。

前作でスケールが世界規模に大きくなるのかと思いきや、またしてもシアトル郊外の田舎町という小さな舞台での小競り合いに収束していくあたりも、なんだか、もうどうでもいいから勝手にやってろ、という気分になってくる。

しかし、このシリーズは作り手にとっては鬼門だろう。ハイペースでの続編製作を可能にするため、毎回監督を替えているのはご存知のとおりだが、そこそこまともな映画を撮れるはずの人たちが、次々と評判を落としている。前作では『アバウト・ア・ボーイ』のクリス・ワイツが、本作では『ハード・キャンディ』のデイヴィッド・スレイドが犠牲になったが、次回作はホラーものにも造詣の深い『Gods and Monsters』のビル・コンドンが登板しているということだ。ああ、ビル・コンドン!ご愁傷さま。。。

11/12/2010

Machete

マチェーテ(☆☆☆★)


『マチェーテ』は、俗悪エクスプロいテーション映画の顔をしているが、それは上辺のお遊びに過ぎない。

見れば分かることだが、娯楽大作の顔をしていながら基本が出来ていない作品が横行する中においては稀なくらいに真っ当で、よくできた娯楽アクション映画である。それと同時に、荒唐無稽を装いながら、実に現代性、社会性のある真面目な映画でもある。

部分的な瞬発力はあっても全体的な構成力に欠けるロバート・ロドリゲスの作品にしては、ストーリーも、構成もかなりまとも。緩急もあるし、バランスも良い。そういう優等生的な作品をロドリゲス兄貴に求めるかどうかは別として、これはかなり出来がよい部類の作品、広くオススメしたい1本である。

・・・とはいっても、もちろん、過剰なバイオレンスや無駄なエロ描写に抵抗がなければ、の話である。

まあ、それも想像がつくとは思うのだが、それぞれ「過激バイオレンス」、「無駄エロ」の真似事、ごっこ遊びの範疇であって、たいしたことはないんだけどね。何しろ、これは俗悪映画2本立てを再現する『グラインド・ハウス』の冗談予告編から発展したスピンオフ(?)なのだから。だいたい『グラインド・ハウス』という企画そのものが、低俗映画「風」のごっこ遊びであったわけで、本作のエログロ描写が「お約束だからやっている」という模倣の域をでないのは当たり前である。それを腐すより、一緒に笑って楽しむのが吉というものだと思うのである。

さて、おはなしはこんな感じ。

主人公、コードネーム「マチェーテ」はテキサスの日雇い労働者に身をやつしていたメキシコの凄腕麻薬捜査官だ。不法移民排斥を訴える上院議員(ロバート・デニーロ)の暗殺を強要されるが、それは罠であり、暗殺未遂犯として追われる身ってしまう。上院議員の周囲にはドラッグ・マネーに絡んだ陰謀が存在しており。かつて妻子を惨殺した麻薬王(スティーヴン・セガール)や、自警団の男(ドン・ジョンソン)らを敵に回して闘うことになる。主人公に手を貸すのは、彼が兄と慕うカトリック神父(チーチ・マリン)や影で移民を支援する女(ミシェル・ロドリゲス)、そして女警官(ジェシカ・アルバ)。追いつめられた主人公だが、虐げられてきた同胞たちと共に「戦争」に挑む。

ストーリーの核に据えられている米国に流入するヒスパニック系移民をめぐる問題は、まさにいまそこにある現実であり、洒落にならないところまできている。本作も、「マチェーテ」のために荒唐無稽な話を作ったというよりも、少しだけ誇張された現実の中に「マチェーテ」という荒唐無稽なキャラクターを放り込んだ、というほうが正しいくらいである。

それを思うと、本作のクライマックスが「怒りが爆発した主人公の大暴れ」ではなく、「虐げられてきた人々が団結して蜂起」する展開であることも納得がいく。フィクショナルなキャラクターの活躍で溜飲を下げる段階はとうに過ぎているということだろう。そこには、作り手の「同胞」に対する連帯意識とアジテーションが少なからず含まれていると読み解かねばなるまい。

トリプル・ヒロイン体制で、一番特をしているのがミシェル・ロドリゲス。強いばかりか美しく、これまでにない魅力が出ている。ジェシカ・アルバはいい役をもらっているが、こういう映画で脱がずにCG処理っていうのが潔くない。可愛く魅力的に撮ってもらっているが、やはり株は下がったといえるんじゃないか。また、かつての名子役で人気絶頂のアイドルだったリンジー・ローハンが見るも無残な役柄・容貌で出演しているが、ここから先、彼女がこのまま身を持ち崩していくのではなく、ドリュー・バリモアの奇跡を再現できるよう祈っておこう。

11/06/2010

Brooklyn's Finest

クロッシング(☆☆☆)


北朝鮮を描いた壮絶な人間ドラマ、じゃないほうのやつ。アントワン・フークアの野心作、"Brooklyn's Finest" である。

リチャード・ギアが珍しい役をやっている。ブルックリンの警官。制服組で定年間近。厭世感たっぷりでやる気もなく、トラブルの現場も見てみぬふり。ただただ面倒を避けて勤めを終え、チャイナタウンで馴染みの娼婦を抱く。コンビを組まされた若い警官にも愛想をつかされる始末だが、あることをきっかけに、彼の心の中が少しだけ動く。無事に引退の日を迎えバッジを外したギアだったが、偶然、行方不明として捜索願の出ていた女性が薬漬けにされ、どこかに運ばれる現場に出くわす。

同じ警察署には、身重で喘息持ちの妻や子供たちのために引越しを望んでいながら金の算段がつかないイーサン・ホークがいる。無理を云って契約した物件に対する手付の期限が迫っているが、警官の安給料ではまとまった金を作るのは難しい。焦燥したホークは殺人・強盗も厭わず、捜査現場からのドラッグ・マネーの横領を画策する。

また、この管轄の犯罪組織に潜入捜査をしている男、ドン・チードルがいる。長年の潜入捜査により、家庭は崩壊してしまった。そろそろ捜査から上がりたいと望む男だったが、警官の不祥事による失点をカバーするため目立つ実績作りに躍起のFBI(エレン・バーキン)や上層部(ウィル・パットン)から、男の命の恩人でもある犯罪組織の主導者(ウェズリー・スナイプス)を偽の取引きに誘い込むよう指令を下される。板挟みで悩み苦しむチードルだったが、彼を信用しきったスナイプスに取引を持ちかける。

三者三様の物語が、犯罪の巣窟と化した大規模公営住宅を中心に展開される。並行して語られる3つの物語は最後の最後になって一瞬だけすれ違うが、絡み合うことはない。邦題、クロッシングは、3人がどこかで交差するとでもいいたいのだろうが、ちょっと微妙だ。(「裏切り」かとも思ったが、違うんだな。)

出口のない街で繰り広げられる、ビターな物語を、まさにそのまま重苦しく真面目に描いて、アントワン・フークアの力の入りようはよくわかる。ヒーローとしての警官ものではなく、娯楽映画としてのファンタジーでなく、ドラマの中で幾度となく登場した「典型」をより現実に引き寄せ、一面的ではないキャラクターとして肉付けし、ドラマとして再構築しようとする試みである。が、3人の物語が並行して描かれるばかりで一つの物語として絡み合っていかないため、それぞれが、そこそこに面白いとはいっても、結局のところ重いくせに薄味で満足感が足りない。結論のでない答えを考えさせられて疲労し、スッキリしない。クロスしない3つの物語に132分は、ちと長いだろう。

あるいは、個人的事情から悪徳警官に落ちていったイーサン・ホーク、厳しい潜入捜査に耐え、上層部の勝手に振り回されながら個人としての正義を貫こうとする(ある意味での)ヒーローであるドン・チードルが、物語の定石どおりの結末を迎えざるを得ないのに対し、そうしたものと無縁でやってきたリチャード・ギアが本作における予期せぬヒーローとして物語を静かに締め括る役割を担っていることから、表面で語られているストーリーとは別に、単に皮肉というのでもなく、そういう物語の構図や構造から何かを読み解くことが期待されているのかもしれないと思ってみたりもする。そうだとするのなら、アントワン・フークアの野心はともかくとして、力量がちょっと足りないんじゃないだろうか。作り手自体が、物語の構造よりも、物語の中で起こる出来事に興味を引きずられているように思う。