11/06/1999

The Insider

インサイダー(☆☆☆☆★)

タバコ会社は、その製品の有害性、嗜癖性を認識していたのか。ラッキー・ストライクなどで知られる大手タバコ・メーカーの研究開発トップを追われた男は、それに関わる守秘義務を巡って会社からの圧力を受けていた。運命は彼をCBSの『60ミニッツ』のプロデューサーと巡り合わせる。しかし、タバコ会社からの訴訟を恐れたTV局は、番組の内容に圧力を加えてくる。

歴史と云うにはまだあまりに生々しい出来事を映画にしてしまうパワーには、ただただ圧倒される。男の映画といえば筆頭に名前の上がるマイケル・マンの新作は、マリー・ブレナーの記事に基づいて、エリック・ロスと監督自身が共同脚色したドキュ・ドラマである。

この映画は、硬派な情報番組として圧倒的な信頼を勝ち得ていた『60ミニッツ』が、ウェスティングハウスによる買収を控えて訴訟によるダメージを恐れたCBSによる圧力に屈して内容を改変して放送してしまった「事件」を軸に、2人の男の苦悩と闘いを、ドラマティックに描き出していく。

一人は、ラッセル・クロウ演じるB&Wの元R&D担当VPである。当時、7ドワーフなどと呼ばれた7大タバコ会社の経営者らは、議会の公聴会などで、「タバコの嗜癖性に対する認識がなかった」とシラを切り通そうとしていたのだが、知らなかったどころか、むしろその中毒性を利用して売上拡大をするための研究をしていたという事実を知る立場にあった「究極のインサイダー」だ。

もう一人は、アル・パチーノ演じる命知らずのTVプロデューサーである。ラッセル・クロウの知る内部情報を『60ミニッツ』の番組でインタビューとして取り上げるため、会社側の圧力に抗して孤立無援で突き進む。

社会派のドキュ・ドラマとはいえ、起こってしまった事実そのものを告発するのが本作の趣旨ではない。マイケル・マンは、声高な主張を発することではなく、ある極限状況に置かれた男たちの決断と行動を描くことに興味を持っている。2時間40分の尺は長いが、分厚く、濃密な「エピック」としての手応えは十分だ。マイケル・マンのフィルモグラフィーでも筆頭に挙げてよいと思える、大傑作。

映画は一種、2幕ものの構成になっている。映画の前半は、究極のインサイダー、ラッセル・クロウ演じる人物が苦悩のなかで事実を明かす決断を下していくドラマ。一方、後半ではそのインタヴューを収めた番組の放送を巡り、ウェスティングハウスによる買収を控えて訴訟による致命的なダメージを恐れたCBSからの圧力がかかる。そんな孤立無援の状況であくまでインタヴューを放送しようとするアル・パチーノ演じるプロデューサーのドラマが描かれる。

それゆえに、映画向けの脚色はあるし、エンドクレジットでも触れられている。また、映画ではクリストファー・プラマーが演じている『60ミニッツ』のキャスター本人から、自分の描き方に対する批判があげられたりもしている。しかし、それが本作の、映画としての価値を減じるものではない。

本作は、オーストラリア出身で、『L.A.コンフィデンシャル』などで注目を集めつつあるラッセル・クロウにとっては大きなマイルストーンになる作品だろう。実年齢よりも幾分上の人物を、体重を増やし、老けメイクにより演じているのだが、これまでの作品で見た彼とは全く別人のようである。家族に対する責任、自分が勤めた会社に対する義務、自良心や倫理観、社会に対する責任などの相反するものに引き裂かれる苦悩。望んでそうなったわけではない悲劇的ですらあるヒーロー像を、堂々たる演技で見せる。

一方のアル・パチーノも、いつもの演劇的な過剰さが押さえ気味で素晴らしいのだが、ラッセル・クロウを相手に回して押されてしまっていることもあるし、なにより、役回りとしても損なところがあった。

男たちを魅力的に描くマイケル・マンだが、CBSの弁護士に起用したジーナ・ガーションを始め、女優陣の描き方には全く精彩がない。まあ、そういう監督だとわかっているから気にもならないが、ラッセル・クロウの妻の描写などを見ていると、ああいう立場に立たされた反応としては理解できることであるのに、ある種、女性という生き物に対する悪意すらあるんじゃないかと感じないでもない。面白いもんだね。

Being John Markovich

マルコヴィッチの穴(☆☆☆☆)

この物語の一応の主人公は売れない人形遣いである。彼が生活のためにファイル整理の仕事に就くのだが、ある日ファイルキャビネットの裏に奇妙な扉があることを発見する。ドアの向こうには長いトンネルがあって、その先は、なんとジョン・マルコヴィッチの頭につながっていた!という、支離滅裂な不条理コメディであり、風刺激であり、ラヴ・ストーリーだったり、という摩訶不思議な1本。

そう、なんとも奇天烈な作品なのだ。他人の身体の中に意識を宿すというアイディアだけなら珍しいものではない。しかし、この作品は、そこからどんどんと妙ちきりんな深みにはまっていき、いったい物語がどこに向かっているものか、一歩も先が読めなくなっていってしまうのである。

そもそもファイル整理の仕事に就いた主人公の職場が、オフィスビルの「7.5 階」にある、というところでヤラレた感がある。この設定は、話の展開上ほとんど意味がない思いつきの一発ギャグのようにみえて、不条理な世界への入り口として効果的に機能している。エレベーターを強制的に止め、手動で扉をこじ開けないといくことのできない非日常な場所。天井がやたら低くどこかピントのずれた人々が働くフロア。ここだったら、何が起こっても不思議でない。

そもそもというのなら、主人公の職業が「人形遣い」というところ。これも、身悶えする人形などという、前代未聞の思いつきギャグをやりたいからかと思って見ていると、「人形」としての他人の体を内側から操るという話につながっていく。

そこに、「マルコヴィッチ」である。この名前の響き。あの容姿、あのネズミ目。他の誰かでは成立しそうで、成立しない危うさ。これを思いついた瞬間、そして、本人が出演OKした瞬間、「勝った」と思ったことだろう。

劇中、マルコヴィッチのことを「20世紀におけるアメリカの偉大な俳優だ」と説明する主人公だが、「で、どんな映画にでているの?」と問い返されて具体的な作品名が一つもでてこないというシーンがあるのだが、そういう「名前はしってるんだけど?」というポジションも含めて、絶妙な感じがする。

いや、この映画に足を運ぶような観客だったらもちろん、マルコヴィッチといえばあんな作品やこんな作品といろいろ頭に浮かぶだろうし、本作の主人公を演じているのがジョン・キューザックだから、「お前、『コン・エアー』で共演してたじゃん!」などと思うんだけどね。

そのマルコヴィッチご本人、本作において「世間の自分に対するイメージ」を演じるという機会を得て、実に楽しそうに見える。外見によらず、いいやつなのかもしれない。

ジョン・キューザックとキャメロン・ディアズが汚らしい格好で全く冴えないキャラクターを演じている。特に、『メリーに首ったけ』のイメージでしかキャメロンを覚えていない人には唖然とする変身ぶりなのだが、こんな役を嬉しそうに演じている彼女は面白い人だと思う。マルコヴィッチ体験の後での豹変ぶりは笑えて仕方がない。もう一人、個の二人に比べると知名度で劣るが、キャスリーン・キーナーという女優さんが重要な役をやっていて、たいへんに印象に残る。また、「本人役」でいろんなスターや監督がカメオ出演しているのも楽しいところである。

このユニークな脚本を書いたのはチャーリー・カウフマン、監督は、オフビートな作風のミュージック・クリップの演出で知られるスパイク・ジョーンズ。インディペンデントならではのユニークな感覚と世界。商業主義的なアメリカ映画界からこういう作品が飛び出してきて、しかも興行的にも成功してしまうところが、彼の国の映画産業の強みのひとつだよな。

11/05/1999

The Bone Collector

ボーン・コレクター(☆☆☆★)

NYを舞台に、怪奇で残虐な連続殺人事件が発生する。犠牲者から骨の一部を摘出し、残忍な方法で殺していく犯人は、捜査陣との知恵比べを楽しむかのように現場に様々な証拠やメッセージを残していく。この事件に立ち向かうのは、仕事上の事故で身体のほとんどを動かすことが出来なくなった現場検証の大ベテランと、彼の目となり手足となるために抜擢された若い女性警官だ。このコンビを演じるのがデンゼル・ワシントンとアンジェリーナ・ジョリー。監督はフィリップ・ノイス。

アンジェリーナ・ジョリーはジョディ・フォスターではないし、フィリップ・ノイスはジョナサン・デミには程遠い。だから、この映画は『羊たちの沈黙』レベルの作品にはなっていない。しかし、『羊たちの沈黙』以降、山のようにつくられてきたサイコ・スリラーのなかでは、結構楽しめる部類の作品といっていい。ジャンルを再定義するような傑作ではないが、力のこもった好編だと思う。

映画のストーリーそのものにはそれほど新味があるわけではない。牢獄の中のレクターからヒントをもらって事件に立ち向かうクラリスという構図が、ベッドの上で寝たきりのデンゼルの手足となって凄惨な現場に踏み込むアンジェリーナに容易に重なって見えるし、凝った殺人法は『セブン』などを思い出させる。あくまで、もはや定番となったサイコ・キラーものである。もしこの犯人を精神異常者というカテゴリーに含めることが出来るのなら、の話だが。

決まりきった話だからこそ、見せ方がモノを言う。例えば、映画の始めの方で、アンジェリーナ演じる警官が通報を受け、最初の死体を発見する。ここでなんの用意もない彼女が証拠確保のために効かせた機転。それ自体がプロの仕事ぶり感じさせるのもあるし、巧みなキャラクター紹介にもなっている。サスペンスを盛り上げる組み立て方もいい。謎が解けてみれば、なんだ、その程度のことかとガッカリしてしまうのだが、そこに至るまでのプロセスで上手に観客の気分を盛り上げていく。一般にはぬるい監督と思われているフィリップ・ノイスだが、大型の娯楽アクション作品は今ひとつでも、こういうサスペンス・スリラーを撮らせると活き活きとするものだ。

ところで、この映画、それよりも何よりも、「スター・メイキング」の1本という意味で見逃せない。

アンジェリーナ・ジョリーは、昨年、TV映画『Gia』で評判をとって、そのあと急に出演作品が増えている新進スターである。ジョン・ボイドの娘、という出自も、そのセクシーな口元も目を引くのだけれど、いやはやどうして、ここでの彼女、凛と背筋を伸ばした姿の格好良さ。彼女の颯爽とした演技をみていると、これがスター誕生の瞬間なのだと確信する。この後出演作が次々公開される、絶対注目すべき女優だろう。

そんな彼女の引き立て役に回っているのがデンゼル・ワシントンである。首から上だけしか使えない難役ながら、若いスター誕生に貢献している。その看護人を演じたのが立派な体躯のクイーン・ラティファーだが、これまた、そのキャラクターの扱いがひどいと思わせるほどの好演を見せている。やっぱり役者がいいと映画が締まる。また、音楽もいい。クレイグ・アームストロングが堂々たるスコアを書いていて、感心した。この人、こういう仕事もできるのか。