1/29/1999

She's All That

シーズ・オール・ザット(☆☆☆)

学園一の人気者の主人公が調子にのって、「学園でも最も冴えない女の子を6週間でプロム・クイーンに変えてみせる」という賭けをする。さっそくそのターゲットの女の子に近づいて作戦を開始するが、彼女のことを知れば知るほどその見せかけではない本当の魅力に気付き、本気で恋に落ちてしまうという話。

そんなわけでお話はご存知、「ピグマリオン」「マイ・フェア・レディ」のゆるーい翻案によるハイスクールもの。

しっかし、さすがにそういう映画の観客層ってのは、違うね。劇場の前を取り囲んだティーンズの、特に女の子たちの群れには、米国にはこういうマーケットがあるんだなぁと、びっくりさせられた。劇場に押し寄せた女の子たちのお目当ては、主演のフレディ・プリンぜJr らしい。

ヒロインはレイチェル・リー・クック。その他、マシュー・リラード、ポール・ウォーカー、アンナ・パキン、ジョディ・リン・オキーフ、アッシャー、キーラン・カルキン、エルデン・ラトリフらが出演。ティーンものとしてはちょっと豪華な感じだと思う。(ちなみに、キーラン・カルキンとエルデン・ラトリフは、『マイ・フレンド・メモリー』のコンビだな。)

作品の出来栄えは、「ティーン・コメディ」の枠のなかで、という限定つきで、なかなか楽しく、魅力的な佳作だと思う。ヒロインがメイクなんぞせず、最初のメガネっ子のままのほうが可愛いというのは致命的な欠点だけどな。

ヒロインが可愛くて、テーマ曲的に使われるクリスチャンバンドのシックスペンス・ナン・ザ・リッチャー「Kiss Me」がスウィートで耳に残り、コメディセンスと脇役使いが優れていて、クライマックスに向けての盛り上げがうまくいっていて、オーソドックスだが良心的に作られている。ちゃんと観客が求めているものを分かっていて、期待に応える作りになっている。ある世代にとって、思い出の一本になりうる程度の「特別」な輝きがある。

ハイスクールものを見るときの判断基準は、依然として80年代に作られたジョン・ヒューズの諸作に置かざるを得ないと思っている。この映画が、2000年を目前にした今の、高校生の現実、本音や切実さのようなものを、あの時代の忘れえない作品が代弁したように、スクリーンに切り取って見せているとは思わない。どちらかといえば、フォーミュラに則った罪のないロマンティック・コメディに過ぎない。

贅沢をいえば、いろいろある。一見冴えない女の子を光り輝くヒロインに変えるというストーリーなら、「メイク」や「服装」で外見を整えるのではなく、もっと「内面」VS「外見」という古くからある命題と真剣に格闘して、その上でなにか今という時代を感じさせる、主人公なりの結論を見せて欲しかったとも思う。

監督はロバート・アイズコフ。TVムービーを精力的に手掛けてきて、今回が劇場作品デビューになる。冴えた演出があるわけじゃないが、TV的なぬるさと丁寧さが、あまり野心の感じられない普通の作りが、皮肉な意味ではなく、この作品の素直な魅力になっていると思う。若いスター候補たちの魅力もよく出ている。この中から、本当のスターが排出されるのかどうか、そういう楽しみ方もできるだろう。

1/15/1999

The Thin Red Line

シン・レッド・ライン(☆☆★)

「伝説の監督」とまでいわれるテレンス・マリック監督が、20年ぶりにメガホンを撮ったことで話題になっている1本である。そんなこともあって、下手に評するのがはばかられるような雰囲気だが、個人的な思いとしては、つまらない映画だという感情を拭いがたい。

テレンス・マリックの映画はこれが初めてなので、まあ、そういう人間が感じることとして聞いて欲しい。

題材は、太平洋戦争における日本軍と米軍の激戦地、ガタルカナルである。形式的にはジェームス・ジョーンズによる原作の2度目の映画化にあたるのだそうだ。ニック・ノルティ、ジム・カヴィーゼル、ショーン・ペン、ジョン・キューザック、エイドリアン・ブロディ、ウディ・ハレルソン、ジョン・C・ライリー、ジェレッド・レト、ジョージ・クルーニー、ニック・スタール、ジョン・トラボルタ等々、名と顔の知れた俳優が大挙して出演している。

第二次世界大戦ものといえば、昨夏、スピルバーグの『プライベート・ライアン』があって、戦場描写を一変させたことが記憶に新しい。太平洋戦線を舞台にして、豪華なキャストが出演し、いったい何がどのように描かれるのか、大方の興味はそこにあったのだと思う。

しかし、スクリーンに映し出されたのは、普通に想像する「戦争映画」とは全く異なるもので、そういうジャンルの中では比較のしようがない、比較の意味がない作品であった。

映画は、過酷な戦場で死と隣り合わせの日常を送る兵士たちの姿を描いてはいる。戦う意味すら見つけられずに彷徨う彼らの心情が、それぞれのモノローグでかぶせられていく。そこには神の視点から切り取られたような、手を触れることのできない距離感がある。戦場とは思えないような美しい自然描写と静けさ。その中に埋もれていく小さな存在としての人間。

ドラマらしきドラマはない。あるいは、一応のプロットはあるものの、それを分かりやすく描くことに興味がない。わざと分かり難くしているのかもしれないが、いずれ、それが意味を持っている作品ではない。

スターが出ているのに、まるで兵士の無名性にこだわるように、数シーンだけで早々と退場したり、顔見せ程度の扱いであったりして、画面をただただ通り過ぎていく。もちろん、伝説の監督と仕事をしたいと志願する役者たちがいて、資金集めに有利だからと出演をさせるのは理解できる。しかし、作品の狙いとそういう否が応でも観客の目を引いてしまう「スター」の存在が相容れないように思えて仕方がないのだが。

これまでに、過酷な戦場を描く映画はたくさんあった。人間性を奪う戦争の悲劇もいっぱい見てきた。戦争の大義の前に個人の幸せが踏みにじられていくドラマもあったし、美しい自然の中で繰り広げられる惨たらしい戦闘や、平和な風景が一瞬にして地獄に変貌するさまも過去の映画が描いてきた。この映画は、そのすべてを含んでいるようであり、そのどれでもない。もちろん、ドンパチで楽しませてくれる映画では、決して、ない。

だから、普通に想像する「戦争映画」とは全く異なるものだといったのである。この映画は戦場を、戦争を、兵士を描いているようにみえるが、それは何か別のことをやるための題材としてそれを使った、という程度のこと。

では何をやりたかったのか。思うにこれは、戦場における哲学的な詩の朗読会だ。朗読会として考えるに、3時間近い長さは、少々長尺にすぎるし、平板で盛りあがりに欠けるので苦行である。もっといえば、なぜ今、なぜこういう作品なのか意図が掴みかねる。そもそも、なぜ第二次大戦、なぜガダルカナルなのか。

体調万全のとき以外には絶対にオススメできない作品である。が、その映像には、どこか麻薬的な魅力がある。どうやって撮ったんだ、あんな風景。

1/08/1999

A Civil Action

シビル・アクション(☆☆☆★)

敏腕の弁護士が、ある工場が廃棄した化学物質によって生活水が汚染されたとして、マサチューセッツ州の小さな町の住人が起こした集団民事訴訟を手がけた顛末を描くノンフィクション小説の映画化で、『シンドラーのリスト』の脚本で知られるスティーブン・ザイリアンが脚色し、自ら監督を手掛けている。

主演の弁護士役にジョン・トラボルタ、同僚にウィリアムHメイシーら、また企業側の老獪な弁護士にロバート・デュバルを配した実力重視のキャスティング。訴えられた2つの巨大企業を始めとして、全てが実名で登場しているという。

そんなわけで、「アクション」つってもアクション映画ではなく、環境問題を扱った裁判ものである。原題は「集団民事訴訟」のことだな。そう聞いて想像されるのは、貧乏な民権派弁護士が、頭の着れる貪欲な企業側の弁護士を打ちのめしてハッピーエンドというような、娯楽裁判映画の典型だろうか。しかし、この映画、そんな想像を見事にはずしてくれる。

主人公は有能な弁護士で、彼の小さい事務所は裁判に持ち込む前に訴訟相手の企業からよい条件での示談を引出すことで大きな成功を収めている。表向きはともかく、金のある企業を標的に金を毟り取ることができるかどうか、それが全てというようなものだ。恰幅のよいトラボルタが高価なスーツに身を包み、ポルシェを走らせる。その姿は、そしてその姿勢は、ある種、悪役っぽくすらある。

その彼が、あるきっかけから件の集団訴訟を手がけることになる。これが思うようにことが進まない。彼が人情にほだされ、勝ちにこだわり始めると同時に敵側の老獪な戦術にはまり、ドツボにはまっていくというほろ苦い展開が待っている。主人公と、その仲間たちは破綻の瀬戸際に追いつめられる。”Justice has its price” それが宣伝用のタグだ。

実話だからいい、フィクションだからダメという区別をするつもりはないのだが、やはり一方で、こういう「実話」が転がっているアメリカという国は面白い、と思う。
 
この映画、話が面白いだけではない。これはまた、「役者」の映画でもあるのだ。善とも悪とも判別しないグレイなエリアで法律を職としている人々を、なかなか面白いアンサンブルキャストで魅せる。もちろんトラボルタを支えるウィリアムH・メイシーの金策ぶりも良いのだけれど、圧巻は企業側を代表する弁護士を演じるロバート・デュバルだ。

裏も表も知り尽くした大ベテランで、むしろ誠実そうにすら見えるこのデュバルの演じる男。事件にのめりこんで次第に熱くなるトラボルタの方と違い、冷静で、客観的であり、老獪を絵に書いたような戦術を用いる。これをユーモアたっぷりにとぼけた演技で見せるさまは本作一番の見世物であろう。

実話を脚色させてナンバーワンの名手、スティーブン・ザイリアンの脚本と演出は、特に前半のテンポが良く、シリアスな内容とユーモア感覚がしっくりいっている。脚本家出身ながら、監督としても全体を見通した構成がきっちりできるところがいい。後半は沈む展開で、筋はこびも少しもたついてくる。あんまり後味のよい終わり方ではないので、映画の印象を弱くしているのは事実だろう。

この映画で「悪役」とされた企業がWEBサイト上で過去の過ちやこの映画に関してきちんとコメントを寄せているのが興味深いところだった。映画を見た後でそちらも一読すると面白かろう。 

A Simple Plan

シンプル・プラン(☆☆☆☆★)

雪降り積もる田舎町で偶然犯罪がらみと思われる400万ドルもの大金を発見した3人の男たち。探している人がいるのかどうか明らかになるまで暫くのいあだ保管して、なにもなければ山分けして町を出ようという「簡単な計画」のはずだったが、それは死体が次々転がる惨事の幕開けとなるのだった。

天性のストーリーテラーと絶賛されてベストセラーとなったスコット・スミスの原作を、著者自らが脚色したクライム・スリラーである。監督は、マカロニウエスタン風の『クイック&デッド』以来3年ぶりの新作となるサム・ライミ。次第に人生を狂わせていく主人公を演じるのはビル・パクストン、その妻をブリジッド・フォンダ、頭の回転がノロいが悪意のない兄をビリー・ボブ・ソーントンが演じている。

後味は悪い。とても意地の悪い幕切れなので、好き嫌いは分かれるだろう。でもこの映画には大興奮させられた。あのサム・ライミが、こんな映画を撮れるんだ!という驚きもあるけれど、掛け値なしに一級品の傑作であると思う。

「雪に閉ざされた田舎町」、「狂う計画」、「意味のない殺人、転がる死体」、「やりきれない幕切れ」という物語の鍵を並べていくと、コーエン兄弟の傑作、『ファーゴ』との類似性に気付かされる。そういえば、サム・ライミとコーエン兄弟といえば、かつて、サム・ライミが監督した『XYZマーダーズ(Crimewave)』の脚本がコーエン兄弟、という縁があったっけな。

しかし、類似性は表面的なものだけで、映画としては全く異なるテイストのものになっている。なにせ、コーエン兄弟の『ファーゴ』は、あのように相当「えぐい」内容を描いていても、終始客観的で冷徹な視点が保たれていて、洗練されたブラック・コメディの趣すらあったのに対して、本作は、当事者意識に基づく濃密な心理劇になっているのである。

え、濃密な心理劇?ライミが?

いや、誰もがびっくりするに違いない。だいたい、ライミといえば、極端なアングルだったり、豪快な主観カメラによる撮影など、個性的でむちゃくちゃなスタイルがトレードマークのようなもので、そうした技巧による特徴的なヴィジュアルによって「目で見せる」タイプの作家だという思い込みがあるからね。

しかし、今回のライミの演出は、ひと味も二味も違う。

じっくりと腰を据えて、容赦なく、登場人物の脂っこく生々しいところ、人間の「生態」とべきいうものを炙り出していく異様なまでの迫力。例えていうなら、曲者ビリー・ボブ・ソーントンの脂汗の匂いや、ブリジッド・フォンダの胸のうちに秘めた語られざる不満や欲望。そういった眼に見えないものまで、フィルムに焼き付いているのではないかというような。

究極の選択を迫られた登場人物たちの心理に深く踏み込んでいき、その息苦しいまでの心理状態を観客に体験させんとする「大人のライミ」。ここぞという瞬間まで自らのトレードマークを封印し、技巧に走らず、役者の演技でドラマを語ってみせるのだ。こんな映画が撮れるなら、いったい、この先どんな映画を見せてくれるようになるのか。いやはや、恐るべき才能の持ち主だ。

Shakespeare in Love

恋におちたシェイクスピア(☆☆☆☆)

大評判をとっているロマンティック・コメディは、16世紀ロンドンを舞台にして、タイトル通り、舞台脚本家であるシェイクスピアが主人公。「ロミオと海賊の娘エセル」の執筆中にスランプに陥ってしまい悩んでいた彼が、演劇好きの女性ヴァイオラと恋に落ちる。

まるで、これが「ロミオとジュリエット」創作秘話ですよ、といわんばかりであるところが面白い。ドタバタあり、ロマンスあり、ドラマあり、アクションありの贅沢な娯楽作品。、誰でも知っている人物やその著作を題材に、好き放題に作った巧妙なパロディでもある。同時に、映画好きの琴線に触れやすい「バックステージもの」であったりもする。ステージの裏側を舞台に、演劇を作ることに傾けられる情熱や愛の賛歌を高らかに謳い上げるのだ。

あまり評判が高いので勘違いを誘っている部分もあるのだが、単純に、ここ最近では一番楽しく、出来のよいロマンティック・コメディなのである。コスチューム劇だからといって、真面目で堅苦しい映画じゃないんだな。シェイクスピアっていうから構えてしまうかもしれないが、そんな必要はない。実に軽やかで楽しい映画なんだから。

さりげなく現代的に味付けした台詞に仕込まれたユーモア、目を見張る衣装や豪華なセット、格調高い雰囲気を演出する音楽。2人の恋がどういう形で大悲劇『ロミオとジュリエット』に結実していくのかという筋立てでも散々笑わせつつ、2人の発する愛の言葉が舞台のセリフに転換されていく絶妙の構成と編集のリズム。これは映画を観る楽しみにあふれている。

最大の貢献は、トム・ストッパードがリライトで参加した脚本だろう。『ロミオとジュリエット』、『十二夜』などに始まり、様々な元ネタを大小散りばめた巧妙な「シェイクスピア・パロディ」を、ロマンティック・コメディとしても、バックステージもののドラマとしても、クライマックスの「ロミオとジュリエット」初演というイベントに向けてスムーズに収束させていく手際は名人芸の域にあると唸らされることしきり。薀蓄を知っているにこしたことはないが、そうでなくても楽しめる作品になっているのは、基本的な骨格やシチュエーションの作り方がしっかりとしているからであろう。

主演はジョセフ・ファインズとグウィネス・パルトロウ。ジョセフ・ファインズはレイフ・ファインズの弟で、兄に負けない整った顔立ちをしている。活き活きとした若き情熱的な舞台脚本家としてのシェイクスピア像を、現代人的な感覚を持ち込んで演じている。グウィネス・パルトロウは、男装して舞台に上がる大の演劇好きという心の通ったヒロインを魅力的に演じていて、おそらくこれが彼女のキャリアでベストといえる作品になったんじゃないか。

脇役にジェフリー・ラッシュ、トム・ウィルキンソン、ジュディ・デンチらのベテランを配しているが、女王陛下を演じるジュディ・デンチがすごいんだ。短い登場時間なのに、その貫禄で全部持って行っちゃうからな。ああ、もう一人、「主役」だと騙されてマーキュシオ役をやることになるプライドの高いスター役者を演じるベン・アフレック。彼が芝居の中身に気がついた時の物言いが笑えるんだ。

監督はジョン・マッデン。素晴らしい脚本とアンサンブルキャストを得て、流れるようなリズムとテンポで、軽やかに仕上げてみせた手腕はお見事だった。ともかく、どこを切っても超一流の上質な娯楽映画である。