9/24/1999

Mumford

マムフォード ようこそ我が町へ(マムフォード先生)(☆☆☆)

田舎町マムフォードに新しくやってきた心理学者の名前は奇妙な偶然でドクター・マムフォード。彼のセラピーはたちまち人々の信頼を得る。様々な人々がクリニックを訪れて、心の病を解消しようとするのだが、この穏やかな笑顔を持つドクターには大きな秘密があった。。

80年代に注目を浴びたローレンス・カスダンだが、『わが街』、『ワイアット・アープ』、『フレンチ・キス』と続いた不調の90年代を締めくくる1本は、地味ながらなかなか面白い1本だった。5年ぶりの作品だが、人間に対する優しい眼差しと、人生に対する深い洞察が心を打つ佳作。大きな刺激も波乱万丈のストーリーもないが、それでも物語が成立するという自信も感じられる。

出足は牧歌的でのんびりとしている。もしかしたら、最初の30分ほどは退屈だと思うかもしれない。主人公を演じる役者がとぼ無名。映画は彼のところに「患者」として街の人々が次々訪れる様を見せていくだけだ。主人公は受身で、しかも、映画は彼自身について何も踏みこんで描こうとはしない。

なんでそうなっているのか。しばらくすると、その理由が分かる仕組みだ。そして、主人公を巡る「ミステリー」が映画の中盤から後半を大きく転がして行く。

しかし、ミステリーといっても本当の意味ではミステリーではない。なぜなら、その謎は、途中で全部明かされてしまうからだ。普通なら、謎は最後までとっておくことでサスペンスを持続させようとする。謎は明かした途端に求心力を失う。だから、そういう意味では構成問題がある作品ということも出来るだろう。ただ、違う言い方をすれば、これは主人公の謎を巡るサスペンスに頼らないという選択だということもできるのではないか。

実際、この作品の話術はサスペンスとか緊張感などといったものは無縁なところで成立している。物語も、謎を全部吐露した地点から先の、主人公の選択と行動をこそ語ろうとしている。これは計算違いなのではなくて、計算づくで選ばれた話術であり、構成である。その成否は意見がわかれるかもしれないが、私はこれをとても面白いと思う。

主人公を演じるロレン・ディーンは、これといった決まった色や確定したイメージをもっていないこともあってか、表情の裏で何を考えているのか全く分からない、まるでこの世の人とも思えないような不思議な人物を好演している。興行的には難しいところだが、あえて既成のイメージがない役者を連れてきたところが、この映画の狙いを良く表しているように思える。

この全く無色透明の主人公を中心に、名前や顔の知られたベテランや曲者を配したアンサンブルが、ハリウッド映画としても相当ユニークな作品にしている。主だった出演者は、ホープ・デイヴィス、ジェイソン・リー、マーティン・ショート、テッド・ダンソン、アルフレ・ウッダード、デヴィッド・ペイマー、ズーイー・デシャネルら。そういえば、カスダンはアンサンブル・キャストをさばくのが得意な方だったよな。

Jakob the Liar

聖なる嘘つき、その名はジェイコブ(☆☆★)

ナチスによるユダヤ人強制収容所で暮らす主人公ジェイコブは、友軍であるソ連邦軍の情報を仕入れてくるが、仲間は彼が内緒でラジオを所有していると信じてしまう。持ってもいないラジオを毎夜聞いていると嘘をつきつづける羽目になったジェイコブは口八丁、手八丁で作り話で周囲に希望を与えていく。

ジュレック・ベッカー原作、ロビン・ウィリアムズが自身の会社で映画化、主演した悲喜劇である。プロデューサーは彼の妻。脚色と監督は、フランスのTVなどで監督を務めてきたハンガリー出身のピーター・カサヴィッツに委ねられた。

しかし、間が悪いとはこういうことだと思うのである。97年に製作されながら、2年もお蔵入りしていたおかげで、ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』が世界を席巻し、強制収容所の嘘つき男が希望を運ぶ話には新鮮味が感じられなくなってしまった。しかも、ロビン・ウィリアムズが「おなじみ」の熱演を披露する映画だ。もういいよ、そんな声があちこちから聞こえてきそうになる。

しかしこの作品、話そのものはなかなか面白い。ゲットーを再現した美術も、撮影も素晴らしい。

ただ、脚色次第では、もっと面白い映画になったんじゃないか、とは思う。

この映画はコメディである。喜劇として機能しているのは、ジェイコブがラジオなんか持ってはいないことを観客が知っているからである。周囲の状況によって嘘をつきつづけることを余儀なくされ、いろんな話をでっち上げる羽目になる主人公の滑稽さ。

しかし、「ジェイコブの嘘」を観客が知っている、このことが、映画をつまらなくしているといえないだろうか。

主人公の、ときに滑稽だが確実に希望をもたらす話。それは口から出任せなのか、それとも真実なのか。彼はラジオを持っているのか、いないのか。そこを映画の登場人物たちにも、観客にも説明しないまま「ミステリー」として最後まで引っ張ったら、映画にサスペンスが生まれたに違いない。ファンタジックな味わいもでただろう。そして、ロビンが底力を見せる最後の15分間、ナチスの拷問を受け、真実を明かし、人々の前でラジオなんかないのだと証言することを迫られるところは、まさに決定的な名シーンになったんじゃないか。

映画には主人公が出会い、一緒に暮らす少女が登場する。単純でありきたりかもしれないが、この少女を主人公にして、彼女の視点で物語を再構成してみたらどうだろうか。少女の視点で、ラジオで聞いたニュースの話をする男を描く。本当だと信じたいが、嘘かもしれない・・。どんなものだろう?

いずれにせよ、例えいい話であっても、それを面白い映画にするには様々な工夫が必要なのだと思い知らされる、また、違った意味で、出来上がった映画は寝かさずにさっさと公開すべきだと思い知らされる、そんな作品である。

Double Jeopardy

ダブル・ジョパディー(☆☆★)

幸せな結婚生活に思われた。自家用ヨットでのロマンティックな1夜。しかし、夜が明けてみれば自分は血塗れになっており、夫はいない。保険金目当てに夫を殺害したとして6年間の服役。その間に、信頼していた女友達は預けていた息子を連れて消え、死んだはずの夫と暮らしているという衝撃的な事実を知る。

一度犯した罪で裁きを受けて刑に服した場合には、同じ罪で2度裁かれることはない、米国の憲法修正第5条。日本で言うなら、憲法39条でいう一事不再理の原則ですな。それがタイトルになっている「Double Jeopardy」で、作品の発想のもとになっている。変なカタカナ・タイトルなんかにせず、「一事不再理」とすればよかったんだよ。

つまり、夫を殺したとして服役した主人公は、実は夫が死んでいなかったという時点で免罪なのだが、自分を罠にかけた憎い夫を今度は本当に殺してしまったとしても、もう重ねて罪に問われることはないってこと。なぜなら、「夫殺しの罪」では既に裁きを受けているのだから。Got It ?

無実の罪をきせられる主人公はアシュレイ・ジャッド。その彼女が、追手から逃れつつ真犯人に迫るという筋立てだけみると、小粒な『逃亡者』のようである。共演がトミー・リー・ジョーンズだからなおさらだ。ただ、話の焦点は犯人探しというよりも、か弱い主婦が自立した強い女性に成長するところにある。なにせ、監督は『ドライビング・ミス・デイジー』のブルース・ベレスフォードだから、サスペンス・ドラマであると同時に、女性映画といっていいテイストの作品に仕上げてきている。まあ、予算もなかったんだろうけどさ。

そんなわけだから、見所はなんといっても主演のアシュレイ・ジャッドということになるだろう。無実の罪でわけのわからないまま刑務所に入れられ、息子に再び会いたい一心で自分を罠にはめた男を探す役柄は感情の起伏も大きく、やりがいのある役だったんじゃないか。なかなか好演、そろそろブレイクしてもいいんじゃないかね。

一方の共演、トミーリー・ジョーンズは、クレジットの順番はトップながら、完全な脇役。娘の写真をボロ車のサンヴァイザーに挟んでいたり、アルコール中毒ぽかったりと、いろいろなドラマを秘めていそうなのだが、脚本はそれらを匂わすだけできちんと突っ込まない。それこそ、『逃亡者』のジェラード警部補のイメージを利用するためのキャスティングだったんじゃないか。

ベレスフォードの演出は、ちょっとアカデミー賞監督とは思えないほど荒っぽくて、作品の格を下げてしまった。だいたい、冒頭で6年間の歳月の重みを見せることができていないので、話が軽くなってしまっている。その間の時間経過をみせる編集も雑で、あるシーンで息子画面買いに来たのを喜んでいて、次のシーンで、何ヶ月も面会に連れてきてくれないと嘆いているんじゃ支離滅裂だ。

一事不再理を知った主人公が俄然張り切ってしまい、『ターミネーター2』のリンダ・ハミルトンか、『ケープ・フィアー』のロバート・デニーロかというようにトレーニングを始めるところでは場内で失笑が起きた。唐突だってば。それでも、鍛えたはずの成果(=筋肉)をきちんと見せないんだから、この監督、何がやりたいのか分からないよ。

9/17/1999

For Love of the Game

ラブ・オブ・ザ・ゲーム(☆☆★)

決断の時期を迎えたかつての名ピッチャーが、様々な思いを胸に、最後のビッグ・ゲームになるニューヨーク・ヤンキースとの対戦に向かう。チームの見売り危機とキャリアの終焉、彼と別れロンドンに向かおうとしている5年間愛し続けた女性。万感の思いを込めてマウンドに立つ彼は、いつしか完全試合を達成しそうになっていた。

『死霊のはらわた』のカルト・ホラー監督だったサム・ライミは『ダークマン』でメジャーに進出し、前作『シンプル・プラン』ではもはや名匠といっていい風格すら見せつけてくれたわけだが、なぜにケヴィン・コスナー主演の野球映画を撮ることになったのか、不思議に思ったりする。

『ウォーターワールド』と『ポストマン』の失敗で終わりかけたキャリアからの復活をかけている主演のケヴィン・コスナーにとっては、自身が得意とする野球もので、しかも、キャリアの終わりを迎えた男が自分が自分である証を手に入れるため渾身の力をこめてボールを投げるという物語に、惹かれるものがあったのだろう。(ヒロインのケリー・プレストンも美人だし。)

でも、サム・ライミ。

新しいジャンルに挑戦しようとした意欲はわかる。基本的に一つの試合と、脳内フラッシュバック出できている映画なのだが、その野球の試合にはTV中継を模したようなライブ感があるし、主人公が精神を集中させると観客席の声援がすっと消え入るような音を使った演出も面白い。でも、ライミでなくてもいいよ、こういう映画は。そう思う。

マウンドに立つ現在の主人公と、5年前に路上で偶然出会った女性のラヴ・ストーリーを中心とした過去の回想が交互につづられていく構成。お話そのものは幾分感傷的に過ぎるという欠点を除けば、けして悪くはない。が、なんだかドラマが細切れになってしまって、単に間延びした話になっちゃっている。

もうすこし当たり前の構成、たとえば、映画の導入が終わったところで一気に5年前に飛び、時系列でドラマを追いかけ、気が付けば7回。まだ誰もファーストベースを踏ませていないことに気付く主人公。そして、空港のラウンジで野球の中継にふと目を止めるケリー・プレストン。どんなもんだろうか?

嫌いではない。良いシーンもあった。しかし、やはりサム・ライミの題材ではなかったんじゃないのかな。野球と映画をこよなく愛するケヴィン・コスナーは、さすがに野球のユニフォームが似合う。(だから、ユニフォームを着ていないシャワー・シーンのカットなんかで映画会社ともめなくてもいいんだってば。)

Blue Streak

ブルー・ストリーク(☆☆★)

プロの強盗団の中心人物として、巨大なダイヤを盗み出したのつかのま、仲間の裏切りにあって警察につかまってしまう主人公。しかし、逮捕直前に機転を聞かせ、工事中のビルのダクトに宝石を隠すことに成功するのだった。2年が経過して、刑務所をでた主人公は隠しおおせた宝石を取り返しに向かうのだったが、そのビルはなんと警察署になっていた!

『バッド・ボーイズ』ではウィル・スミスと、近作の『ライフ』ではエディ・マーフィと共演したマーティン・ローレンスが晴れて一枚看板となった本作。例えていえば、ニック・ノルティやダン・エイクロイドとコンビを組んでいたマーフィが『ビバリーヒルズ・コップ』で華麗に一本立ちしたことを思えば、本作にはそれだけのパワーはない。まあ、お好きならどうぞ、あるいは暇つぶしにどうぞ、というレベルか。

しかし、アイディアは面白い。プロの強盗であるマーティン・ローレンスは、転勤になった刑事のふりをして署内に侵入するのだが、それだけではすまない。刑事として捜査の一線に立たされてしまい、、成り行きとは云え大活躍してしまうという展開が馬鹿らしくていいじゃないか。

残念なのは、そんな無茶な展開に、それなりの信憑性を与えられるディテールに欠けること。大嘘をつくためには、小さなリアリティの積み上げが欲しいと思うのだ。ほとんど無名な脚本家たちの作だから、多くを求めても仕方ないのかもしれないけれどね。

しかし、まあ、監督のレス・メイフィールドは、雑な脚本と暴走気味の主演俳優を与えられてもテンポよく話を運んで快調そのものである。すっかり家族向け映画のプロデューサーと成り果てたジョン・ヒューズ御用達なんぞに落ちついてしまったかと思いきや、コメディ描写はともかく、クライマックスのアクションも歯切れがいい。

主演のマーティン・ローレンスは演技が面白いというより、無理に笑いを取ろうとしている感じがちょっと弱い。また、彼には映画を一人で支えるだけのオーラが、まだ備わっていないのである。あと少しなんだけどね。

9/10/1999

Stir of Echoes

エコーズ(☆☆☆)

『ジュラシック・パーク』や『ミッション・インポッシブル』などのメガヒット作で脚本を担当して名前を知られるデイヴィッド・コープが、リチャード・マシスンの原作を脚色し、自ら監督した1本。

過去に監督作もあるコープなので、本作が監督デビューというわけではない。まとまらなくなった大作をてっとりばやく形にするのが巧いだけの脚本家だと思っていて、現に、無残な『シャドー』、雑な『スネーク・アイズ』なんかの脚本も彼の名義である。そんなわけで、この作品にも端から期待をしていなかったのだが、意外や意外、これが結構拾い物という感じで面白いんだ。こういうジャンルの映画が好きならば、観て損のない仕上がりとしてお勧めしておきたい。 

ある晩、パーティの成り行きで知り合いの女性から催眠術をかけられた主人公が、恐ろしい悪夢に取り憑かれるようになる。彼の目にした不気味な謎の女性は、彼の幼い息子にも見えるようで、その息子はこの世のものならざるものと会話すら交わしているようだ。強迫観念に駆られた男は妻の静止を振り切って家中に穴を掘り出す。その主人公を演じるのが、いまやある意味大人気といって良いケヴィン・べーコンだ。

ハリウッド映画の99年夏はオカルトものばやりだった。傑作『シックス・センス』のあとで公開されたため、本作はそれと比べられ、新鮮味にかける作品と思われるだろう。そもそも、この世のものではない人間と会話をしているらしい子供、といっただけで、パクリではないかなどといらない詮索をされそうだよね。

『シックス・センス』と比べるわけではないが、こちらの脚本にはこれといった捻りがあるわけでない。無駄な枝葉を抜きにして、素直でストレートなものだといえる。演出もオカルト・スリラーとしては非常にオーソドックスなもの。ただ、ケヴィン・ベーコンが催眠術にかけられるシーンなどところどころに、過去2作組んだブライアン・デパルマがやりそうな、技巧的な遊びがあってニヤリとさせられる。
 コ主演に曲者ケヴィン・べーコンを得たことがこの映画にとっては幸運だっただろう。憑かれたように穴を掘り始めてからの狂った様がものすごくいいのだ。こんな役が様になるスターなんて他にいるか?いや、全く、かつての青春スターも凄い怪優になりつつある。今更言い出すことでもないか。また、ジェームズ・ニュートンハワードの音楽はオカルト気分を盛り上げる。組合の規定でクレジットがないが、『セブン』で知られるアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーがスクリプト・ドクターを務めたらしい。

Love Stinks

Love Stinks <未公開>(★)

恋に落ちた人気コメディ番組のプロデューサー。全てが女性主導で進んで行くかに見えたが、なかなか煮え切らない男にキレた女性が「結婚の約束を反故にされた」と法的手段に訴え、愛憎入り乱れる泥沼の争いに突入してしまうという話。 『フルハウス』のクリエイターであるジェフ・フランクリンによる初めての劇場作品で、脚本・監督を務めている。出演はフレンチ・スチュワート、ブリジット・ウィルソン、タイラー・バンクス、ジェイソン・ベイトマンら。

Love Stinks というタイトルがタイトルなので、 "This movie does not really stink, but sucks." といってみたくなった。そんな映画。300人程度のキャパシティがある劇場で、初日の夕方、自分以外に誰一人として観 客がいなかった。5ドルでもお釣りのくるマチネー料金だったから、なんか申し訳なくて。

でも、これは、つまらない。本当に。笑えないコメディである。

海外の映画は、なんらかの価値がなければ日本の市場に入ってこない。あらゆる角度から吟味して、本当にどうしようもない作品ってのは、そんなわけで、なかなか眼に触れることもない、はずである。この作品は、そんな一本になるんじゃないかと思っている。

前半は、「とにかく強引に結婚を迫る女」 vs.「惚れた弱みか、まんまと相手の策略にはまっているだけの情けない男」という展開。後半は、マイケル・ダグラスとキャスリーン・ターナーが壮絶な泥仕合を演じた『ローズ家の戦争』の安いコピー。主人公はコメディ番組のプロデューサーなのだが、私生活の経験をコメディ番組に持ちこむ設定は、おそらく監督のジェフ・フランクリン自身の経験なのだろう。

同じプロットでも、それなりの脚本と演出だったら面白くなりそうだ。しかし、ブラックでもなけりゃ、皮肉でもない脚本のつまらなさ。だらだら間延びした演出。演技下手で、主演俳優としての個性と魅力にすら欠けるメインキャスト。最低センスのスコアと恥ずかしくなる既成曲の選曲。ここまで全てが低レベルでまとまっていると、見ていても辛い。

主演のフレンチ・スチュワートは若き日のトム・ハンクスを意識しているのかどうなのか、しかしハンクスほどの切れ味もなく、爽やかさもない。そもそも映画を背負って立つだけの華がないTV俳優。相手役のブリジット・ウィルソンは『ラスト・サマー』なんかにも出ていた女優で、こちらはまだ華はあるものの演技は学芸会レベル。

そうだ、何が足りないといって、「合いの手の笑い声」が足りないんだよ! ほら、シットコムであるでしょ、収録を見に来ている観客席の笑い声(のように聞こえる効果音)。演出をしながら、あるいは演技をしながら、無意識のうちにコマーシャルを挟むタイミングと、間を埋めてくれる笑い声を前提としてしまったんじゃないか。

インディペンデントの会社で、自ら脚本・監督を務めた劇場映画デビュー作がこれでは、先が思いやられる。TVの世界に帰ったほうがいいよ。

9/01/1999

Chill Factor

チル・ファクター (☆☆)

兵器実験での事故の責任を負わされて復讐の念に燃える軍人が、一定の温度を超えると活性化する化学兵器の強奪を図った。間一髪、研究所の脱出に成功した開発者は、その化学兵器を知り合いであった主人公、コーヒーショップ店員に預けたところで息絶えてしまう。主人公はその場に居合わせたアイスクリーム配達人を協力させ、化学兵器を冷却しながら後を追う軍人から逃走することになる。

悪役像、民間人が巻き込まれる展開、化学兵器の視覚的な見せ方などなど、ヒット作『ザ・ロック』をお手本にしたもののように見える。一定の温度で、、、というあたりは『スピード』のアイディアを拝借して転用したものだね。主役は『スクリーム』で売りだしたスキート・ウルリッチ。用意された主演作が、、この程度っていう評価の人だろうか。全く関係ないのに巻き込まれる相棒役にキューバ・グッディングJr。勢いで獲ったとはいえアカデミー賞俳優なのに、いい作品が回ってこない人だな。キャスティングも微妙に安い。監督も、撮影畑出身の新人、ヒュー・ジョンソン。この監督の人選ひとつみるだけで、安手に作ろうという制作側の意図を感じてしまう。

しかし、それ自体を悪くいうつもりはない。娯楽映画としては、よくあるアイディアであっても、上手に焼きなおして見せてくれさえすれば充分だ。

でも、悪役には『ザ・ロック』のエド・ハリスが持っていたような悲劇性まではなく、逆恨みのテロリストにしか見えない。また、主人公には危険な物質を抱え、命をかけるだけのモティベーションが不十分。まあ、うだつの上がらない人生であることは示唆されているのだが、それを、事件に関わる強い動機に結びつけることはできていない。なんだか、いまひとつワザが足りない感じである。

主人公と相棒の描き方は数あるバディ・ムーヴィーのパターンを踏襲。これらのドラマは水と油の2人の対立と理解の物語として提示されるのが定番である。しかし、スキートのキャラクターとキューバのキャラクターの対立軸が明確でないので、やがて友情へつながることになるドラマもあまり盛りあがらない。

舞台が都市ではなく、西部のアウトドア・セッティングであるのは気にいった。この点、ダイナミックな地形を背景にして少し新鮮味を感じるが、結果として化学兵器が活性化した場合の被害も大きくならないんじゃないか、と思えてしまうのが大きな欠点でもある。

こんな作品は、いっそのこと徹底的に破綻してくれたほうが嘲笑いながら楽しめるのだが、意外や小さくまとまっている。ケーブルTVなんかで放送されたお気楽TVムーヴィーというのなら、配役がちょっと豪華で得した気分になれたかもしれないが、劇場作品としては存在を忘れそうになるくらい影が薄い。一応、アカデミー賞俳優だというのにいい役に恵まれないキューバ・グッディングJr.が少し可哀想だ。