3/28/2010

The Hurt Locker

ハート・ロッカー (☆☆☆)

ハリソン・フォード主演で撮ったロシア原子力潜水艦事故映画『K-19』 の興行的失敗で表舞台からしばらく姿を消していたキャスリン・ビグロウが、2004年のバグダッドを舞台に駐留米軍の爆弾処理班の活躍を描いたインディペンデント映画で戻ってきた。実際に戦場を知る観客たちからは、本作品の描写の不正確さや現実味のなさに相当不満や批判がでてきているが、それはインディペンデント映画の宿命として、米軍の支援なしに製作されたことなんかも関係しているのだろう。

この映画は、基本的に戦場で命を懸けて任務に当たる兵士たちへの賛歌という視点で作られている。だから、過酷な環境に過剰に適応した結果、他に自らの存在意義を求めることが出来なくなった主人公が、ある種の諦念と覚悟を持って戦場に戻っていく姿をヒロイックに描く一方で、末端の兵士たちをそのような状況に追い込む戦争を始めた国家(ブッシュの米国)の判断については、現在のムードを踏襲し、否定的なトーンを醸し出すようには作っているものの、映画全体として、過度に政治的であることを避けようという意図も感じさせる作りになっている。題材が題材であるから仕方のないことだが、結果として、米軍(兵士)の戦場における行動は美化されてみえ、それに対抗する勢力(いわゆる過激派のテロリスト)の卑劣さが強調されてみえる。このあたり、アメリカの視点で作られた作品の限界を感じないわけではない。

死亡率が高いという危険な任務をスリルを楽しむがごとくにこなしていく主人公の姿を臨場感とサスペンスたっぷりに描き出していく演出は、骨太のアクション描写で鳴らすビグロウの持ち味が100%発揮されていてなかなか見応えがある。これまでのビグロウの作品を見てきて、部分部分は面白くとも、映画全体を纏め上げる力、緩急をつけてストーリーを語る力においては評価できるものがないと感じていた。本作が良かった理由を考えてみるに、これがストーリーでみせる映画ではなく、瞬発力の必要な描写を積み上げ、ぐいぐい力で押して行くスタイルの作品であることが、彼女の資質に合っていたのではないだろうか。

3/21/2010

Up in the Air

マイレージ、マイライフ(☆☆☆☆)

『Thank You for Smoking』、『Juno』と、デビュー以来立て続けに面白い映画を発表してきたジェイソン・ライトマンの新作は、これまた極上の脚本にいい俳優が揃って、その若さに似合わない大人のコメディ映画に仕上がった。本作の制作に名を連ねた父親、アイヴァン・ライトマンもさぞ誇らしいことだろう。こういう成熟し、洗練された、楽しい娯楽映画でありつつ一筋縄ではいかない骨太の作品を送り出せる米国映画、まだまだ捨てたものではない。

原題の Up in the Air は、地に足のついていない、中途半端な状態を指している。もちろん、この映画の主人公は年間300日以上も出張し、常に空の上にいるのだから、文字通り Up in the Air でもある。

企業が首切りを行うに当たっての汚れ仕事、本人に戦力外通告を行い退職を促すという役回りを請負うのが主人公の専門である。出張によるマイル蓄積にある種の生きがいを見出している風情の主人公の前に現れるのは、IT時代の申し子たる新人。やる気にあふれた新人は、経費のかかる出張に替え、ビデオ・カンファレンスを使って首切り宣告を行うことを提案し、会社はそのアイディアに乗り気になってしまう。主人公にとってはライフスタイルの危機、だ。

それを発端に、面倒な人間関係を避け身軽に暮らしてきた主人公が、旅先で出あった同じ出張族の女性に入れ込んでしまったり、新人と行動を共にする羽目に陥ったりするなかで、自らの人生の空虚さを自覚し、立ち居地を再確認していく物語である。まあ、大人の映画である以上、もちろん、物語の先に分かりやすいハッピーエンドはなく、苦味のある「中途半端」な結末が待っている。

いかにも自己中心的でドライに割り切った主人公のライフスタイルや信条は、ある面、人間を相手にするアナログかつ非情な仕事ゆえのストレスから自分を守る手段ではなかったか、と思う。演技なのだか地なのだかわからないジョージ・クルーニーは、ユーモアと余裕をたたえた演技で完璧なハマり役。この人の昨今米国映画に対する貢献度は並々ならぬものがあって、本当に驚かせられる。本作のような企画を見抜く眼も鋭いし、プロデューサー、監督としてもいい仕事をしている。主演俳優としての貫禄、クラシックなスターにも見劣りせぬ輝きも凄い。今後もますます活躍を期待したい。

一方で、人との暖かい関わりとその価値をナイーヴに信じている新人は、その人生経験、職業経験の浅さゆえに、ドライに仕事の効率化を主張し、あまりにも重いレッスンを学ぶ。アナ・ケンドリックの、いかにも「米国的な悪気のないプロアクティブ」さを体現した演技には説得力があり、微笑ましい。ベテランを相手にしっかりと存在感を出していた。ここにもうひとり、大人の魅力と余裕をたたえたベラ・ファーミガが絡む。主人公と同類と見せかけながら、もっとしたたかな生き様を見せつけて主人公を唖然とさせる美味しい役どころ。これは儲け役というものだろう。

リーマンショック以前の企画であったはずだが、その後の経済状況や社会情勢にピタリとはまって、今の時代の空気が見える傑作。何度でも繰り返し見たくなる1本である。ジェイソン・ライトマン、恐るべし。

3/13/2010

Percy Jackson & the Olympians: The Lightning Thief

パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々(☆☆)


ゲームのような映画、ということがある。いまではゲームを原作にした映画も珍しくない。本作はベストセラーのファンタジー小説を原作にしているのだが、これがまた、文字通り「ゲームのような構成」の映画で、思わず笑っちゃうのである。

まず、イントロで物語の説明が行われる。いわく、主人公はポセイドンの血を引くデミゴッドであり、ゼウスの雷撃を盗んだ嫌疑をかけられている、と。雷撃を欲するハデスにさらわれた母親を救い出し、ゼウスの疑いを晴らさなくてはならない、と。次は、チュートリアルが待っている。神の落とし子たちを集めたキャンプをステージに、ミノタウロスとの戦いやフィールドでの訓練で基本的な戦い方を教わるのだ。今後必要となる武器・アイテム・仲間を受領したら次に進もう。

キャンプをでたら、マップを手がかりにお宝を集めるクエストが始まる。アメリカを横断しながらステージを移動し、メデューサ、ヒドラと強力な中ボスを倒すごとに特殊な「真珠」をゲットしていく。ドラッグの迷宮を越え、3つ目の真珠を手に入れたら、冥界ステージへ移動だ。冥界でハデスと戦って母親を救出すれば、いよいよ最終ステージ。ここまできたらあとは簡単。幾分弱めの「雷撃泥棒」を倒してやると、オリンポスへの扉が開き、あとは勝手にムービーが流れてゲーム終了・・・って、そんな感じ。

まあ、それ以上でもそれ以下でもなく、語ることも何にもない。金のかかった大作なのに安っぽくて、「退屈な子供向けハリウッド映画」の見本のような作品である。原作は5部作だというが、続編企画がなくなっても驚かないし嘆きもしない。

クリス・コロンバスは「ハリー・ポッター」1作・2作の監督で、本作を手がける20世紀FOXでは、7本の監督作、4本の製作作品を手がけ、多くのヒットを飛ばしている。そんな流れで本作の指揮を任じられたのは想像に難くないが、この人選、正しかったのか。この人、もともとこういう仕掛けの大きな作品よりも、もっと規模の小さいコメディ作品で良さが出るタイプ。ハリー・ポッターのせいで本人も、周りも、何かを勘違いしてしまったんじゃなかろうか、と思っている。ショーン・ビーン、ウマ・サーマン、キャスリーン・キーナー、ロザリオ・ドーソン、ピアース・ブロスナンと、脇役がわりと豪華なのだが、みんな無駄遣いでもったいない。

Did You Hear About the Morgans?

噂のモーガン夫妻(☆☆)


『L.A.Story』とか『スリー・リバーズ』の、、、と思っていたら(いつの話だ)いつの間にか『セックス・アンド・ザ・シティ』の看板スターになっていたサラ・ジェシカ・パーカーと、ロマンティック・コメディの(ちょっと前までの)帝王ヒュー・グラントが共演する、離婚の危機に置かれた夫婦が違った環境に身をおいたら夫婦仲がよくなちゃったコメディ、である。監督は、『トゥーウィークス・ノーティス』、『ラブソングができるまで』でヒュー・グラントの持ち味を引き出したマーク・ローレンス。

この作品のユニークな点は、NYCで暮らす破局寸前の都会派カップルが、偶然目撃した殺人事件により連邦証人保護プログラムの対象になってしまい、そろってワイオミングのさらに片田舎に身を寄せ、素性を隠して暮らす羽目になるというアイディアである。身元引き受け人になるのが、地元のシェリフ夫婦。これを演じるのがサム・エリオットとメアリー・スティンバージェンで、都会派コメディの空気を一気に西部劇に変えてしまうインパクト。ははあ、要はこの映画、都会の根無し草が、米国のルーツに立ち返って夫婦の絆を取り戻すと、こういう保守的なお話しでもあるわけですね。

いかにも西部の男というサム・エリオットに、へらへらちゃらちゃら英国訛りのヒュー・グラントというギャップがひとつの笑いどころである。しかし、顔をのシワをみていると、ヒュー・グラントもさすがに年をとったなぁ、と思う。そうはいっても演じるキャラクターは相変わらず、いつもヒュー・グラントが演じているような男であり、そのことには全く違和感がない。ああ、この人は年をとっても一生このキャラクターでいくんだろう、と妙に納得してしまう。

そのヒュー・グラントが1960年生まれだから、50歳である。で、相手役のサラ・ジェシカ・パーカーは1965年生まれなので、こちらもそれなりのご年齢。本作、脚本的には30~40前半くらいのカップルで、まあ、撮影時40代後半だったお二人なので、ロマンティック・コメディといえど夫婦モノである本作としては、まあギリギリな感じか。

まあ、キャストの誰かがお気に入りなら暇つぶしにどうぞ、っていう程度の作品ではある。ヒュー・グラントのコメディだったら、他の作品の方がお勧めである。

3/06/2010

The Princess and the Frog

プリンセスと魔法のキス(☆☆☆)


2004年のウェスタン・ミュージカル・コメディ『Home on the Range(ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか牧場を救え!)』を最後に伝統的な手描きアニメから撤退してスタジオを閉鎖したディズニーが、久々に復活させた手書き(2D)アニメーション。アフリカ系の「プリンセス」の登場や、受身ではなく、自ら努力して幸せをつかもうとする主人公像については日本のメディアでも紹介されているからそれとなく耳に入っているはずだ。

しかし、本作を特徴付けるポイントはそれだけではない。それはなにかといえば、この映画が1920年代のニューオリンズを舞台に展開されるご機嫌なジャズ・ミュージカルであるということだ!

ご存知のとおり、ニューオリンズという街がハリケーン・カトリーナによって壊滅的打撃をうけたのが2005年のことだ。本作の企画にそれが影響を与えていないわけがない。ニューオリンズと、その土地が生み出した文化に対するトリビュートなのである。なにせ音楽を担当するランディ・ニューマンもニューオリンズ出身で、ジャズにも造詣が深い作曲家なのだ。

また、ディズニーのプリンセスものといえば欧州などの借り物が常だったところ、米国を舞台に、米国の文化を背景にしている点でも画期的であろう。

さて、お話しは、グリム童話の「カエルの王様」のパロディとでもいうべき、E.D.ベイカーの『カエルになったお姫さま(The Frog Princess)』を土台に、魔法を解くためにキスをしたら自分もカエルになっちゃった、というアイディアを核にして自由に脚色されたものである。働いて貯めた金でレストランを開業しようとしていた主人公が、蛙姿にされた某国の王子にキスをしたところ、自分も蛙になってしまい、人間に戻るための苦難の冒険が始まる。

主体的で前向きな主人公、放蕩ものでダメ人間の王子、ジャズが好きで人間とセッションをしたがっているワニ、とぼけているがロマンティックで誠実なホタル、などなどのキャラクターが生き生きと描かれ、敵方となるブードゥーの魔術師や、その力の源である「あちらの世界」のお友達も適度に怖い。ニューオリンズの街、有名なストリートカーや独特な墓地、バイユーの湿地帯なども丁寧に描きこまれ、本作ならではの雰囲気を盛り上げてくれる。

本作のために招聘されたのは、『リトル・マーメイド』、『アラジン』を手がけて90年代を牽引したロン・クレメンツ&ジョン・マスカー。(まあ、この二人には『ヘラクレス』と『トレジャー・プラネット』という、あまり誉められたものではない作品もある。)たとえ数年間でも作品の製作を休止したことで失われた人材とスキルには相当のものがあっただろう。ディズニーにはこの路線を継続的に作り続けることで、いつか第3の黄金期を築き上げて欲しいものだと思う。