8/27/2011

Reign of Assasins 剣雨

レイン・オブ・アサシン(☆☆☆)


ジョン・ウーの新作と喧伝された本作だが、あんまり盛り上がっていない。よくよく聞いてみれば、脚本・監督はスー・チャオピン。ジョン・ウーは製作。ただ、共同監督のクレジットで監修やアクションの撮り方の指南をした作品なのだそうだ。(実際に演出したのは娘が登場するシーンだけだとか。)主演のミシェル・ヨーがワイヤーで宙を舞い、剣がしなる武侠アクションだ。共演は韓国から、チョン・ウソン。

舞台は明の時代の中国。手に入れたものが強大な力を得ると云われる「達磨大師」の骸の強奪をめぐり暗躍する影の暗殺集団。そして、その組織を抜けた凄腕の女剣客。女剣客は過去を捨て、顔まで変えて、市井で静かに生きる道を望んだが、彼女に恨みを持つものや、達磨の亡骸を捜す組織配下のものたちがそれを許さない。彼女の正体を見破った暗殺者たちが身辺に迫る。

自らが大切にするものを守るため、一度は封印した剣を握り、望まない闘いに再び身を投じていくことになるヒロイン。そして、自らの暗い情念と慾望を満たすために配下の暗殺者集団を動かす悪の頭領。そこにヒロインに対する個人的な恨みをもったものや、ヒロインの後釜を埋めた勝気な女刺客、武術だけでなく奇術にも通じた男など、個性豊かな剣客たちも絡む。愛のためその身を捨てて血路を開く、クライマックスの大アクションは、さすがにただのアクションに終わらず、エモーショナルである。

主人公の女剣客は、最初は台湾のケリー・リンが演じているが、「整形」によって「ミシェル・ヨー」になる。そんな事情もあって、ミシェル・ヨーになる前のパートにはあまり時間を割きたくなかったのかもしれない。本来であれば、冒頭に置かれた達磨大師強奪のエピソードはもっと大々的に描かれても良いと思うが、ストップモーションなどを使ったキャラクター紹介程度の扱いになっていて少し残念だ。また、彼女が過去を捨てるきっかけとなる出会いには、もうすこし説得力が欲しい。

ミシェル・ヨーは、年を重ねてもなお素晴らしいアクションを見せてくれるのだが、それ以上に、ドラマを演じられる素晴らしい女優でもある。本作の中盤で、冴えない男を演じているチョン・ウソンと関係を深め、夫婦として平凡な生活を送ろうとするシークエンスで彼女が醸しだす佇まいが素晴らしい。「アクション」を期待した観客にとっては、思ったより長い中だるみに思うかもしれないが、それを踏まえるからこそ、クライマックスが盛り上がるのである。

アクションシーンの振り付けは流れるダンスのごとく美しく、素早く、力強い。監修とはいえ、そのあたりにジョン・ウー的なセンスが感じられる。主人公の使う剣術は、剣がしなって相手の急所を突くというもので、これがビジュアル的にも面白い。ライバル的に登場するバービー・スー演じる女剣客はとても面白いキャラクターなのだが、これからというところであっさり退場させられてしまい少々もったいなかったかもしれない。

8/20/2011

Shanghai (2010)

シャンハイ (☆☆)


日米開戦前夜の上海を舞台に、新聞記者を装い同僚の死の背景に迫ろうとする米国諜報部員が、死の鍵を握る女の存在に迫ろうとするうち、抗日レジスタンス活動とそれを弾圧する日本軍の緊張関係の中に巻き込まれていく。ワインスタイン・カンパニー製作、『1408号室』の監督・主演コンビであるミカエル・ハフストロームとジョン・キューザック、主人公の上官にデイヴィッド・モース、独の友人にフランカ・ポテンテ、中国裏社会のボスにチョウ・ユンファ、その妻にコン・リー、日本軍将校に渡辺謙、その情婦に菊地凛子。スウェーデン出身監督が米中日のキャストを束ねるという不思議な企画である。

これは史実に埋もれた事実をあぶり出すポリティカル・ミステリーとかサスペンスの類ではなく、ハードボイルド風のメロドラマである。それがたまたま1941年の上海という、とても魅惑的な舞台で展開されるというわけだ。

「探偵役」となる主人公は、殺された同僚が日本軍将校の情婦に接近し、何らかの大きな動き、すなわち、真珠湾攻撃に向けて着々と準備を進めている日本軍の機密情報を収集していたらしいと突き止めていく。ただ、殺しそのものは、結局、全て個人的な愛憎ゆえという、「驚愕」というよりは、むしろありがちな「真実」にたどり着く、という話である。

殺された同僚が、表向きの中立を保つ米国の立場を超えて日本の機密に関わる諜報に深入りしていたという話は、物語の最初から仮説として提示される。さらに、失踪した鍵になる女「スミコ」が日本人であることもあって、捜査のプロセスそのものに「ミステリー」はほぼ、ない。そのかわり、捜査のプロセスで知り合った魅力的な「レジスタンスの女」に肩入れすることで、複雑な人間関係の渦中に巻き込まれていくことになるのである。これもまた、定型通りといっても良い展開だろう。

主人公を演ずるジョン・キューザックは、監督とは前作で組んで気心が知れているというのも起用の理由だろう。彼が一生懸命背伸びをしてハードボイルドを気取っているところは微笑ましくも思うのだが、ちょっと本作を背負うには少々弱いキャスティングではなかったか。陰謀渦巻くなかでの米国の門外漢的な立ち位置、あるいは、ナイーヴさを象徴しているようにも見えるし、情にほだされやすく、純で甘っちょろい面を感じさせる意図もあろうかとは思う。しかし、コメディでもない限り、キューザックがプロフェッショナルな諜報員というのは、俄に信じ難い。それはさておいても、チョウ・ユンファ、コン・リー、渡辺謙といったキャストに囲まれると、そこは役者としての格の違いが出てしまう。

他のキャストでは、チョウ・ユンファは久々に彼に似合ったいい役であるし、見せ場もある。渡辺謙もストイックなイメージを逆手に取って、悪役ながら魅力的な役柄だ。日本で宣伝に駆り出されている菊地凛子は鍵になる情婦の役だが、出番は少なく、アヘン中毒で毛布をかぶって震えているだけ。本作のヒロインは、日本軍に協力する夫を持ちながら、裏でレジスタンス活動を支援するコン・リーで、さすがの美貌と存在感ながら、主人公を翻弄する「運命の女」としては妖しい魅力にかけているように思う。

上海での撮影許可を取り消され、急遽バンコクに建てたという巨大なセットがなかなか壮観で、作品の雰囲気を補強している。作品の性格上、夜間であったり、暗所でのシーンが多いため、せっかくのセットを堪能するまでには至らないのが少々残念である。ミカエル・ハフストロームの演出は、脚本に盛り込まれた複雑な要素を交通整理しながらストーリーを進めるのが精一杯の様子で、あまり余裕を感じられない。まあ、キャリアでも最大規模の作品で、しかも、製作過程で遭遇したトラブルのことを思えば、作品としてまとまっているだけでも立派なものだと云うべきなのかもしれない。

8/15/2011

The Mechanic

メカニック(☆☆☆)


続編希望、としておきたい拾い物である。

『狼よさらば』のマイケル・ウィナー監督&チャールズ・ブロンソン主演コンビによる1972年作を、同作のプロデューサーであるアーウィン・ウィンクラーとロバート・チャートフのそれぞれの息子、デヴィッド・ウィンクラーとビル・チャートフがプロデュースした本作。今回は『コン・エアー』でデビューしたサイモン・ウェストが久々の監督、主演は、いまやアナログ系なアクション映画の顔と言っても過言ではないジェイソン・ステイサムだ。

正確無比な仕事ぶりの殺し屋が、恩人であり友人でもある男の殺害依頼を発端にして、私怨で反撃をしていくことになる。そこに、恩人の忘れ形見を弟子として育てていくエピソードが絡み、避けられぬ師弟対決へと突入していく。

タイトルの「メカニック」、というのは、正確無比な仕事をする主人公ら、殺し屋を差していう言葉である。主人公に対する仕事の依頼が、ウェブサイトの「メカニック求む」という求人欄に流れているのが笑いどころかもしれない。

さてこの映画、なんといっても、複数の殺しのアサインメントを重ねていく構成が小気味良い。冒頭、主人公のプロフェッショナルぶりを見せつける仕事があり、ドナルド・サザーランド扮する友人を抹殺することとなる仕事があり、弟子の免許皆伝のための同業者殺害があり、2人で組んでカルト宗教の教祖の抹殺がある。これら一つ一つ、シチュエーションが異なり、殺し方が異なり、バラエティに飛んでいる。本題となる組織への反撃や師弟対決は、それらひとつひとつのステージをクリアしたあとの話だ。

サイモン・ウェストの過去作には『コン・エアー』、『将軍の娘』、『トゥームレイダー』等がある。どれも刺激的な映像を編集でつないでごまかしているだけという印象で感心したことがなかったのだが、本作の仕事ぶりはひと味違う。ビッグバジェットのイベント的映画という重圧から解放されたか、体脂肪率の低い脚本ゆえか、無駄のない筋肉質の演出で盛り沢山な内容を93分にまとめる職人ぶり。これを見ると、次回作に決定した『エクスペンダブルズ2』への期待も高まろうというものだ。

弟子を演ずるベン・フォースターのへたれぶりと、組織のトップを演ずるトニー・ゴールドウィンの卑怯者っぷりは、過去の作品等のイメージによる先入観を裏切らない。見た目だけで説明不要というキャスティングは、この手の映画では重要なことだと、改めて感じさせられた。

Tree of Life

ツリー・オブ・ライフ(☆☆☆★)

Way of Nature か、 Way of Grace か。

ショーン・ペン扮する中年男が自らの少年期を回想するホームドラマというのであれば、誰にでもわかりやすい映画になるんだろう。が、宇宙、生命の誕生から説き起こす、生命の歴史とその行く末の中に、一家族の歴史における一断面を配置してみせるという大胆な構成によって、何か全く別の、敷居の高い作品になっているのは事実である。

こういう映画を全国津々浦々のシネコンに拡大し、騙すようにして観客を動員する手法は、最終的に誰も幸福にはしないだろうと強い危惧を覚える。ここ最近のテレンス・マリックの作品の中でも最も抽象度が高い作品である。

それはともかくとして、この映画は結局のところなんなのか。要は、行き詰まった世の中を、具体的な事象として家族のドラマ(説話)に代表させると同時に、その原因を、生命の誕生以来連綿と続く、あるがままの欲望に支配された 「Way of Nature」というあり方に求め、「個」を超越したより大きな世界観において「Way of Grace」を実践することでしか高次の段階に進むことができない、という悟りに導かんとする映像説法のようなものなのだ、と思えばよかろうか。

えー、「我欲を洗い流す」って、くそったれの石原某みたいで気に入らないのだけど、まあ、ある程度そういうことだろう。

ヨブ記などを持ちだしてくるからキリスト教的世界観に基づくものと誤解をしがちだが、だいたい本作の作りからして進化論が土台になっているのだから、そういう思い込みはよくないだろう。むしろ、 より根源的で普遍的に、今日を生きる困難や不幸と対峙するための思考を提示しようとしているはずである。

ホームドラマ・パートでの、素人子役を含む役者たちから演技を引き出してフィルムに定着させる力、なんでもない風景を魔法がかかったように美しく切り取る撮影、流麗な音楽に乗せて的確につないでいく編集のリズムとセンスは超絶的に素晴らしく、さすが、マリックだと思わせる。これは、映画館の暗闇で、最高の上映コンディションで鑑賞する価値があるフィルムである。まあ、あまりの心地の良さに眠気を誘われる可能性も高いので、万全の体調で望む必要があるのはいうまでもない。

それ以外、というか、天地創造パートとでもいうべきところは、およそ30年ぶりにダグラス・トランブルを引きずりだして作られたオールドスタイルの特撮も含んでいる。提示されるイメージ自体に新規性や驚きはないのだが、むしろ、これらの一連のシーンを、ネイチャー・ドキュメンタリーと同じレベルに感じさせる見せ方と、さりげないクオリティの高さであろう。

また、これはフィルムの出来栄えとは違った次元の話ではあるのだが、本作が『2001年宇宙の旅』を手がけた「特撮の神様」トランブルの参画を得たことは、本作が件のキューブリック作品に比肩しうるテーマの大きさを内包した作品であることを象徴的に物語っているようにも思われる。そういうことを考え始めると。「ドナウ」に対抗して「モルダウ」だったのか、などと、選曲ひとつについても深読みをしたくなったりする。もしかして、本当にそうなのか?

『シン・レッド・ライン』のように、美しい映像に延々と登場人物の内面を語るモノローグが被さってくるのに比べれば数段刺激的である。もちろん、プロットとかストーリーを中心に映画を観るのであれば、これはそもそもそういう類の映画ではないし、大胆といえば大胆、唐突といえば唐突な映画の構成に、それを面白がりながらも、反面、戸惑いを感じずにはいられない。先に書いたように、人生を思索する上においては大変魅力的で実験的な映像説法であると結論付けておくことにする。

8/10/2011

Drive Angry 3D

ドライブ・アングリー3D(☆☆☆)


ニコラス・ケイジも、ヘンな映画ばっかりに出るものだ。しかし、本作はそういうヘンな映画のなかにあって、なかなか面白くみられるオススメの部類に入るといってよいだろう。もちろん、エロとヴァイオレンス満載の、エクスプロイテーション感満載の低俗なアクション映画には違いがないのだが。なんというか、良質な俗悪映画とでもいうべきか。

娘を殺したうえ、孫娘を生け贄にせんとする悪魔崇拝のカルト教団の魔手から孫娘を救い出そうとするのが、ニコちゃん演ずる主人公である。ダッジチャージャーやら、シボレー・sシェベルSSやら、ヴィンテージもののアメリカン・マッスルカーを駆って悪党どもや追手を成敗していく。死んだはずなのに地獄の底から蘇ってきた狂気の主人公、撃たれても撃たれても、立ち上がるその男の名はジョン・ミルトン(って「失楽園」か!)。そうなると、謎の追手はもちろん、地獄の番人だ。

クエンティン・タランティーノがしかけた「グラインドハウス」がオマージュを捧げた類の映画の最新バージョンだと思ったら良い。監督は『ブラッディ・バレンタイン3D』などという、これまた俗悪映画を手がけたパトリック・ルシエだから、観客がこの手の映画に求めるツボをよく心得ている。女を抱いたまま襲い来る刺客を皆殺しにするシーンなど、笑いどころも多い。アンバー・ハード演ずるヒロインもセクシーで格好良いし、大味だが血塗れで派手なアクションも満載だ。

この監督、すでに3D映画の経験を済ませているからなのか、本作の3D演出も、漫然と3Dをやっているそこらへんの大作と違ってなかなか面白い。もちろん、最初から3Dカメラで撮影されている本作は、今年になって劇場で観た実写の3D作品では一番出来が良いとすら思うほどだ。もちろん派手なアクションやカースタントを迫力一杯に見せるとか、弾丸や杭が飛び出してくるという古典的な立体演出も多用されているのだが、車の窓ガラスに反射する風景であるとか、主人公の回想シーンなどを立体的に重ねる演出は、3Dを演出上の道具として効果的に使いこなしているよい事例であると思う。

上映時間105分、そもそもこういう映画を求めて見に来る観客を、きっちり楽しませるだけのサービス精神に満ちた拾い物である。まあ、誰にでもオススメというわけではないんだけどね。

8/07/2011

Toy Story Toon: Hawaiian Vacation

ハワイアン・バケーション(☆☆☆)

『カーズ2』と同時上映された、「トイ・ストーリー」のキャラクターを使った短篇である。時間軸では「トイ・ストーリー3」の後日譚になっていて、新しい持ち主のもとにもらわれていったあとの話ということになっている。

持ち主一家がハワイでの休暇に出かけると、玩具たちは仕事から解放されて束の間の「休暇」を楽しめる。一方、愛すべきアホ・キャラであるケンは持ち主の荷物に紛れ込んで永遠の恋人・バービーと一緒にハワイで素晴らしい休暇を過ごすつもりで綿密な計画を立てていた・・・というのが発端で、いつもの仲間たちがケンの夢の計画を形にするために涙ぐましい奮闘をするというのが今回のストーリーである。

短い時間のなかによくもまあ、と思うほどに切れのあるネタを詰め込み、テンポよく笑わせ、おなじみのキャラクターたちが、前作以降も生き生きと暮らしている様を見せてくれる。「トイ・ストーリー」シリーズのファンサービス的な作品として、ほぼ完璧な出来栄えである。トム・ハンクス、ティム・アレン、ジョーン・キューザックらの主要なボイス・キャストが再結集していることも嬉しい。前作でバービーとケンの声を当てたジョディ・ベンソンとマイケル・キートンもきっちり続投してくれているんだよね。

その一方、これまでの短編作品が、実験的であったり、アーティスティックであったり、多様な個性を主張しながら笑わせたり泣かせたりしてくれたことを思うと、既に確立したキャラクターに頼った本作のような作品だけでなく、今後もいろいろな作品を見せて欲しいと思うのだが、さて。

ちなみに、トイ・ストーリーものの短篇は、すでにもう一本、バズ・ライトイヤーを中心にしていると思しき"Small Fry"が製作されており、ディズニーが北米で年末に向けて公開する"The Muppets"に併映されることが決まっている・・・って、えー、ジム・ヘンソンの「マペット」ものの権利って、いつの間にかディズニーが買っていたんだ(驚)

Cars 2

カーズ2(☆☆☆)

ピクサー・アニメーションスタジオ25周年、12本目の長編作品は、2006年『カーズ』のキャラクターたちによるスパイ・アクション・コメディである。2時間超の長尺で、米国のマザー・ロード「ルート66」を題材とした主人公「ライトニング・マックイーン」の内省的成長のドラマだった前作とはガラリと趣向を替え、世界各地を舞台として展開する賑やかでハイペースのアクション・アドベンチャーになっている。

物語そのものには深みはないが、ガソリンに代わる代替エネルギーと、石油業界にまつわる陰謀を取り込んでいるあたりの時代感覚はさすがといったところだろう。ライトニング・マックイーンが世界各地を転戦する傍ら、短編作品以降、実質的な主人公並の扱いになっているトー・トラックの「メーター」が、本物のスパイと勘違いをされて頓珍漢な大活躍というストーリーなのだが、マックイーンが出走するレースそのものが陰謀の舞台となることで物語が1本の線につながる脚本は、なかなかのお手並みだと思う。

プロのスパイとして登場する新キャラクター「フィン・マクミサイル」の声を、「オースティン・パワーズ」でもモデルのひとつでもあるMI-6のスパイ、「ハリー・パーマー」を演じたマイケル・ケインが当てているところが聞きどころといえるだろうが、例によってオリジナル言語・字幕版の公開が非常に限定されているのが残念なところ。また、前作の重要キャラクターであった「ドク・ハドソン」は、声を当てていたポール・ニューマンの死去に伴い、劇中写真のみの扱いになっていて、改めてポール・ニューマンの不在を思い起こさせられる。

本作では前作に増してジョン・ラセターの車マニアぶりが最大限に発揮され、名車、迷車、珍車から新車まで盛り沢山。あちこちに相当マニアックなネタやこだわりが隠されているので、何度も何度も繰り返し見て確認する楽しみもあるだろう。5年前の前作からのCGI技術の向上も大きく、濡れた路面への反射や、アニメーション的なデフォルメを加えながらの世界各地の実景の再現具合はため息が出るほど。

なお、2作目になってより明白になったことではあるが、本シリーズの前提となっている車が生き物であるところの世界観は、深堀すればするほど矛盾が噴出して破綻をきたすので、ちょっと気の利いた冗談くらいに思って受け止めるのが適切だと思う。

これまでの物語を中心においたピクサー映画とはひと味違う、気楽に楽しめるキャラクター中心の娯楽映画として、良心的で、よくできた作品である。が、常にそれ以上を期待されてきた重圧のことを思えば、よくこういう割り切りをできたものだと、違った意味で感心する。本作に関していえば、おもちゃ箱の中からお気に入りのミニカーたちを持ちだして遊んでいるつもりで見るのが一番正しい楽しみ方じゃないだろうか。

8/06/2011

Monsters (2010)

モンスターズ 地球外生命体(☆★)


米国版の新しい「ゴジラ」への起用が話題になったギャレス・エドワーズ監督が低予算で創り上げた作品だというので、どんなものかと見に行ってみた。おんなじ低予算という意味で、今年公開された『スカイライン 征服』なんかと比べたら、一応、「映画」になっていると意味では数段マシ。

じゃあ、面白いのかと言われると、それは別の話なのだ。残念ながら。

NASAの事故により宇宙で採取した異星由来の生命体のサンプルがメキシコ上空でバラまかれてしまい、この「外来種」に汚染された地域が封鎖されている。主人公である報道写真家は、とある女性をエスコートしてこの地域を突破し、米国国内に帰らなければならない羽目になる、という話。

地球に襲ってきたエイリアンというのではなく、たまたま外来種に汚染された、というアイディアはとてもユニークだし、面白い。この生き物がたまたま環境に適合して、独自の生態で繁殖しているわけである。

また、大きくなったイカの化け物ようなモンスターは、封鎖された地域の外で暴れて街を壊したりするのだが、人々がその様子を普通に報道番組で観ていたり、何か、不可抗力の災害のように見ている様子もとても面白い。明らかに異常事態であり、非日常な状況なのだが、その「非日常」が「日常」になってしまった本作の世界観は、どこか、原発災害後の日本の現実と二重写しにならないでもない。また、米国とメキシコの国境に、万里の長城のような高い壁が築かれているというのは、なにか、不法移民問題に関する暗喩であろうか。アメリカがばらまいた種なのに、ね。

・・・と、まあ、発想や設定は面白いのだ。そして、これを男女二人の脱出行、ロードムービーとして仕立てようというアイディアも良いと思うのである。

しかし、この映画の良いところはそこまでだ。だいたい、スリルもない、サスペンスもない、アクションもない、ドラマもない。これでどうしろというのだ。話の運びそのものにも工夫がなくて行き当たりばったり。キャラクターの言動に一貫性がないし、そもそも、男女二人のキャラクターも魅力がない。怪物の見せ方も、デザインもつまらない。

そんなわけで、たかだか94分の作品であるが、2時間半には感じられるほどの体感時間。1時間を越えたあたりから、ただひたすら早く終わってくれるように祈りながら観ていた次第である。

まあ、本作は監督自ら脚本を書いて、撮影も、美術も、特撮もこなした低予算映画だから、いろんな意味で限界はあるのは分かる。本作に対する評価も、低予算のわりには頑張った、というレベルの話と、エイリアンの侵略もの、巨大生物ものに新鮮で今日的なアイディアを持ち込んだというところへの賛辞であって、それ以上のものではないように思う。

で、改めて、ゴジラ、大丈夫なんだろうか。あんまり期待できないんだが。。。

Edge of Darkness

復讐捜査線(☆☆☆★)

『サイン』以来、役者としてはスクリーンから遠ざかっていて、最近では場外でのお騒がせ発言により映画スターとしての命脈を絶たれたかの感すらあったメル・ギブソンの、久々の復帰作である。セガールあたりにお似合いの安手なアクション映画っぽい邦題からはなかなか想像しづらいのだが、なかなか見応えのあるポリティカル・スリラーである。もともと本作の監督、マーティン・キャンベル自身が1985年に監督したBBCのTVドラマ・シリーズを、米国を舞台とした映画として脚色、リメイクしたものだそうだ。

主人公であるボストン市警のベテラン刑事のところに、大学を卒業して働き始めたばかりの一人娘が訪ねてくるが、その矢先、刑事の家を賊が襲撃し、その銃撃で娘が殺害されてしまう。警察は、主人公に対する怨恨の線で捜査を進めるが、娘の挙動に不審なものを感じていた主人公は独自に捜査を開始、事件の真相に近づいていくうちに、政治と軍需産業が癒着して進めていた極秘裏の核兵器開発と、それに関わる隠蔽工作に行き当たる。

この映画の直接の「悪役」は、技術開発を行う民間企業という表向きの姿を隠れ蓑にした軍需コントラクターで、秘密裏に違法な核兵器の開発を請け負っている。またその事実の漏洩を恐れて隠蔽工作を進める政府関係者たち、軍需企業から献金を受け内部告発を握りつぶす上院議員らもまたしかりである。とりたてて新しくもない構図ともいえるが、眼に見えている現実の裏側にある闇の広がりをうまく感じさせられる脚本になっている。

陰謀の発端はなんでもよいのだが、そこに核兵器の開発が置かれている点は、オリジナルと同じようだ。本作の土台が80年代のTVドラマであり、当時の社会的不安を反映したものだからであろう。そういう意味で、一般的な意味でいえば少々古さを感じないでもない。ただし、国益を語りながら政官財が癒着する構図が放射性物質をめぐって展開されているところや、結果としてドラマに取り込まれた放射線被曝の恐怖などの要素は、3/11後の日本の観客としては現実との不思議なシンクロニシティを感じさせられたりもして、少々背筋寒く、そして面白い。

まあそんなわけで、過度に自粛してお蔵入りさせるのではなく、きちんと公開してくれたことを評価すべきなのだろうが、台詞で「放射線に被曝」とはっきり言っているのにかかわらず、字幕の表現が「感染」だの「発症」だのと、妙に気を使っているのが気持ち悪い。分かる人は分かるのだからこれで良い、という考え方もあるだろうが、こういう「隠蔽」工作は許容したくない。

メル・ギブソンは、愛娘の死の真相の追求と、復讐のために、自らの体を張って挑んでいく男を、年を重ねてもなおギラギラとした危険な雰囲気を漂わせ熱演している。それがあまりに似合うがゆえに、本作が「悪い奴らを皆殺し」的な単純なアクション・スリラーに見えてしまうところが悩ましいところである。役者が異なれば、もう少し知的な雰囲気の作品に仕上がったのではないだろうか。

実のところ、本作で一番面白いのは、主人公ではなく、レイ・ウィンストン演ずる政府が雇った隠蔽工作屋のキャラクターだったりするのである。数々の汚れ仕事に手を染めてきた男だが、この男なりの倫理観や行動規範があり、単純な悪役とは言い切れない味わい深さがある。現実世界の一筋縄では行かぬ複雑さを体現するこのキャラクターに比べると、主役であるメル・ギブソンはいささか粗暴かつ単純過ぎるし、軍需企業の取る対抗策もまた、知的でなく直接的過ぎた。まあそんなところもあるので、こんな邦題にされちゃうのも致し方ないのかもしれぬ。

8/03/2011

Super !

スーパー!(☆☆☆★)


愛する妻をドラッグ・ディーラーの元締めに寝取られた男が「神の啓示」を受けたと思い込み、自作のコスチュームに身を包んで悪人を成敗する「クリムゾン・ボルト」として活動を始め、町に巣食う売人や、映画館の列に割り込んだ男などに次々と制裁を加えていく。男の正体に気づいたコミック店員のイカレ女を相棒にして、警察の疑惑の目を振り切り、愛する妻の奪還のために危険なディーラーのアジトへの殴り込みを結構する、そんな話。

コスチュームを身に纏い悪と戦うコミックのスーパーヒーローたちがスクリーンを席巻するようになって随分になる。そんななかで、「コスチュームを着て悪と戦う」という行為の異常性についても、こうしたジャンルが自覚的に向き合うテーマの一つとなってきている。この『スーパー!』という映画も、何の変哲もない中年男が自作のコスチュームに見を包んで悪を成敗するという趣向から、昨年の収穫であった『キック・アス』の二番煎じのように見えるのだが、見終わってみれば、さにあらず。

『キック・アス』があくまで虚構世界を舞台にしたファンタジーであり、変則的なヒーロー物としての一線を踏み外さないのに対して、こちらはあくまで現実世界の延長線上でにあって、おそらくは「コスチュームを纏ったヒーロー」という意匠がなくても成立する物語であることが一番大きな違いなのではないか。

なぜなら、これは、神の啓史を受け、神の名において独善的な正義を振りかざすキチガイ男の話であるからだ。

勝手な思い込みが神の名において全てが正当化され、エスカレートしていく気持ち悪さと恐ろしさ。主人公は、TVで観ていた福音派のヘンテコなヒーロー番組に感化され、妄想の中で神の言葉を聞き、触手に脳味噌をタッチされて「選ばれたもの」としての使命感に目覚める。ここのプロセスに宗教を絡めているのは単なる偶然や思いつきではあるまい。

そうはいっても、当然、「悪い奴らはみんなブチ殺してしまえ」という不謹慎な快感もこの映画の魅力の一部である。

これは、多くの勧善懲悪ものに共通する快感ではあるのだが、無遠慮にグロテスクでバイオレント、かつチープな本作の描写は、どこか『悪魔の毒々モンスター』に通ずるものを感じさせられる。それは、本作の監督ジェームjズ・ガンのキャリアがトロマ映画で始まっていることと無縁ではあるまい。その悪趣味ぶりは、主人公の「活躍」ぶりを笑ってみてきた観客に冷水を被せるかのような終盤の、思いも寄らない2つのショッキングな描写にまで貫かれている。まあ、それゆえに本作を受け付けないという人々も多いとは思うが。

そして、これだけむちゃくちゃをやらかした主人公が、ある種のハッピーエンドを迎えるというエンディング。その取って付けた感は黒い笑いどころでもあり、しかし、冴えない男が正しく自尊心を取り戻した感動的な幕引きでもあって、そこに本作のドラマとしての魅力があるだろう。主人公に悪びれたところも反省もないのは、それこそ、宗教の名を借りたら何でも正当化できてしまうという恐ろしさをダメ押しするものと理解することもできるのではないか。

主演のルーク・ウィルソン、エレン・ペイジ、ケヴィン・ベーコン、リヴ・タイラーのメインキャストの仕事が素晴らしい。エレン・ペイジのハジケっぷりは、ただしく『ハード・キャンディ』で世に出てきた女優であることを思い起こさせられるし、ケヴィン・ベーコンの悪役っぷりも堂に入っている。

不謹慎で、低俗で、どこかヤバいところのある不健全な映画である。この映画のスタイルは露悪的というほかないが、しかし、そこには意外なほどに豊かなドラマがあり、重要な示唆を含んでもいる。なにかいけないものを覗き見するかのような、「シネコン」的な健全さとは異なる映画の楽しみがいっぱいの本作は、誰にでもオススメとはいいかねるが、ありきたりの娯楽映画や品行方正な社会派映画に飽きた向きには良い刺激となる1本だと思う。