5/10/2008

隠し砦の三悪人 The Last Princess

隠し砦の三悪人 The Last Princess (☆☆)

正月映画として公開されたリメイク版『椿三十郎』に引き続き、またしても黒澤、1958年の敵陣突破アクション『隠し砦の三悪人』のリメイクが登場である。手掛けているのは樋口真嗣監督。監督作としては『ローレライ』とか『日本沈没』とか、どうにも手放しで喜ぶわけには行かないような凡作ばかりを連打しているが、他者の作品に提供した画コンテや平成ガメラ三部作での仕事から、画作りの巧さには定評のあるところ。個人的にもそういう方面での期待は失っていないので、良くできた脚本さえあれば面白い作品ができるだろうと、手本となる(オリジナルの)作品があるのだから、よもや大きな失敗はないだろうと劇場に足を運んだ次第だが、期待はまたしても裏切られた。

『隠し砦の三悪人』といえば、ジョージ・ルーカスが最初の『スターウォーズ』を作るのに当たって参考にしていることでも有名で、物語の構成やキャラクター、場面によっては構図や演出までにもその影響を見ることができる。

今回のリメイクは、オリジナルの脚本をそのまま使用した『椿三十郎』とは違い、中島かずきによる新たな脚色を行っているのが注目点である。この脚色が『スターウォーズ』を経由して、原典に先祖返りするかのような脚色となっているのが興味深いところだ。オリジナルにはなかった若武者(ではなく、農民だけど)のキャラクターを追加、物語の中心に置いているが、これはルーク・スカイウォーカーの位置付けに当たるのだろうし、オリジナルの主人公にあたる真壁六郎太にはある種、ハン・ソロ的な役割もダブらせている。もちろん敵側の親玉は大仰な黒マスク姿だ。C3POとR2D2のモデルとされた凸凹コンビのコメディリリーフは、逆に1人のキャラクターに集約されている。まあ、新キャラクターを足した分、どこかで引き算が必要になるということか。

一部に、そこまで『スターウォーズ』がやりたいなら、『スターウォーズ』をリメイクしろ、という意見もあるようだが、私自身、『スターウォーズ』に熱狂し、その後にさかのぼって黒澤映画を見た世代であるから、この作品を今リメイクするとなれば、オリジナルが周囲に残した影響をまるごと作品世界に取り込むというアプローチはむしろ自然なことのように思われる。

何にインスパイアされようと構わないが、何か原典の要諦を考え違いしているところにあると思われる。この作品はもともと「降りかかる危機また危機をどのように切り抜けて敵陣を突破する」というそれだけの話であり、テンポ、スリル、スピードが命なのである。だから、これをリメイクするのであれば、まさにそこのところでいかに知恵を絞るか、スリルとスピード感をいかに現代の感覚とアイディアで再現するのかというのが、キモだといえよう。しかし、本作、不思議なことに、その要たる部分に何のアイディアも工夫もない。

その代わり、松本潤が演じる「新主人公」の成長やら、長澤まさみ扮する姫と主人公のラブロマンスやら、横道ばかりに力が注いでいる。スケールの大きいアクションにしようと力を込めるのもいいが、なんだか爆発で誤魔化しているようにも思われる。いや、ここに必要なのはドッカーンというサプライズではなく、はらはらするようなサスペンスではなかったのか。どうせハリウッド流の娯楽大作をテンプレートにしているのだろうが、手本にするものが違うだろう。

要を見誤った脚本も良くないが、キャスティングはもっとダメだ。アクション時代劇の主人公としてヒョロヒョロな松本潤というのは何なのだ。これが成長し、逞しい若者になるというのならともかく、彼にはそういう演技は無理だった。さらに、1人コメディリリーフの宮川大輔のキャラクターも、計算違いだかなんだか、画面に映っているだけで不快である。また、長澤まさみも精彩がない。これは脚本の問題もあるとは思うが、むしろ50年も前に作られた原典のヒロイン像のほうがよほど現代的で魅力的だというのは問題だろう。

オリジナルを尊重して見せた『椿三十郎』も失敗作だったが、現代的に脚色して見せた(はずの)本作もまたこんな体たらくだと、困ってしまう。せっかくオリジナルという面白い映画の手本がありながら、何故このように無残なことになるのだろうか。少なくとも黒澤リメイクを云々いう前に、今回も底抜け大作監督の汚名をそぐことができなかった樋口真嗣には、そろそろ監督をご遠慮いただくことをお願いした方がよいかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿