5/10/2008

The Myst

ミスト(☆☆☆★)

異次元というか異世界とこの世の境界線が偶発的に破れてしまい、凄まじいパワーを持つ異形の化け物があふれだしてくるという、ラブクラフトな雰囲気も感じさせるキングの中篇「霧」。この映画は、霧の中に潜む得体の知れないものを前にして、閉じ込められた人間たちがどう行動するのかというドラマを丁寧に描いていることで評価を受けるのかもしれない。しかし、それはこの話を撮る以上は「本筋」として当たり前のこと。むしろ、霧の中を徘徊する宇宙神話的な化け物たちの息遣いを感じさせるスケール感をこそ、評価すべきではないか、と思う。もちろん、「化け物」というのは、9/11 やニューオリンズなど、日常生活に突如襲い掛かった災厄のメタファーとしてみることもできるだろう。今の時代、サブコンテクストに9/11に端を発した社会不安がないわけがない。しかし、本作を覆い尽くす底知れぬ絶望感の源は、あれだけの化け物を出しても決してお笑いに転化させないフランク・ダラボンの確かなホラー魂にこそ根差している。いうまでもないが、この人は無類のキング好きなだけでなく、ホラー映画の脚本で売り出した過去を持っている。

この作品の映画化がフランク・ダラボンの手になる幸せはいろいろあるかもしれないが、やはり、彼のネームバリューによって(派手ではないかもしれないが)確かな実力のある役者が集まっていることだろう。狂信的な宗教おばさんを演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンだけではない、いかにもぼんくらな犠牲者クリス・オーウェンとか、無知蒙昧なブルーカラーぶりが見事なウィリアム・サドラーとか、そしてもちろん、主人公を支えることになる射撃の名手を演じたトビー・ジョーンズらが、見事なアンサンブルキャストを形成している。なにしろ、これまでに安手に映画化されたキングの短編で何が辛いかといって、まず役者のレベルが落ちることであった。(もちろん、ついでに、安っぽくセンスのない特撮にも責任があるのだが。)主演にトーマス・ジェーンという、新しいほうの「パニッシャー」(古いほうはドルフ・ラングレンな。)が起用されたと知ったときの不安は映画を見ることによって完全に払拭された。トーマス・ジェーンも花のある人ではないが、良識があると思っている一般人の代表として適役だった。

議論を呼んでいる「ラスト15分」は、原作が敢えて描かず、読者の想像にゆだねた「その先」にある物語を、徹底的に悪意のある解釈で創造したものである。そういえば、ダラボンは『ショーシャンクの空に』でも余計なエンディングを付け足した人であった。個人的に、下手な付け足しをするくらいなら、絶望も希望も「想像にゆだねる」かたちで余韻を残すのが良いと思うが、昨今、野暮なことに、それでは満足できない観客がたくさんいるらしい。結局、ここでの付け足しは、徹底して「主人公の選択が正しいとは限らない」という絶望を見せることであって、ハリウッドの娯楽映画的な決まりごとから逸脱する描写もあって悪趣味でもあるが、それほど悪くないと思った。キングの小説には『デスペレーション』などを代表として「神の行いの残酷さ」をテーマとして扱った作品がある。実はダラボンによる映画版『グリーンマイル』の一番物足りないところは、原作のラストで描かれたそういう要素の掘り下げが足らず、甘さに逃げたところであった。ある意味、今回のエンディングでそのときの借りを返したものという見方もできるかもしれない。

本作で一番残念なのは、「感動もの」として(騙してでも)売りたいがゆえの日本版ポスターだ。劇中でも主人公の描いていたポスターとして何作品かが登場する大ベテラン、ドリュー・ストラザーンの作になるオリジナル・ポスターが陽の目をみなかったのはいただけない。しかし、感動ものとして売るのはいいけど、一度騙されたと感じた観客が再び映画館に戻ってきてくれるのかどうか、せっかくの力作なのに、期待していたものとは違うという理由だけで満足度が下がったりもするもので、みな遠慮なくネットにそういう不満を書き散らすものなのだから、もうすこし考えてほしいよね。

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