7/19/2008

Cribmers' High

クライマーズ・ハイ(☆☆☆☆)

原田眞人監督による『金融腐食列島・呪縛』、『突入せよ!「あさま山荘」事件』に続く、いってみれば「昭和の大事件シリーズ」第3弾は、横山秀夫の原作を元にし、日航機墜落事故に遭遇した地元紙記者たちの姿を描く本作、『クライマーズ・ハイ』である。同じ小説を原作とした先行作品として、2005年、 NHKが力の入った2部構成のドラマを放送、好評を得ており、正直、今更?他にネタはないの?という気持ちもないわけではなかった。が、(雄弁な自作擁護の声は大きくても作品そのものは微妙な出来が多い)原田眞人もなぜか「この」路線に限ってはハズレがないし、堤真一に堺雅人という魅力的なキャスティングを聞いて完成を楽しみにしていた1本である。そして、その期待は裏切られなかった。なんだかんだといって、本年の日本映画を代表する1本に仕上がっているといってよいだろう。

この映画での強烈な見所のひとつは、「新聞社」の仕事ぶりを、極端に短いショットの積み重ねと畳み掛けるような大量の台詞によって同時に様々なことが進行していく緊迫感や緊張感と共に臨場感満点に再現してみせるところだろう。こういう見せ方にかけたは原田眞人の独壇場ではないか。比較対象を世界に広げても突出して巧いと思うし、彼の過去作品で試みられた類似シーンと比べても、今回のものは格段に効果的であった。

こういうある種の集団が主役となるシーンは、やはり、出演している役者のレベルにも左右されるものだが、個性的な顔が並ぶアンサンブル・キャストは実力者揃いで、みな、目の前の仕事に真剣な「プロ」の顔になっていて、しかも集団の中に誰一人として埋もれていない。役者の層が厚い米国映画ならともかく、ともすればどこかで見たような顔ばかりが並んでしまう日本の映画においては、このキャスティングひとつとっても傑出したものだと感嘆した。それも相まって、このフィルムには仕事をする人間、「プロフェッショナル」の格好良さ、彼らが個人として、チームとして仕事に集中するときに感じるであろう高揚感とでもいうものが焼き付けられている。そして、それはそのまま、「日航機墜落」という大事件に直面した主人公らの高揚感("cribmers high")に文字通りつながるのである。

期待通りに主演の二人がいい。映画スターとしての輝きを見せてもらったという意味では、期待以上である。いま、実力も華も兼ね備えて正に旬を迎えたといってもいい堤真一と堺雅人。この二人がスクリーン上で激突するのである。ことに、様々にクセのある役柄を飄々とこなしてきた印象の強い堺雅人から、本作のようなタフでハードな男の色気を引き出してみせられるというのは嬉しい驚きである。大事故の現場に一番近いところにいながら、新聞記者という立場上、自分ではどうにもならないことに対する苛立ちや無力感、悔しさのようなものが良く出ていた。堤真一も様々な役柄を器用に演じる印象を持っているのだが、ここでは映画の柱として常に中心に立っていなければならない役回りを堂々と、孤高のヒーローとでもいうべき存在感で演じ切っている。この人の、映画1本を支えられる看板としての大きさを、ここまで感じさせられたのは初めてのことであった。

原作のストーリーや設定をある程度丁寧に追うだけの余裕があったNHK版と違い、それなりの尺のなかにエッセンスを封じ込めなければならない映画版は、脚色をおこなう際の切り口のようなものや、エピソードや伏線の単純化、取捨選択といったものが重要になってくるし、そこが映画の個性として立ち上がってくる部分だといえよう。本作の脚色は,作り事めいたストーリーを語ることより、現場の臨場感の中から、瞬間瞬間のドラマを拾い上げていくことに重点が置かれているように感じられた。ただ、それが本当の狙いだったのかどうか分かりづらいのは、原作からの取捨選択が時に不完全というか、本筋から離れた枝葉末節と感じられる部分に流れることがあるからだろう。このあたり、変に単純化、省略をせず、猥雑なもノイズのようなものをそのまま残しているのも意図的なものだと好意的に解釈しようと思う。こうした部分に起因する作品としてのイビツさもまた、臨場感や勢いにつながっており、本作の魅力の一部を成しているからである。

また、「当時」のパートに「現在」のパートが時折挟み込まれる構成について、作品に対する没入感を殺ぐようにも感じられ気になっていたが、最後まで映画をみると、このラスト、日本映画というよりはどこか米国文学を思わせるエンディングにつなげるためにはこれ以外の構成はなかっただろうと思い直した。「当時」パートの描写の密度と「現在」パートのそれとの落差が激しいことに根本原因がある以上、ここはいかんともし難いところだろう。まあ、これだけテンションの高い作品である以上、箸休めがあってもよいのかもしれないが、そこが緩急というようなうねりではなく、1か0か、オンかオフかのように極端であることが気になる理由なのであろう。あのラストを余計だとする意見も多いが、そうではなく、あのラストにつなげるストーリーがうまく描かれていない、機能していないことのほうがどちらかといえば課題だったのではないかと考える。

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