6/29/2008

In the Valley of Elah

告発のとき(☆☆☆★)

イラクに派兵されていた息子が帰国後まもなく無許可離隊・失踪したとの連絡を受けた父親。軍警察での経験を活かして自らの手で捜査を始めた彼だったが、そのかいもなく、無残な姿で発見された息子と対面する。地元警察と軍警察の狭間で息子の死の真相を探るうち、誇りと愛国心に満ちていた男の目に、イラク戦争を通じて変質した米国の今が映し出されていく。出演はトミー・リー・ジョーンズ、スーザン・サランドン、シャーリーズ・セロン。ポール・ハギス脚本・監督。

この映画は失踪した息子の謎を、これまでも数々の作品で「追跡する男」を演じてきたトミー・リー・ジョーンズが追うミステリーとして幕を開ける。ほどなくして息子の無残な死が明らかになったあとも、誰が殺したのか、なぜそのようにして殺されなければならなかったのかを縦糸に、最後まで「ミステリー映画」のフォーマットから逸脱することなく、寸分の迷いも感じさせぬ足取りで、物語が語られていく。「告発のとき」などという邦題は、「ミステリー映画」というより「法廷映画」だろう、という意味で、つけた人間の言語センスが疑われる。

軍組織の壁に阻まれながらも事実を積み上げ真実に迫っていくトミー・リー・ジョーンズは、『逃亡者』&『追跡者』で決定的としたイメージに、つい先日公開されたばかりの『ノー・カントリー』の余韻も重ね、完璧である。プロフェッショナルなたたずまいに、押し隠した胸のうちが透けて見える、そんな繊細な感情表現を、おなじみの仏頂面で「礼節と規律を重んじる軍人上がりのまじめな男」というキャラクターを、パンツに折り目をつけたり靴をそろえたり、あるいは「トップレスの女性(すら)も ma'am」と呼称するなどの細かな所作を積み上げて肉付けしていく丁寧な演出も光る。

しかし、この映画のポイントは、ミステリー仕立てのなかで浮き彫りにされる米国の病にこそある。国家の都合と欺瞞で戦場に送り込まれ、人間性を崩壊させた若者たち。盲目的な愛国心を笑うのでなく、いかんともしがたい格差や貧困を嘆くのでなく、それを利用し、そこにつけこみ、大義のない戦争に駆り立てた責任を誰が背負うのか。そして、傷つき変質した社会を誰が癒すのか。この映画は、主人公が南米移民の用務員に星条旗の掲げ方を指南するエピソードで、それを象徴的かつ印象的に表現して見せた。国家は内なる危機に瀕しており、すでになす術を持たない状況だと。誰かの救いの手を待つしかない、そういうことなのだろうか。

ポール・ハギスの名声を確立させた監督作『クラッシュ』は、現実の厳しさを小さな奇跡によってファンタジーに昇華させ、かすかな希望の余韻を残して幕を閉じた。しかし、この作品に希望はない。主人公の信じた正義、主人公が誇りに思った米軍、無条件に愛した米国という国家は、幻想だったとまではいわずとも、失われて久しいものであるとの現実認識に至る悲痛な物語であるからだ。その重さは、いくらこの作品が「ミステリー映画」の骨格を借用していようとも失われることはない。それがこの映画の美徳であり、欠点でもある。ポール・ハギスの誠実な仕事には敬意を表すが、一方で、彼の生真面目な資質は、多くの観客にとって、この映画への敷居の高さにつながるだろう。また、何度も見たい映画か?と問われたら、その生真面目ゆえの重苦しさに「一度でいいや」と思わせてしまうところもある。

田舎町で生活のために仕事を続けているシングル・マザーの刑事を演じたシャーリーズ・セロンは好演しているが、映画の中での扱いの大きさのわりには見せ場がなく、残念。偽サインを見破るだけでは、ちょっとどうかと思うのだ。また、主人公の息子の軍における仲間を演じた若い役者たちは平坦で印象に残らない。戦場で撮影された動画ファイルを復元しながらストーリーを引っ張っていくアイディアは秀逸だったが、「息子」が傍観者ではなく当事者の一人でもある状況での撮影は作為的だと思うし、動画へのノイズ混入が激しすぎて何が映っているのかわかりづらく、期待通りの効果を出せていないのではない。

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