7/13/2009

Knowing

ノウイング(☆☆☆★)


世間的には『アイ、ロボット』の、となるのかもしれないが、私にとっては『クロウ 飛翔伝説』、『ダークシティ』で並々ならぬ映像感覚を披露してくれたアレックス・プロヤスの新作、それが本作である。物語の構造的には、もしかしたらMナイト・シャマランの作品などにも通じるところがあるのだが、そこは監督の資質の違いというべきか、ハッタリで押し切るのではなく、びっくりするようなスペクタクルを織り込んでバランスの良い娯楽映画となっている。

一見してよくある「ディザスター・ムーヴィー」の顔をしている本作ではあるが、これは世界規模の様々な災厄、地球滅亡の危機に、どう人類の英知をもって挑むのか、生き残りをかけて人々がどう行動するのかを描いた作品というわけではない。この世の中に人知を超えた存在があるということを前提(We are Not Alone)として、聖書が「黙示録」で予言するところの世界の終末が実際に訪れるとしたら、こういうことなんだよ?と描いてみせるのがこの作品なのである。

しかし、それを以ってこの作品を宗教的な映画だと決め付けるの早計であると思うのである。実は、この映画の本当の面白さは、宗教的モチーフで作品を埋め尽くしながら、総体としては全く宗教的でない、その不可思議さにあると思うのである。例えばシャマランの『サイン』という作品は、宇宙人襲来などという大仰な仕掛けを取り払ってしまえば、信仰を失った宗教者が全ての物事は偶然ではなく必然であると悟りを開き、再び信仰を取り戻すという物語であった。その主人公を演じるのがキリストの殉教を映画にしたメル・ギブソンであることも含めて、極めてキリスト教的、宗教的な映画だといえる。それに比べて、本作はどうか。「信仰」というものと、「救済」のあいだに全く関連性がない。宇宙人の声を聞くことができる「ニュータイプ」だけが救済の対象だ。主人公の父として宗教者は登場する。が、その父や、父と和解した息子が救済されるという話でもない。善とか悪とかの話ではなく、地球規模の災害は科学的に説明しうる自然現象として描かれる。実態として、キリスト教的な(キリスト教徒には理解しやすい)モチーフを散りばめた作品ではあるが、信仰という地平からは大きく離れたところで作られているのが本作だといえるだろう。あまつさえ、異端信仰(ペイガニズム)を描いたカルト映画のリメイクに主演しちゃうような感性を持つニコラス・ケイジが主演しているあたりからして、本作をキリスト教的プロパガンダと見るには無理がある。むしろ、キリスト教的信仰に対するシニカルで意地の悪い視点を持った作品であるとすら言えるだろう。

いまや「すごい映像」では誰も驚かなくなってしまった時代に、アレックス・プロヤスの特異な映像センスは「表現」のレベルで作品の随所に現れていて、月並みと言わせぬだけの力がある。よくあるCGI映像のように見えて、どれとも似ていないシーンで楽しませてくれるところがよいのである。ニコラス・ケイジが飛行機事故現場に遭遇する一連のシークエンスなどはその代表であろう。グチャグチャに壊れた飛行機の機体のなかから、乗客らが姿を現しては行き倒れになるあたりの生々しさ、なす術のなさからくる絶望感。このあたり、これまでにみたことのないレベルの表現として見事であった。そういう意味でいえば、映画のクライマックスとなるシーンが『未知との遭遇』の域を超えていないことや、人類の新天地として描かれる星の風景に新味がないところは陳腐であるとも思うのだが、逆に言えば、そこは誰がやっても同じになってしまうほど、先人の表現が完成されていたか、あるいは人間の想像力の限界か、といったところなのであろう。

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