ザ・ファイター(☆☆☆★)
ボストンの北西50キロ、メリマック川沿いに開かれたマサチューセッツ州第4の歴史的な(つまりは斜陽の)工業都市、ローウェルを舞台に、実在のボクサーであるミッキー・ウォードが噛ませ犬状態から抜け出して世界チャンピオンになるまでを、家族の絆と葛藤を軸にして描いた作品である。
感動?心を打つ?熱くなる?まあ、そういう映画としてみることはできる。もちろん、ボクシングが好きな人には、かなり実際の試合の再現度が高いなどといった見所も多い、らしい。・・・・のだが、当方、そんなことよりなによりもなによりも、「化け物屋敷の中に一人だけ、普通の兄ちゃんが迷い込んでしまった」映画として、変な楽しみ方をしてしまった。
普通の兄ちゃんとは、本作の主演、マーク・ウォルバーグである。
一方の化け物とは強烈な怪演を互いに競い合うクリスチャン・ベール、メリッサ・レオであり、普段とは違った役柄を熱演するエイミー・アダムスであり、観るに耐えないクズっぷりを演じてみせる主人公の(父親が一緒だったり違ったりする)7姉妹役の女優たちだ。
ご存知の通り、「化け物」たちのなかから3人がアカデミー賞にノミネートされ、2人が受賞。それも、いい演技というのじゃなくて、強烈な演技だ。
本作が怪演づくめになるのもさもありなん、と思う。なぜなら、主人公をとりまく人々が、ともかく凄まじいのである。『ミリオンダラー・ベイビー』のときも、家族のクズっぷりを容赦なく描く脚本と演出に仰け反った。が、こっちは実話だ。しかも、実在の人物らが役作りやらなんやらに協力している。普通、こんな描写をされて、OK出すか?というレベルで、ありのままといえばそうなのかもしれないが、社会の底辺で生きるどうしようもない人々の姿がリアリズムで活写されるのである。
もちろん、そもそも同じような階層を出自とし、実在のミッキー・ウォードをローカル・ヒーローとして崇めるウォルバーグ自らがプロデュースも手掛けた本作である。こうした社会の底辺で生きる人々に対して向ける視線は決して冷たいものではない。冷たくはないのだが、綺麗ごともない。その描写は、笑っていいものなのやら、頭を抱えていいものやら、唖然呆然といったところである。まあ、どちらかといえば笑っていいんじゃないだろうか。いや、そうやって見るほうが絶対に楽しい。
メリッサ・レオ演ずる大迫力の母親は、男を取り替えながらうじゃうじゃ子供を作って、強圧的に家族を支配している。アイリッシュ系のカトリックだから余計、貧乏人の子沢山ということなんだろう。無学な7人姉妹は、いい年して一体何で生計を立てているのかわからない。いつも母親のうちでグダグダたむろして、エイミー・アダムス扮する主人公の恋人を罵っているのだが、「お前らこそどうなんだ!」と問い詰めたくなるウザさ。この姉妹が連れ立ってエイミー・アダムスのところに殴り込みをかけるシーンは全編でも最高の笑いどころ、ともいえる。
クリスチャン・ベールが演じているのは、元ボクサーで主人公に手ほどきをした腹違いの兄貴。この男、ひがなクラック・ハウスに入り浸りのヤク中で、HBOが作ったヤク中ドキュメンタリーの題材になっている。母親がクラック・ハウスに乗り込んでくると、あわてて裏の窓から飛び降りて逃げるさまは、いい年してどこかの悪ガキそのものだ。金が必要なら作ってきてやる、と、仲間に協力させて詐欺・恐喝に走るようなバカ兄貴は、ベールの演技によって面白おかしくなっている部分があるとはいえ、とことん迷惑な人間なのだ。
要は、なんだかんだで、主人公のファイトマネーにぶら下がっている面倒な家族が、「お前を守ってやっている」とか何とかいいながら、一番の足かせとして主人公の足をひっぱっている構図なのである。少しはまともな人間である父親や恋人は、主人公を家族から切り離そうとする。しかし、家族への情が厚い主人公は、そう単純に割り切ることもできないし、主人公を知り尽くした兄貴のアドバイスやサポートも必要としている。
本作の、ドラマとしての面白さは、むちゃくちゃな家庭環境に置かれた主人公の、家族との絆や愛憎、葛藤の部分にある。主人公と、それをとりまく人々の対立や反目が、夢の世界チャンピオン奪取というひとつの目標に向かって、休戦から共闘へと変わっていくところが推進力となって映画を盛り上げていく。そのドラマ運びの巧さには、格闘技好き如何を問わず載せられることは間違いない。
当初の予定通りダーレン・アロノフスキーが撮っていたら、どんな映画になっていただろうか、と想像するのも面白い。本作で本当に賞賛されるべきは、このプロジェクトに粘り強く取り組み、最終的にはデイヴィッド・O・ラッセルを表舞台に連れ戻し、共演者たちに華を持たせ、自分は黙々と体作りと誠実な演技に取り組んだマーク・ウォルバーグなのだろうと思う。
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