5/21/2011

Black Swan

ブラック・スワン(☆☆☆☆)


以前、『クローサー』でストリッパーを気合充分に演じてみせたのに、やっぱり優等生でお行儀のよいイメージが崩れたりはしなかったナタリー・ポートマンの主演で、優等生でお行儀のよい主人公が芸道を極めるプレッシャーによって自分の殻を打ち破ろうと葛藤し、次第に強迫観念的な妄想と狂気にとらわれていくという話をやる。なんという抜群のアイディアだろうか。主人公に追い落とされる先代プリマにウィノナ・ライダーという配役も完璧。ライバルに人気急上昇中、ワイルドで少し下品目なミラ・クニスというのも慧眼。落ちぶれたかつての人気プロレスラーの話をミッキ・ローク主演でやってのけた前作もそうだが、ここのところのアロノフスキーは企画とキャスティングが絶妙すぎて神懸っている。

で、性格の異なる白鳥と黒鳥の両方をひとりで演じるのが通例になっているというバレエ『白鳥の湖』を題材に、自由に解釈された心理的スリラー映画である。バレエ映画を期待すると肩透かしを喰らったり、ホラーの範疇に入る不穏な空気、不意打ちのショック描写、それに肉体的な痛みを伴う描写に悲鳴が上がるかもしれない。映画の雰囲気は、この監督にしては比較的オーソドックスにストーリーを語ってみせた『レスラー』と、日常の中に強迫観念や妄想が入り込んでくる技巧的な『レクイエム・フォー・ドリーム』が混ざった感じである。

物語は、そのように着地するほかはないくらいに、狙いすましたような結末を迎えることになるが、完璧、という言葉と共にホワイトアウトするエンディングは、まさに完璧にキまっている。そのエンディングに、監督自ら姉妹編であると語る『レスラー』のエンディングが二重写しになるようなイメージを重ねているのは意図的なものだろう。徹底的に、精緻に作り込んだ作品ならでは窮屈さも感じないではないが、キャストたちがそれぞれのキャラクターに人間味を吹き込んで、血の通ったドラマになり得ている。

一人称の心理スリラーなので、主演のナタリー・ポートマンは文字どおり主演女優として映画を背負っている。バレエを実際に踊ったのが誰かと騒ぎになったのも記憶に新しいが、仮に相当以上のシーンでダブルが踊っていたにせよ、映画の価値は変わるまいし、彼女の演技の価値もまたしかりである。『クローサー』などでは、子役イメージからの脱却のための背伸びをした必死さが先にたってしまっていたが、今回はそこが映画の題材とシンクロしつつ、映画の主人公と同様のプレッシャーによって追い込まれた感がひしひしと伝わってくるのだから、そのことに対して評価が与えられても悪くはないのだと思う。まあ、演技を頑張っていることが分かりやすい役回りではあるのだが、それゆえに、アカデミーみたいな賞には合っているともいえる。

本作においては、主人公とヴァンサン・カッセル扮する芸術監督、先輩プリマ、ライバルとの少女漫画チックな関係に加え、主人公と母親との関係性が大きく扱われている。演技という意味では、地味かもしれないが、この母親役がよい。かつて主人公を身篭ったことでバレリーナとしての(とは言ってもそれほど華やかではない)キャリアを諦めた母親の、娘に対する期待と嫉妬、愛情と、それゆえの過干渉。これをベテランのバーバラ・ハーシーが納得のリアリティで演じて見せて素晴らしい。説明されなくても、彼女の佇まいで過去のドラマが全て了解できるくらいの説得力には唸らされた。

アロノフスキーには技巧的な映像を作る監督というイメージを抱いていたが、『レクイエム・フォー・ドリーム』でのエレン・バーステイン、ジェニファー・コネリーに始まり、本作にいたるまで、ベテラン、若手を問わず、的確なキャスティングと演出によって役者のポテンシャルを引き出すことにも長けてもいるのだということを、改めて印象づけられた。心理的に追い詰めていく部分の「恐怖」には見ごたえがあるが、音などを使った安易なホラーに多く見られる脅かし演出が頻出するのは少し陳腐に感じられるところだろう。

作品の出来とは関係ないことだが、フォックス・サーチライトのアート系(?)作品にもかかわらず、拡大公開という賭けに出て、それが見事に当たったというのはめでたいことである。ナタリー・ポートマンの日本における人気や知名度、アカデミー賞の受賞、バレエという題材、それぞれ単独では持ち得なかったインパクトが、そのかけ合わせのなかで生まれてきたとしか思えない。実に興味深いことだと思う。

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