11/19/2011

Moneyball

マネーボール(☆☆☆★)


主力選手の流出と予算制約に悩まされたメジャーリーグ球団、オークランド・アスレチックスで、1997年にジェネラル・マネージャーとなったビリー・ビーンが、邪道扱いされていた統計的な「セイバーメトリクス理論」を積極的に取り入れてチーム編成を行い、他チームと互角以上に戦えるように奮闘した物語である。

もちろん、米国のメジャーリーグ・ベースボールが題材ではあるが、なにしろチーム編成に責任をもつGMが主人公であるから、選手たちや試合の勝ち負けといった野球の「表側」ではなく、選手を評価し、他チームと交渉し、トレードし、チームを編成していく、舞台裏の部分に焦点があたっていて、野球好きのみならず興味深く見ることができる。

ただ、この映画は、必ずしも「セイバーメトリクス理論」を優れた手法として紹介し、礼賛するものではない。だいたい、客観的にみても映画の中で説明されている程度の「理論」は、手法においてそれほど洗練されているようには思えない。統計的といってみても、分析の切り口や仮説の立て方、解釈次第でいかようにも使えるのであることは、少し考えてみればすぐにわかることだ。

実際、この「理論」の映画の中での描写としては、旧来の常識に対するアンチテーゼとして波紋を呼びそうな極端なものばかりが強調されているように思う。選手の評価という面はともかく、野球の試合における戦術という意味ではプリミティヴそのものなんじゃないか。ただ、映画の中におけるこの理論の役割は明確で、要は、財務的に困窮していて常識的には戦力補強ができない状況のなかで、独自の着眼点で評価し直すことで「掘り出し物」を見つけようとした、そして、それがたまたま一定の成果を収め、注目を集めたということであり、それ以上のものではない。

しかし、この映画がほんとうに描こうとしているのは、ブラッド・ピットが演じる主人公の個人的な戦いのドラマなのだろう。映画はこの人物のバックストーリーをこう紹介していく。いわく、スタンフォードへの奨学金すら決まっていたのに、スカウト陣から素質万全とのお墨付きを得て、巨額の契約金と引換にプロの道へと足を踏み入れたが、結局のところ芽が出ることなく未完の大器として現役を去ることになった、苦い挫折の経験の持ち主であると。

世間の常識に照らしあわせた人材の評価とは一体なんなのか、他人の評価や巨額のお金が一体何を意味するのか。この映画の中で、人材の評価に新たな尺度を持ち込もうとする主人公の戦いは、そんなわけで、この人物が挫折から学び、人生をかけた雪辱戦に臨む戦いなのであるというわけだ。そして、その戦いには、多分、終わりはない。チームがワールド・チャンピオンになれるか、なれないかに関わらず。

だから、この映画は野球を描いているようで、描いていない。「弱かったチームが奇跡の連勝」といった、ありがちなフォーミュラに流し込んだりもしない。あの年、アスレチックスが歴史的な連勝記録を作ったことは物語の重要な要素として扱われているけれども、それをクライマックスにしていないし、実にあっさりした見せ方になっていることは、そう考えれば当たり前のことだ。まあ、「定型的な物語」をこそ見たかった観客は、それをもって重大な瑕疵だと思うかも知れないけれどね。

気合が入ると「熱演」しがちなブラッド・ピットは、主人公を自然体で演じて好印象。娘役の子役と絡んでいる姿がとても板に付いている。私生活でたくさんの子供達に囲まれていることが、こんなところに良い影響を及ぼしているんじゃないか。主人公の片腕となる統計専門家は実在の人物にかわって用意された架空のキャラクターだが、「実在の」という制約から解き放たれているぶんだけ面白い描かれ方をしていて、これを演じるジョナ・ヒルも好演である。チームの監督役にフィリップ・シーモア・ホフマンを起用しておきながら、脚本も、演出も、この人物にあまり興味がなかったのかと思う無駄遣い。まあ、主人公と対立する立場としては海千山千のスカウトたちの存在があるから、監督の独自の立ち位置を見出しにくかったんじゃないだろうか。

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