4/11/2009

Frost x Nixon

フロストxニクソン(☆☆☆☆)
 

そういえば、随分長い間、ロン・ハワードの作品には興味を失っていた。今頃になって持ち出すのもなんだが、『スプラッシュ』、『コクーン』の頃が一番好きだった。固有名詞としての「ロン・ハワード」に興味を失ったとはいえ、まあ、彼が手掛けるのが一般にいうところのいわゆる「話題作」だったりするので、ほとんどの作品は見ているし、大味で無難な大作路線の谷間にそこそこ面白い作品を発表してはいることにも気がついてはいるつもりだ。しかし、ここのところ話題作の続いているピーター・モーガン脚本による今回の新作は、「そこそこ面白い作品」で片付けるにはわけにはいかない。土台となる舞台劇があったとはいうものの、熟練の腕で見せる久々の快作である。しかし、それほど見応えのある作品が、気がついたら賞レースから消えていた。まあ、賞が全てではないのだけれど、そこには実話至上主義一派の陰謀が絡んでいるに違いないのである。

逆説的に聞こえるかも知れないが、この映画の問題点は、(最近、別の映画を評して同じ表現を使ったけれども)面白すぎることにある。世の中には「実話」であることを過度にありがたがる一派とでもいう人々がいて、実際の出来事に材をとりつつ想像力を駆使して物事の「真実」に迫ろうとする試みについて、歴史の改竄であるとか、大衆娯楽映画への安易な迎合だと非難する、つまりは、実話の再現ではなく、物語としての完成度と面白さを優先したことが許せない、と、こういうわけである。確かに、そこにはデリケートな問題が横たわっている。例えば、何らかの政治的目的のために歴史を一方的に改竄しようとする悪辣な試みは断じて許されるべきではない、と思っている。

しかし、この映画がやろうとしていることは、そういう意味での「歴史の改竄、事実の改変」ではないはずである。この映画は、フロストによるニクソンのインタビューというイベントを切り口に、ニクソンという人物の複雑さを描き、向かい合う二人の人物から、その瞬間から、端的で力強いドラマを引き出そうとしているのである。そのために、イベントの裏側で起こっていたことについて綿密な取材を行ったうえで、「ニクソンからフロストへの電話」であったり、ニクソンが決定的な発言にいたるプロセスにおける側近の役割などを中心に、敢えて「フィクション」の力を借りているのである。それが、物語が迫ろうとした「真実」を描きだす上での効果が絶大であることは映画を見たものであれば異論を唱えるものはなかろう。そして、物語として、映画としての完成度と面白さを格段に高めていることもまた、事実である。

この映画を見ていて作り手の誠実さを思うのは、問題とされる「電話」のくだりについて、ニクソンに2度までも念押しさせるかたちで、それが実際にあったことではなく、フロストの脳内妄想であったかもしれないという描き方をしていることである。そこまで気を使う必要はないように思うのだが、これは作り手が「事実」を知っており、かつ、尊重する意思があるということを、「実話を過度にありがたがる一派」への目配せをしながら伝えようとしている、そういうことだと思うのである。また、そういう機能を果たしつつも物語としての深み、余韻の深さにつながっているところが巧みである。ここまでしているのに、この映画を「事実と違う、改竄だ」と非難するのは、非難する側に問題があるとしかいいようがない。

もちろん、素晴らしい脚本、脚色を輝かせているのは俳優たちである。既に絶賛されているフランク・ランジェラとマイケル・シーンの、それぞれの人物の本質を捉えた演技は聞きしに勝るものであるが、脇を固めるケヴィン・ベーコン、マシュー・マクファディン、オリバー・プラットといったあたりの役者の助演ぶり、サポートぶりが素晴らしいと感じた。対決ということで主演の2人にばかりスポットが当たるのは仕方ないが、キャストの、アンサンブルとしての見事さは言及される価値があるだろう。

舞台劇の脚色であるということで、確かに限られた場所、限られた人数の会話によって進行する点から「舞台劇のよう」だという感触もありながら、「登場人物たちが後にこのイベントについて振り返ってインタビューに答える」という、物語のつなぎ部分にあたる脚色の妙が効いて、映画としての時間的、空間的広がりを十二分に感じさせるものになっている。このあたりは、同じく舞台劇の映画化で、同時期に公開され、かつ演技で話題を呼んだという意味でも共通点のある『ダウト~あるカトリック学校で』と比較しても成功していると思う。これもまた『ダウト』と通低する部分であるが、過去の(あるいは、過去のある時代だと設定された)出来事、物語を通じて、ブッシュのアメリカを、あるいは、その終焉を、意図してか、結果としてか、反映させることになっているのが興味深いところである。

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