4/25/2009

Gran Trino

グラン・トリノ(☆☆☆☆)


民族的なアイデンティティを持たない米国においては、多様性を尊びながらも、基本的なレベルで言語や価値観を共有することによって初めて「国民」足りうるといってもよいのだろう。ポーランド移民の子孫で、国家の大義のために朝鮮戦争の戦場に立ち、戦後は自動車工場の組立工として勤め上げた男が主人公である。アジア系やアフリカ系などに対しての拭いがたい偏見を持ち、絶対にTVで放送できないような差別的な悪態をつくこの男が、隣に住むアジア系の少年に対して、「アメリカの男」のあるべき姿を教え込んでいき、最後には自分が未来を託したものたちのために人生を賭けた行動に出るというのが本作のプロットである。現代劇ではあるが、老ガンマンが若者の手ほどきをする西部劇のような味わいがあり、それと同時に、デトロイト&ビッグ3の「もの作り」の国であった米国の終焉、白人の国としての米国の終焉が重なり、「最後の主演作だ」というイーストウッドによる、彼がかつて演じてきたキャラクターたちへのケジメでもあって、どのようにでも解釈と深読みを可能にする重層的な寓話に仕上がっている。久しぶりのイーストウッド主演の娯楽作を笑って楽しんでいた観客は、いつしかこの作品が示唆するサブコンテキストの深さに打ちのめされてしまう。その落差たるや、ある意味で、『ミリオンダラー・ベイビー』の落差に匹敵する。

そんな映画のシンボルが、タイトルにもなっている1972年型フォード・グラン・トリノだ。石油ショック、排ガス規制前の、不必要なまでに大型で、マッチョでありながらも優美なデザインの車体に、湯水のようにガソリンを喰らう大排気量のエンジンを積んだ、いまや過去の遺物(レガシー)と化したアメ車らしいアメ車である。主人公は、何あろう、この車のハンドル周りのユニットを、工場で自ら組み付けた男である。アメリカの一人前の男は、(故障の多い)車のコンディションをきちんと保てなくてはならない。ピカピカに磨きたてられ、完璧にメインテナンスを施されたグラン・トリノを乗り回すでもなく、眺めて悦にいっている男と、隣家の少年は、このグラン・トリノをきっかけに交流を持つことになる。映画のタイトルで、映画のシンボルで、物語を前に動かすきっかけになる「グラン・トリノ」は、しかし、映画の中で終始、ガレージに鎮座したままである。途中、主人公の信頼を得た少年が、デートのために車を借りるというエピソードが出てくるが、そのシーンはフィルムに移っていない。映画の最後、この車を譲り受けた少年が、イーストウッド自身が歌う主題歌を背景に車を走らせるその瞬間に、われわれ観客は、はじめてそのエンジン音を耳にする。レガシーは、次の世代へと受け継がれたのである。血のつながった、トヨタのセールスマンやへそ出し少女にではなく、アメリカの正当な男としての道を歩み始めた、モン族の青年に。

この映画が後に残す余韻の大きさに反し、これはとても小さく、軽やかな映画である。デトロイト郊外の荒れ果てた住宅街を舞台とし、自身以外に名の知れた大スターのいないキャストたち。主人公の頑固さや差別意識、軽口のやり取りで観客を笑わせて楽しませ、少年らとの交流がしみじみと描かれるだけ、そんな作品だ。家の補修や芝生の手入れを教え、ガレージにずらりと並んだ工具類の使い方を教え、知合いの現場監督に頼んで職を斡旋し、イタリア系の床屋にでかけて「男同士」の口の聞き方を訓練する。短期間に、安上がりに、本作とは対照的に大掛かりだった『チェンジリング』後の息抜きかのように、いかにも肩の力を抜いてサラッと作られたかのようにも見える作品なのである。イーストウッドが興味を持ち、主演するといわなければ、そのままお蔵入りになっていても不思議ではない小さな、そして地味な脚本。これを気に入ったイーストウッドは、舞台をデトロイト郊外へと動かしたほかは、特に変更を加えなかったという。それなのに、イーストウッド主演を前提に彼が自ら企画開発をし、それにあわせてテイラーメイドされた脚本であるかのように感じられるところが不思議である。この映画の世界を、その題材を、完全に自分のものとしてたぐりよせる洞察力と、自分の世界として再構築する演出手腕には驚嘆するほかない。

主人公が朝鮮戦争のベテランだという設定で、戦場で行った行為が心の重荷になっている。一方、主人公が交流を結ぶことになるアジア系の「モン族」はベトナム戦争による難民である。朝鮮戦争と、ベトナム戦争。共にアメリカの大義と正義を振りかざした戦争だ。映画の中でも説明されるが、モン族はCIAに利用されて米国に味方した結果、虐殺されたり故国を追われることになったという。CIAもまた罪作りなことをしたものだ。この映画は古きよきアメリカの終焉とレガシーの継承が中心におかれてはいるものの、決して過去の米国と、米国がたどってきた道を無条件に賛美するようなものではない。清算すべき過去を背負った老人は、よき伝統だけを後に残すべく、そこに人生をかけるのである。その決意と潔さに深く、深く感動する。

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