4/30/1999

Entrapment

エントラップメント(☆☆☆)

『マスク・オブ・ゾロ』で人気の出たキャスリン・ゼタ・ジョーンズとショーン・コネリーが共演する泥棒ものである。イメージとしては「ルパン3世と不二子ちゃん」なんだが、ちょっとルパンが歳食っいて、少々紳士風というか。

保険会社の調査員が中国の古代工芸品をダシにして、高額な美術品などを盗み出すプロの大泥棒に接近を図るのだが、それは米国・英国・マレーシアを股にかけた冒険の始まりであった。罠にかかったのは果たして誰なのか?という話。

なんかこういう映画で、脚本ロナルド・バス、監督ジョン・アミエルという組み合わせが変な感じではあるのだが。

ロナルド・バスも多作でジャンル問わずな感じがあるが、ジョン・アミエルという監督も一貫性のないフィルモグラフィの持ち主で、ジョディ・フォスターの歴史ラブ・ロマンスがあると思えば、ビル・マーレーのおとぼけコメディまである。きくところでは、アントワン・フークアで予定されていたところ、”MTV” 感覚の作品にすることを嫌ったコネリーがアミエルを連れてきたとか。

まあ、何をやってもそこそこ楽しめる出来に仕上げてくる職人派の脚本と監督で、思ったより楽しめる1本に仕上がっている。死体も転がらないし、派手な爆発もないが、ストーリーはそれなりに組み立てられていて、コネリーの実年齢を逆手に取った余裕のあるユーモアもある。

そもそも「怪盗もの」というジャンルが洒落ていていいのだろう。ロナルド・バスが提出した7行ほどのプロットで製作にGOサインが出たというが、出した側の気持ちはよくわかる。

2000年問題を絡めた盗みの手口以外は特に目をひく新機軸は用意されていないが、コネリーとゼタ・ジョーンズのそれぞれの魅力をよく引き出しているし、泥棒に入るための訓練(リハーサル?)に時間を割いて、これから何事が起こるのかと観客の想像を煽る展開も面白い。ヴィング・レイムズやウィル・パットンらの曲者を脇役にしたキャスティングもいい。後半でシチュエーションが何度も逆転するのが少々しつこいが、最近はこれくらいやらないと観客が満足しないということか。

主演のカップルであるコネリーとゼタ・ジョーンズという、ちょっと年齢差の有り過ぎる組み合わせはあまり良いと思えないのだが、急に人気の高まったゼタ・ジョーンズをキャストしたのは彼女の「色気」ファクターによるものだろう。確かにものすごいプロポーションで、本人も見せる気満々のように思われるのだが、演出は抑制気味。というか、予告篇以上の見せ場がない。そうはいっても、3つくらいしか表情のヴァリエ-ションがないゼタ・ジョーンズを上手に使いこなしている部類の映画といえるだろう。

4/23/1999

Lost and Found

ライラ フレンチKISSをあなたに

見栄えの冴えないイタリアン・レストランのオーナーが、おなじアパートに越してきたフランス人の美人チェリストの歓心を買おうと、付き合うきっかけをつかむために彼女の犬を誘拐するが、この犬が友人から預かっていた大事な指輪を食べてしまった。犬を返すタイミングを失った主人公。一方、ダンディで金持ちの「もと婚約者」が彼女を追って登場する。

デヴィッド・スペイドとソフィー・マルソーの共演作である。デイヴィッド・スペイドといえば、90年代のサタデーナイト・ライヴ出演者のひとりで、映画においては若くして死んでしまったクリス・ファーレイとのコンビによる 『Blask Sheep』、『Tommy Boy』などがある。で、今回は脚本も兼ねての主演作というわけだ。

しかし、笑えないんだよな。「薄笑」コメディというやつだ。2-3は笑えるギャグもあったが、それよりなによりエンドクレジットのオマケが一番面白いという始末。

昨年の『メリーに首ったけ』の影響だろうか、あの映画が大ヒットしたことで、やってもいいギャグの限界が押し広げられた感があるのだが、軽いところでは犬の糞をつかったギャグの下品さや、放り投げたり乾燥機に入れてスイッチを入れたりの「犬虐待」ギャグなどは、あの作品あってのことのように思える。もっとも、ファレリー兄弟だと、そこにもう一歩、予想のつかない追い打ちがあって強引に笑いをとってしまうのだが、本作にはそういう大胆さはみられない。

ロマンティック・コメディとしては登場人物の心情や、心境の変化が描けていないのが弱い。ソフィー・マルソーのキャラクターがチェロの奏者だと云う設定もストーリー展開に活かされていないが、それよりなにより、信じていた相手に裏切られたことを知ったあとの彼女の心理変化がきちんと描かれていないので、ラストのハッピーエンドも白けてしまう。

主人公の側もそうだ。付き合っていた女性と分かれたところにたまたま美人が現れた程度にしかみえず、その相手と「どんなことをしてでも付き合いたい」と思うまでの理由付けも弱ければ、そういう心境の変化も描かれない。「彼女の心を手にするためにはどんなことでもして見せる男の物語」という意味の宣伝コピーが使われていたが、なぜそうなのか、この映画は何の説明も聞かせてくれないんだよね。

要は、ドタバタコメディとしてはギャグも演出も冴えず、ロマンティック・コメディとしては表層的で全く心が入っていない。笑えない、共感できないじゃ、商品としても欠陥品だろう。本作の監督は、本職はTVプロデューサーで、 過去に低予算コメディの監督経験もあるジェフ・ポラック。まあ、脚本も悪いけれど、演出も、ねぇ。

Pushing Tin

狂っちゃいないぜ!(☆☆★)

航空管制官の話、ではなく、たまたま管制官という職業に付いている主人公の、仕事・ライバル・浮気・夫婦関係・爆弾テロ事件・スランプ・友情を切り取ってみせるオフビート・コメディである。まあ、魅力的な失敗作、くらいの感じだろうか。

内面の成熟が足らない男を演じさせたらこの人、ジョン・キューザックが、自他ともに認めるNYのやり手航空管制官を演じているのだが、あちこちの管制塔を渡り歩いてきた風変わりな男の一流の仕事ぶりにライバル心を燃やし、あろうことか相手の妻に手を出したことで話がややこしくなる。

航空管制官という仕事を描くのがメインの映画ではないことは先に書いたとおりだが、この仕事のものすごいプレッシャーとストレスの強さを垣間見ることができて、興味深い。それを背景として埋め込んでしまったことが少々もったいないように思う。

脚本はTVの人気コメディショー『Cheers』 『Taxi』のプロデューサー、グレン・チャ-ルズの作で、1本の映画にするのもいいけれど、同じ舞台設定で、シットコムみたいな形式で延々やることもできそうだ。そう考えてみると、本作の主要なキャラクターも、TVドラマに使えそうなキャラクターの立ち具合である。

そのキャラクターを演じているのが前述のジョン・キューザックのミステリアスなライバルに、怪優ビリー・ボブ・ソーントン。そのアル中気味の妻にアンジェリーナ・ジョリー。主人公の妻にケイト・ブランシェットという顔ぶれである。ここ数年で名前が売れてきた、演技達者なキャストのアンサンブルだ。アル中気味で精神的に不安定になっている役回りのアンジョリーナ・ジョリーに演技的な見せ場があった。この人は化けるよ、多分。

『フォー・ウェディング』、『フェイク』で売りだした英国出身のマイク・ニューウェルの演出は、コミック的に描かれているキャラクターから、リアルな人間味をうまく引き出して、少し地に足の着いたコメディに着地させている。

4/16/1999

Never Been Kissed

25年目のキス(☆☆☆)

シカゴ・サンタイムズで働く主人公が、社長の気まぐれな発案によるティーンズに関する潜入レポート記事を執筆するために、17歳のふりをしてハイスクールに転入!念願のレポート記事執筆の機会だったが、高校生活に溶け込もうとすると彼女自身の地獄のようだった青春が脳裏に蘇ってくるのだった、という少し変則的なハイスクールコメディ。主演はここのところ絶好調のドリュー・バリモアで、製作総指揮を兼ねての主演だ。

これは悔いの残った過去をやり直す機会を与えられた主人公が、その過程で自分自身を再発見していく物語である。高校時代、残酷な虐めの対象にされていた主人公が再び体験する高校生活。今度は学園の人気者たちとお近づきになり、スポットライトを浴び、クールな男の子からプロムのパートナーに選ばれる。かつての自分が例え夢見ても叶えられなかった体験をするチャンスをものにする。それは軽薄かもしれないが、甘美な夢の実現だ。

どうも、そうした役をドリュー・バリモアという女優が演じていることで、見ているこちらには違った感慨すら湧いてくるのがこの映画のキモではあろう。

だって、まだ23歳(!)の彼女は、『E.T.』の子役として人気者になったあと、ドラッグやアルコールにおぼれ惨めな青春を送ってきたことは周知の事実。そんな生活から立ち直り、女優としても見事にカムバックを果たし、自らプロデュースを買って完成させた最初の作品がこれなのだ。主人公が17歳に戻って束の間幸せな高校生活を体験するプロットが、ドリュー自身のささやかな願望の反映に思えてくるのも不思議ではない。

映画のストーリーは、束の間の「人気者」としての生活を経た主人公が、しかし、それをよしとする価値観の表層的な部分や醜さも自覚し、説教がましくならない程度に刺してみせ、最終的に多様性な個性の尊重というところに着地する。ハイスクールものでは、人気者と日陰者の二元的な対立軸をおき、人気者グループを悪役扱いするパターンもよく見られるが、高校生目線ではなく、高校生を一度体験した主人公の目線が入ることによって、この映画独特のバランス感覚が出た。

ドリュー・バリモアは全編出ずっぱりで大熱演である。高校時代のサえない苛められっ子ぶりも堂にいっているし、無理に慣れない若作りをした場違いな感じや珍妙な身体の動き、ドラッグでハイになってしまった場面でのほとんど捨て身の演技などは、プロデュースに名を連ねた主演女優が敢えて演らなくてもいいレベルなんじゃないか、と心配になるほどであるけれど、それを敢えて演ってみせるところにこの人の人柄が現れていて好感を持つ。しかも、どうやら最近の新路線である「純真な夢見る女の子」キャラクターを、持ちネタとして完成させることができたのではないか。

『スクリーム』シリーズなどで人気上昇中のディヴィッド・アークエットが共演。ドリュー演じる主人公の弟で、高校時代は人気者として名を馳せたが、高校で人気ものになる意外に取り柄のない男、という、これまた(現実にも少なくないとはいえ)少々残酷な設定のキャラクターを怪演して笑いをさらう。また有名人カップルに扮装するプロムで彼がする扮装は映画ネタなのだが、これも出所を知っていれば爆笑必至だ。

『ホームアローン3』に起用されていたラジャ・ゴズネルの演出は、ドタバタや下品さが、一線を越えそうでこえない節度を守っていて、一応、ハートウォーミングでロマンティックなコメディであるというパッケージを逸脱することはない。ともかく、いい気分で劇場をあとにできる映画である。エンドクレジットがまた一工夫あって、スタッフやキャストの名前のと一緒に、高校時代の写真が・・これは笑えるよ。 

4/09/1999

GO

GO(☆☆☆)

出演はサラ・ポーリー、ケイティ・ホルムズ、デズモンド・アスキュー、タイ・ディッグス、ウィリアム・フィッシュナ-、ジェイ・ムーア、ティモシー・オリファントなど。メインとなる出演者が若いのでいわゆる「ティーンもの」かと思ったら、一風変わった犯罪コメディだった。

『スィウィンガーズ』(未見)で注目を浴びたダグ・リーマン監督の新作で、ドラッグ取り引きとその顛末を描いている。話そのものはたいしたものではないのだが、構成と物語の語り口で見せる映画である。インディペンデントのクールな映画、といえばよく聞こえるが、どちらかといえば、「こういうのってクールでしょ?」と押し付けてくる感じが少し、鼻につく、かも。

まあ、クエンティン・タランティーノの「パルプ・フィクション」みたいなことをやってみたかったのかな、と思ったりする。なにせ、この映画、時間軸がねじ曲げられ、最初のエピソードで提示されたシーンが、別の視点からみたエピソードの中で反復され、そこで別の意味を付与され、度は別の物語を構成する要素になっていくというようなかたちで、3つのエピソードが絡み合っていくのである。ただし、これらは独立した話ではなく、あくまでひとつの事件を複数の視点から再構成したものになっていて、最後は一つのところに気持よく収束していくのである。

少しはモノマネっぽいところがあるのだが、104分、無駄なくコンパクトにまとめた構成力はたいしたものだ。また、この作品には、低予算ゆえの荒っぽさや安っぽさ、キャストの若さなどが、勢いになっているという魅力がある。中心的なキャラクターの一人を演じるサラ・ポーリーなど、なかなか良い面構えの女優だと思った。

コロンビア映画のタイトルに、本編がインサートされて始まる出だしはなんかは、ちょっと、凝り過ぎの感はあるがカッコ良かった。まあ、あんまり本質と関係のないそういう小細工が目立ちすぎるきらいはあるんだけどね。

4/02/1999

Out-of-Towners

アウト・オブ・タウナーズ(☆☆★)

仕事を首になり、新しい職を探す目的でオハイオから大都会、マンハッタンに向かう夫に、事情を知らずに同伴した妻。飛行機が霧の深いニューヨークを避けてボストンに迂回したのは、悪夢のような24時間の始まりに過ぎなかった。子供たちが自立をして家を出ていったあとに残された夫婦が大都会で巻き起こす珍騒動。

1970年製作のニール・サイモン脚本、アーサー・ヒラー監督作品『おかしな夫婦』のリメイクだというのだが、ごめんなさい、ジャック・レモン主演のオリジナルは観ていない。今回の作品は、これが二度目となるスティーヴ・マーティンとゴールディー・ホーンのカップルに加え、ジョン・クリースが共演。TV出身のベテランで、映画では『ジャングル・ジョージ』で知られるサム・ワイズマンが監督している。

子供が巣立ち、夫婦2人きりになった家庭の事を「エンプティ・ネスト(空の巣)」とよぶが、これはそんな中年夫婦がお互いへの愛情を再確認する過程を、災難まみれのN.Y.旅を通して描くコメディである。

これだけのキャストを集めておいて、なぜ今更ニール・サイモンもののリメイクになるのか、そこのところがちょっと分からない。話そのものにはあまり新味がなく、全てが想像の範囲内に収束していく定番のドタバタ劇、のように見えてしまうのは、やはり土台が古いということと、それをきっちり現代的な物語に翻案しきれていないということではないか、と思ってみたりする。

ただ、想像したよりもスラップスティック色が強いのは、出演者の個性に合わせたからだろうか。おそらく、黄金コンビといってよい主演の二人に加え、あの「モンティ・パイソン」の、と枕詞をつけるまでもないジョン・クリースの「芸」を楽しむ映画だと割り切ればいいんだろう。

スティーヴ・マーティンとゴールディ・ホーンは、以前にフランク・オズ監督の『ハウス・シッター 結婚願望』で共演したことがあるだけなのだが、まるで長年コンビを組んでいるかのように息があっている。スティーブ・マーティンが独特の体の動きと台詞まわしで笑わせれば、ゴールディ・ホーンが実年齢が信じられないようなチャーミングさを振りまく。ゴールティ・ホーン、今回は見せ場も多い。若い男を誘惑してホテルの部屋の鍵を奪おうとするくだり、警察署で逆切れして啖呵を切るシーンなど、流石はアカデミー賞女優と呼びたい肝の座りかたで、大いに笑わせてもらった。

しかも、ジョン・クリースはマンハッタンのホテルで、スノッブなマネージャー役で登場して持ち技を披露する怪演。コメディ・ファンの暇つぶしとしては、もう、それだけでOKだ。

今回の脚色は近作『恋は嵐のように』の脚本家、マーク・ローレンス。最後まで「中年カップルが迎えた結婚の危機・愛情の再確認」のテーマを外さずに、律儀に脚色してみせた。本当は、このキャストだったら、もっとハジけたコメディを期待したいんだけど、まあ、致し方あるまい。