10/24/2008

Goya's Ghost

宮廷画家ゴヤは見た(☆☆☆)

この秋、立て続けに2本公開されたナタリー・ポートマン出演コスプレ作品のうちの1本がソウル・ゼインツ製作、久々な感じのミロス・フォアマン監督の『宮廷画家ゴヤは見た』である。ゴヤは何を見たのというのか。それは悪名高きスペインの異端審問である。もちろん、モンティ・パイソンのスケッチのことではない。17世紀末のマドリッドを舞台に、ポートマン演ずる商家の娘が異端審問にひっかかり、あんな拷問やこんな拷問を受けるのである。それだけでもみてみたくなるというのに、ポートマンに対してあんなことやこんなことをしちゃう教会権力側の日和見異常人格者を、『ノー・カントリー』で一世風靡したハビエル・バルデムが演じるのである。これは見逃すわけにいくまい。で、タイトルにもなっている時代の目撃者を演じるのが、ステラン・スカルスゲールドなんだけど、こちらはあまり見せ場なし。

スペインの異端審問は16世紀ごろ始まったもので、表向きはともかくとして、ユダヤ教やイスラム教の習慣を守るものを排斥することで政治的な基盤を磐石なものとするため、世俗権力が宗教的権威を利用したものだという。自白を引き出すために拷問が用いられ、自白すれば最悪火刑に処せられる。この映画が描いている時代には下火になって機能しなくなっていたらしく、これもまた映画で描かれているように隣国フランスからの「侵略者」であるナポレオン・ボナパルトの支配下で正式に廃止されることになる。だから、この映画でゴヤが見たのは、異端審問の終焉である、ということもできる。

ハビエル・バルデムが演じる男は厚顔無恥の日和見主義者である。教会権力の示威のために異端審問を利用すべしと進言し、幽閉されているポートマンに情けをかけるふりをして犯し、放逐されればナポレオン側に付き、かつての同僚たちを断罪する節操のなさ。開放されたポートマンに私たちの娘はどこ?と尋ねられれば、この女は気がふれていると主張し、精神病院送りにする非道ぶり。ゴヤはまた、こうした腐敗した人間の絶頂と末路をも目撃する。

物語の中では触媒としてしか機能していない「ゴヤ」を真ん中におくことで激動の時代を切り取って見せようというのが狙い。権力者の肖像画などで稼ぎと名声を得ながら、異端審問の様子をスケッチし市中に流通させるなど、ゴヤの立ち位置そのものもなかなかに面白いと思うのだが、そのあたりについては掘り下げがない。もちろん、それを掘り下げていたら3時間越え確定なので、気軽な映画鑑賞者としてはこのほうがありがたい。

ハビエル・バルデムは、こんな役ばかりでいいのか?とは思うが、ねちっこくて嫌な男を怪演しており楽しませてくれる。ナタリー・ポートマンが文字通り体当たりの熱演なのだが、美人の彼女が悲惨な境遇をボロボロになって熱演すればするほど、その熱演が鬱陶しくなったりもする。いや、まあ、こういう役も演じてみたかったのはわかるけど。彼女をサディスティックにいぢめて見たい向きにはお勧めの一本。

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