10/18/2008

Eagle Eye

イーグル・アイ(☆☆☆)

ある日突然テロリストの容疑者に仕立てられた青年は、彼をはめたと思しき謎の相手からの電話の指示に従ってFBIらの追手から逃亡することになる。子供の命をだしにして、同じように電話の指示に従うことを強要された女性と合流した青年は、電話の主に翻弄されるまま、目的も理由もわからず国家規模の事件に巻き込まれていく。出演はシャイア・ラブーフ、ミシェル・モナハン、ロザリオ・ドーソン、ビリーボブ・ソーントン、マイケル・チクリス、ウィリアム・サドラーら。DJ・カルーソ監督。

様々な映画から記憶に残る印象的なモチーフを「いただい」て再構成された、典型的な「巻き込まれ型サスペンス」である。ひとつひとつのネタはリサイクルものなので、映画好きならすぐに古典的作品から比較的最近の映画まで、何本ものタイトルや、あんなシーン、こんなシチュエーションが自然と頭に浮かんでくることだろう。しかし、それを以って本作を否定するのは心が狭い。オリジナリティという観点からいえば取り立てて新鮮味にあふれた映画とはいいかねるかもしれないが、再利用ネタの「再結合」と「再構成」により、ツギハギ映画というのではなく、この映画なりの一貫性のあるスタイルを生み出しているし、そこここに仕掛けられた現代的な味付けで、それなりに楽しめるよう仕上がっている。思うに、B路線の娯楽作品というのは、そもそもそういうものじゃないだろうか。この作品の場合、Aクラスのバジェットのおかげで派手で大掛かりなアクション・シーンもたっぷり用意されているから、普通の観客も退屈しないだろう。気軽な popcorn movie としては、上出来だ。

そういえば、スピルバーグの後押しで一躍売り出し中のシャイア・ラブーフの出演作品を何本かみてきたことになるが、この作品を見て、彼が重宝されているのは、おそらく、観客にとって感情移入しやすい「普通のお兄ちゃん」的な風貌だけではないだろう、と感じた。たとえば、どこにでもすっと溶け込んであまり自己主張しない使い勝手のよさ。これは、作り手側にはポイントが高い。いかにもスター俳優然とした強烈な個性で作品の色を決めてしまうのではなく、企画や脚本が要求する役割に寄り添って見せる、誰にも嫌われることのないある種の無個性ぶり、一方で、それでも画面に埋没しない程度のスター性の適度なバランスも持ち合わせている。そんなところが企画先行型の大作映画では貴重な資質なのだろう。

そういうある種、「無個性」な主役に対して、個性的な役者を脇に配すのも、当代、ありふれたやり口である。この映画も、電話の声であるジュリアン・ムーア(クレジットなし)はいうに及ばず、実力派の見知った顔が並んでいて、ちょっと期待も高まるというものだ。ただ、そうした役者がその個性や演技の技量を十二分に発揮できているかといえば、それはまた別の話。主人公の父親役で顔を見せたウィリアム・サドラーは、ありがちな父子の葛藤や複雑な感情を、エピローグ部分での無口な再登場で味わい深く演じて見せるのだが、いかんせん登場機会が少ない。本編中で何かに巻き込まれても良かったのではないか。あるいは、FBIとは違った立場で事件を追うことになるロザリオ・ドーソンやマイケル・チクリスの役柄も、面白くなりそうなのにキャラクターとしての膨らみがない。まあ、物語に奉仕する部品以上の役割を与えられていないのだから、それも致し方あるまい。そして何より怪優ビリーボブ・ソーントンだ。追手であった男が、最後には主人公と協力して自体の収集に当たるというドラマがあるのだからもう少し何とかなりそうなものを、彼のフィルモグラフィのなかでも凡庸な部類の仕事で、全くのところ精彩を欠く。

監督DJ・カルーソが同じ主演で撮ったスマッシュ・ヒット『ディスタービア』は、なにやら『裏窓』の剽窃だと訴えられて騒ぎになっているが、残念ながら未見である。そんなわけで、『テイキング・ライヴズ』と本作での印象になるが、手堅い娯楽サスペンスの作り手には違いないとして、いかんせん、物語を転がしていくのに精一杯で、キャラクターを膨らませたり、ユーモアを挟み込んだりする余裕が感じられないところが弱いところだろうか。ヒッチコック好きなのであれば、爆発で誤魔化すのではなく、今後もサスペンスを重視した作品を撮っていってほしいところだ。ビッグバジェットとなった本作が、分岐点になると思う。

しかし、本作での『知りすぎていた男』のクライマックス引用は、近作では『ゲット・スマート』に続くもの。本作におけるオマージュとしての必然性はわかるが、こう立て続けに同じネタが続くと、「またか!」と思うのも事実。なんでこんな重なり方をするのだろうか。

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