12/22/2008

El Orfanato (The Orphanage)

永遠の子供たち (☆☆☆☆★)


最高、最怖、最良の、母子愛をテーマにした2007年のスペイン製怪談話。原題はEL ORFANATO(孤児院)。あえて「感動篇」とのミスリーディングをじさない予告編で騙されて劇場にやってきた女子供が震え上がって小便漏らしても、本当、知らないから。

そうはいっても、この映画、ある種の深い感動と余韻が残ることは宣伝通り保証するので、騙されて見に行くのが吉である。いろいろなソースから、概ねそういう話だろうな、と内容の想像がついていた当方でも相当怖かったので、ある程度の心構えは必要だろう。「だーるまさんがこーろんだ」って、誰もいないはずのところでやっていて、何度目かに振り返ると、そこに突如、どこからともなく現れた子供たちが何人もつっ立っていたら・・・ぎゃー。絶対そうなるって思って身構えていたけど怖いよっ!ひぃーっ。誰か助けてー!・・・真冬でなくて真夏に公開してほしかった季節はずれ(?)の傑作だ。新人ファン・アントニオ・バヨナ協同脚本・監督。オリジナルの脚本(セルジオ・G・サンチェス)を面白がったギレルモ・デルトロがプロデュースしている。

孤児院育ちの女性が家族を伴い、かつて自らが過ごした孤児院の建物に越してきて、夫婦でささやかな孤児院を開設したいらしい。なんだか難病にかかっているらしい息子はこの屋敷に越してきてからというもの、想像上の友達たちと遊ぶのに忙しい。ある日、その息子が忽然と姿を消す。いったい何が起こったのか?・・・それが物語の発端である。

「イマジナリー・フレンド(想像上の友達)」ネタは、SF、ファンタジー、サスペンスから普通のドラマまでいろいろな題材で使われるが、大人が「想像上の友達」だと思っていた存在は、実際に存在していました!というのが「ジャンルもの」の映画における常識であろう。その正体が二重人格だったらサスペンスになるだろうし、宇宙人だったら侵略SFかファンタジーだ。絶対どこかで見たことあるでしょう、そういうの。

で、霊魂だったら?

それはホラーだね。どんな詭弁を弄したところで。

だから、しつこいようだけれども、これを感動的で泣けるファンタジーですよ、というのは間違っていて、感動的で泣けるかもしれないけど、背筋が寒くなる怪談話ですよ、格調高い傑作ホラーですよ、というべきなんだと思う。まあ、そういってしまうと入る客も入らなくなるんだろうけど。

そんなことはさておき、この映画の成功は、なによりも巧妙に張り巡らされた伏線が最後にきれいに収束する完成度の高い脚本によるところが大きい。デルトロから送られてきた脚本を、もともとの作者と一緒に1年間練り直したというだけあって、母子愛と、大人になれず子供のころの記憶にとらわれている主人公の心の旅路を物語の縦糸に、物語のディテールを横糸に、小さなエピソードを無駄なく積み上げて完璧な仕上がりといえる。ある意味で残酷な結末は現世のみにこだわる立場からは最悪のバッドエンドであるが、冷静に、違った観点から見れば邦題『永遠の子供たち』も「なるほど」と納得の、背筋が震えながらも希望の感じられるハッピーエンドということが理解できる、余韻の残る見事な着地である。

また、これをきっちり演出できる腕前の確かさも新人離れしたものだ。もちろん、自信たっぷりの落ち着いた語り口には舌を巻くのだが、面白いのはデルトロの『パンズ・ラビリンス』にも共通する匂い、おそらく、(勝手に想像するに)スペインという土地柄や歴史に起因するある種の後ろ暗さ、闇の手触りのようなものを感じさせるところだ。これが映画の独特の魅力になっていて、案外見逃せない。そんな空気感(とでもいうべきもの)は恐怖を生み出す源になっているが、同時に、現実世界の隣に確かに存在するであろう、(死者や残存思念を含む)異形のものたちの世界との境界線を曖昧にするものでもある。冒頭でも触れた「だるまさんがこーろんだ」は、そういうこの世とあの世が交差する瞬間を、VFXに頼らず、戦慄の中に捉えて見せた名シーンとなった。誰もが考えそうなシチュエーションだが、ここにいたる主人公の感情の高ぶりを前振りに、ライティングからじらし方、編集にいたるまでがこれ以上にない、完璧な瞬間をスクリーンに現出させる。この映画には、まるで悪夢を見ているかのような、現実とファンタジー世界の接点をすくいあげるかのような数々のシーンに溢れている。それらは、ときにスリリングなサスペンスを生み出し、ときにジメッとした不可解な恐怖を生み、ときに美しくも哀しいさだめをも描き出す。

バヨナという監督はインタビューの中でこの映画とスピルバーグの『未知との遭遇』との共通点を「大人になれない子供」という観点で語っているのだが、正直、それは「?」といったところだ。もしかしたら、ピンとはずれなことをいうインタビュアーをはぐらかしたのかもしれない。個人的には途中で霊媒師が出てきて物語が大きく動き始める展開に、同じスピルバーグでもトビー・フーパー名義の傑作『ポルターガイスト』を思い出し、米国製娯楽映画の血筋もしっかりと受け継いでいるあたりに、この映画の別の意味での強さも見て取った。怪談話、という表現を好んで使ってきたが、この映画の世界には日本のウェットな怪談に通じるものを感じ、「ホラー」というあっけらかんとした表現よりも似合うと思うゆえのことである。その流れでいえば、本作には和製怪談話の情緒と、米国製娯楽ホラーの文法を併せ持っているわけで、その怖さ、面白さも納得するほかあるまい。

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