12/25/2008

K-20: Legend of the Mask

K-20 怪人二十面相・伝(☆☆☆)


ソビエト連邦の原子力潜水艦の艦長を何故かハリソン・フォードが演じている興行的失敗作『K-19』の続編、じゃないよね。ごめん、どうしても云ってみたかっただけ。なんなんだよ、このタイトル!

北村想の小説『完全版 怪人二十面相・伝』を原作として、佐藤嗣麻子が脚色・監督した「お正月映画」がこの『K-20 怪人二十面相・伝』である。この映画、ROBOTが製作で、VFXに白組が参加し、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』らが担当して架空の「帝都」を作り上げているのが呼び物になっている。出演は金城武、松たか子、仲村トオルらで、日本の観客に迎合した感はないが、万が一のときにアジア圏で商売できそうな顔ぶれかもしれない。

この『K-20』、当方の気持ちとしては応援したい映画なのである。ともかく、安易なディザスター映画や難病お涙頂戴や犬猫動物ものや空疎なケータイ小説ものでなく、ましてやヒット・ドラマの映画化でなく、陽性で楽しい軽いノリのエンターテインメント作品であるということ。物語を語る前に、その物語が展開される世界から構築して見せようという(金がかかるので実写の邦画ではなかなかお目にかからない珍しい)アプローチ、(映画好きには『プレステージ』で御馴染みの変人発明家)ニコラス・テスラが発明したという触れ込みの発電装置に代表されるこだわりのプロダクション・デザインなど、映画全体から観客を喜ばせ、楽しませるために真剣につくろうという気概が感じられること、それを、非常に好ましいことと感じるのだ。すごく頑張っているんじゃないかと思うのである。こういう映画が日本でも沢山作られるようになれば嬉しいなぁ、という願望も込めて、作り手に敬意を評したい。

しかし、残念ながらその結果、出来栄えそのものについては手放しで褒められない。だいたい、金城武の日本語演技はいつものとおりで台詞回しがモゴモゴしてピリッとしないし、松たか子のコメディ演技はどこかしら野暮ったく重たい。(「良家の子女」を彼女の口から繰り返し云わせるのは、まあ、悪意のない中途半端なギャグとして苦笑交じりに許容することとしよう。)パラレルワールドの架空の「帝都」をでっち上げるための方便も詰めが甘く、どういう世界観、どういう歴史の上に成り立った世界なのか、よくわからない。いっそのこと、何の説明もせず、見たとおりの世界ですよ、とやってしまう勇気が必要だったのではないか。それは、「アニメ」や「マンガ」では誰もが平気でやっていることだ。また、広げた風呂敷のスケールと、実際に展開される物語の小ぢんまりした感じ、すなわち、見終わったときの「大作感」の欠如も、ちょっと惜しい感じだ。

あと、昔の宮崎アニメへのオマージュというか、まあ、なんだかそれで画面と物語が埋め尽くされている感じも気になるのである。それは、本作にも参加(脚本&VFX)している山崎貴の『ジュブナイル』が、藤子F(の大長編ドラえもん)で埋め尽くされていたのと同じ意味合いで、楽しくもあり、ちょっと困ってしまいもするのである。結局、元祖であるところの「彼」を超えられないんだよね、ということの再確認でもあるからだ。だったら、BDで発売されたばかりの『カリオストロの城』でも買って帰るか、というはなしなんだよね。

いろんな不満はないわけではないが、それにしても、冒頭のワンカットで見せ付けられる帝都のビジュアルは、観客をその気にさせるに十分な出来栄えである。レトロな都心の町並みと、周辺部のインダストリアルな工場群、さらにその足元に広がるバラック立ての貧民窟という都市構造と社会階層構造、戦前からの意匠的な連続性・一貫性を持たせた建物やメカ類のデザイン、アニメーションでは時折みかけるレトロフューチャーな架空世界を実写(風)に表現して、それこそ『ALWAYS 三丁目の夕日』でやってみせたことのリプライズとして、自信を持って「世界」から物語に導入する演出は堂々たるものだ。

まあ、「敬意」を評して甘めに☆☆☆を進呈し、これからもこの種の映画の系譜が途絶えたりしないよう、作り手の意欲が損なわれないよう、観客が劇場に足を運んでくれてそこそこのヒットになることを心から祈っている。贅沢言わなけりゃ、全国公開の正月映画の中では面白いほうだと思うんだけどね。『WALL*E』を別格にして。

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