1/12/2009

Animal Farm

動物農場(☆☆☆★)

All Animals Are Equal, But Some Animals Are More Equal Than Others.

というか、

All Employees Are Equal, But Some Employees Are More Equal Than Others.

・・・だったりする今日この頃。被雇用者同士がいがみ合わざるを得ない構図って、なんか変だ。


基本的に「資本主義」の歴史というやつは搾取する側と搾取される側という構図を何十年の歳月をかけて巧妙に覆い隠し、搾取される側にとって、普遍的な対立構造が見えにくくなるように腐心してきた歴史である、ともいえる。もちろん、それが全て悪意の元に行われてきたとは思わないし、事実上、我々人類が異なる経済体制の選択肢を事実上持っていない以上、どこかに妥協点を見出すのは吝かではない。

・・・が、冷戦構造が終わり、すなわち、「経済体制」同士の「競争」がなくなって「独占」状態になったとたん、その欲望がエスカレートし、かつての巧妙さを失ったあからさまなやり口で収奪と搾取を強化してきていること、ここにきてその行き過ぎが誰の目にも明らかになってきた。世界を覆うテロリズムはそんなところにも端を発しているといえるだろうし、「ある種の元・被雇用者」が日比谷でテント暮らしを強いられるのもそんな理由による。

ジョージ・オーウェルがロシア革命をモデルに描いた原作をもとに、一説にはCIA反共宣伝工作資金による関与によって完成を見たとされるハラス&バチュラー・カートゥーン・フィルムス製(英国初の長編)アニメーションがこの『動物農場』である。だから、もちろんその内容が「ロシア革命」の顛末に対する強烈な皮肉になっており、革命によって生まれた理想主義的な仕組みが行き詰る中で、権力欲に駆られた狡猾なものたちが大多数を支配して食い物にする抑圧的な状況を作り出していく様子が描かれている。

だから、この映画は元々、「共産主義の実態なんてこんなものだ」と吹聴するプロパガンダ的性質をもった映画としてこの世に生み出されたわけだ。

ところが、現代的な目で見れば、これは単に「ロシア革命」に対する強烈な皮肉である以上に、結局、資本主義だ共産主義だという「体制」は全く問題ではなく、もっと普遍的な、経済的に搾取するものと搾取されるものという関係のなかで人間性の醜い本質を描いている作品であると読めるところが面白い。

皮肉なのは、旧体制の支配者と資本家の区別を曖昧にし、資本家と共産主義指導者たちの同一化を避けるよう「出資者」の意向により細部にわたるいろいろな改変が施されたのにもかかわらず、そう読み取れる点、である。

「敵」が誰なのか分かりにくくなった現代に生きているからこそ、ここで単純化されて描かれた本質的な対立構造が、寓話としてより強く輝くのではないだろうか。そんなふうに思われる。

もちろん、1954年の作品なので、当然、古さや限界を感じる部分はある。原作にあるある種の表現はソフトになり、終盤の展開も異なる。キャラクターも単純で類型的に過ぎるかもしれない。なかでも、ナレーション中心に物語が説明されて進んでいくところは、尺1時間半には満たない尺の長さを考慮に入れたとしても欠点だと思う。

ただ、動物たちの動きや豊かな表情の表現力には目を見張らされる。殊に、革命の指導者として、後に独裁的恐怖政治体制を作っていくことになる豚たちの、その人間臭い狡猾さや怠惰さを見せるあたり、憎らしいほどにうまい。これだけの表現をやってみせる作品はそうそう転がっているものではない。革命を成功させてつかの間の労働の喜びには牧歌的なアニメーションの楽しさが満ちているし、暗闇の中で黒い犬の目が光るなどという一見して単純なシーンもドキッとさせられるもので効果的であった。

本作は、「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」のシリーズ名で、世界のアニメーション作品を紹介するシリーズの一編としてこの冬、配給・劇場公開された。公開規模は小さいが、これまでに同シリーズがDVD・BD化されてきている実績をみると、本作も同様の展開が期待されるので、今回見ることができなかった向きにも鑑賞のチャンスはあるだろう。半世紀以上も前に、大人の鑑賞に堪えるこうした作品とそれを作る能力のあるスタジオが存在した事実が紹介されるだけでも刺激的であり、「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」レーベルの存在意義を感じる。

そう、世界にはディズニーでなく、ジブリでもなく、子供騙しでもなくANIMEやOTAKUではない「アニメーション」が、まだまだ沢山紹介される機会を待っているに違いない。

0 件のコメント:

コメントを投稿