2/21/2009

Seven Pounds

7つの贈り物(☆☆☆)


ある男が個人破産状態から株のディーラーとして成功するまでを父子の絆を中心に描いた『幸せのちから(The Pursuit of Happyness)』の好評を受けて、再び企画されたガブリエル・ムッチーノ監督、ウィル・スミス主演(製作も)による、「感動ドラマ」路線第2弾である。前作は実話を基にした作品であることが売り物であったが、今回の脚本は劇場用作品は初のグラント・ニーポルテによるオリジナルである。安易な「感動作」だったら嫌だなぇ、と思っていたのだが、少しユニークな作品に仕上がっていて、なかなか面白い。

この作品は、2つのチャレンジをしている。

ひとつは、ストーリーテリングの手法である。ドラマの初めの部分では、観客には主人公の正体も、目的も、行動の意味も明らかにされないという変則的なスタイルではじまる。いったいこれはどういう話なのか、何が起こっているのかという興味で観客を引き込みはするが、主人公に対する感情移入はできない。(主人公に対して過度の感情移入を許さないのは、作り手の狙いでもあるだろう。)感情移入を許さない(もしかしたら、その行動ゆえに嫌悪感を抱かれても仕方がない)謎の男を主人公に、徐々に謎が氷解していく物語の構造が良くできている。謎を最後まで引っ張ろうという下品さもない。最後の最後まで残る謎といえば、実際のところ、映画の中で描かれている「贈り物」の数が、邦題でいうところの「七つ」に満たない分について具体的な説明がつくことくらいだ。注意深く物語を追っていれば、主人公がどういう男で、何を目論んでいるのか、大方のことはすぐにわかるようになっている。そうすると、観客の興味は別のところに移っていく。さて、そのような「(無茶な)お話し」をどうやって語っていくのだろうか、と。どのような着地点に導いていくのだろうか、と。主人公は、本当に「計画」を実行するのだろうか、と。そこに、ロザリオ・ドーソンが好演するヒロインが絡み、切なくも予断を許さない展開となっていく。そして、バラバラだった糸が、ヒロインとの関係を軸にして1本に撚り合わさっていくのである。

もうひとつは本作のテーマである。これは、ハリウッド資本のメインストリームの作品が取り上げるのが困難なものであろう。主人公の選択は誰もが共感できるものではないし、宗教的なことも考えると激しく賛否が分かれるのではないかと思う。しかし、主人公の行動の賛否はともかく、観客を「納得」させるという難題に正面から挑んでいるところに好感が持てる。こういう題材を、こういうアプローチで作品にすることができるのは、今や最も興行的安定感のあるスターとなったウィル・スミスが製作に名を連ね、主演しているからこそである。もちろん、ウィル・スミスが本作の主人公に適役だと思っているわけではない。しかし、こういう企画を実現させようと考える彼の志の高さには敬意を表したいと思う。

なぜこの作品が「困難」なテーマを抱えることになったか。それは、交通事故により、結果として恋人を含む7人の命を奪ってしまった男の贖罪の物語であるからだ。自らが犠牲になることで人生に困難を抱えた7人の善良な人々を「生かす」という選択を行い、そのとおりに計画し、実行をする男の話である。過去に7人の命を奪った事実は消えないが、そのことを深く悩み、命を削るようにして他者を救おうと考えるような男であるから、この主人公というのは元来「善人」の部類であろう。そういう善人が贖罪のためとはいえ命を引き換えにしてでも計画を果たそうとするところにドラマの悲劇性がある。しかし、これは単なる無私の美談ではない。主人公には自ら犯した罪を償いたいという思いがあり、生きていく希望を亡くしたゆえの自死願望もある。それは「無私」ではなく、自己満足であるとはいえないか。この男が計画を実行に移すことで自分の近しい人々を悲しませ、苦しめることになる。そのことにはある種の身勝手さすら感じさせられるし、映画はそういう側面をさりげなく提示している。誰かの命を救う行為そのものは美談であろう。自ら犯した罪を贖う姿勢や行為もまた、美しいものであろう。しかし、その手段としてこの主人公がとった行動が議論を呼ぶわけである。本作は、この主人公の行為そのものを賞賛して涙を押し売りするような安っぽさとは無縁であり、そういう価値判断を押し付けてこないところが美点である。これを、ある種の問題提起と受け取ったらよい。映画を見た人間がそれぞれに自分の考えを巡らせればよいのだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿