2/14/2009

Street Kings

フェイク・シティ ある男のルール(☆☆☆)


ジェームズ・エルロイの書き下ろしによるオリジナル脚本を、『トーレーニング・デイ』『S.W.A.T』の脚本化デイヴィッド・エアーが監督。出演はキアヌ・リーヴス、フォレスト・ウィテカー、クリス・エヴァンス、セドリック"ザ・エンターテイナー"・カイルズ、ジェイ・モーア、アマウリー・ノラスコ、ナオミ・ハリスらが出演する、現代のLAPDを舞台とした腐敗警察ものである。原題が Street Kings と、複数形になっているのが、実は何気なくポイントかもしれない。

映画は、キアヌ・リーブス扮する主人公が、微妙な囮捜査によって犯罪現場に単独突入、犯人グループを問答無用で射殺した上で、その行動が正当であったかのように現場の偽装を行うところから幕を開ける。正義の名において行われる行き過ぎた暴力の肯定。保身のためにまかり通る隠蔽工作。主人公のそうした行動を組織的にバックアップする「頼りになる上司」と仲間たち。当然、これを問題視する内務調査が目を光らせており、対立関係にあるという状況が観客に提示される。内務調査への密告者と目されていた警官が主人公の目の前で惨殺されたことをきっかけに物語が動き始める。

途中まではありがちな展開をみせる本作ゆえに、先が読めただの何だのいう類が多いのはわかるのだが、本当の幕切れにおいて提示される「世界観」が、エルロイ流というべきか、なかなかのものである。

どろどろの警察もので、妻を亡くした痛みを抱えた暴力刑事という役どころにキアヌ・リーヴスというキャスティングがどうなのか、という疑問を呈する向きがあるようだが、彼のもつクリーンな印象や、何を考えているのか表情から読み取りにくい曖昧なニュアンスというのが本作における鍵だということを理解すべきだろう。

まあ、この映画の主人公、善悪二分法で云えば、確実に悪いやつだ。被疑者を有無を言わさずに殺害することに対して躊躇いをもたない危険思想の持ち主で、そうした考えを共有する危険なグループの一員。これは、かの"ダーティー"ハリー・キャラハンすら守った「一線」を踏み越えるもので、明らかに行き過ぎた「正義」である。しかし、彼のそうした行動は妻を亡くした過去にも関係した彼自身の純粋な思想の発露であることが示される。彼を取り巻く権力と腐敗の構造は、どうやら彼のそうした部分を利用しているに過ぎない。この男はおそらく無知なのである。いや、もしかしたら、無知のように見えてそうではないのかもしれない。汚れているのかもしれない、だが、いったい、どの程度汚れているのだろうか。そういう曖昧なニュアンスは、キアヌ・リーヴスがあの肉体で演じることにより増幅される。全てが灰色の世の中で、自らの立ち位置もわからず泳がされている男。エンディングを迎えたとき、なぜこの主役にキアヌ・リーヴスが起用されねばならなかったのか、わかるはずだ。

途中まで、というより、最後の最後の瞬間までありきたりで「凡庸なふり」をしてみせる脚本は、これが2作目となるデイヴィッド・エアーの演出の凡庸さに引きずられて単なる凡庸な脚本であるかのような誤解を招くが、これがなかなか強かで骨が太い。テーマはお馴染みでもプロットは意外や複雑で、演出のほうはこれを交通整理して観客を惑わせないように語って見せるだけで精一杯といった感じである。意外に登場人物が多いのだが、脇役にいたるまでのキャラクター造詣はよくできている。これは脚本だけでなく、個性的で実力のあるキャストを揃えたことも大きく寄与している。冒頭で名前をあげた役者はみな好演。まあ、フォレスト・ウィテカーは少々大芝居気味なんだけどな。

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