8/22/2009

Hachiko: A Dog's Story

Hachi 約束の犬(☆☆☆)

神山征一郎監督作品で、わりとヒットした『ハチ公物語』(1987) の米国版リメイクである。ストーリー、エピソードや人物配置は基本的にオリジナルを忠実になぞったもので、主人公が大学教授であるというところまで同じ。米国といってもロードアイランドという土地を舞台に選んだのは、主人公が毎日列車(コミューター・トレイン)で仕事に通う設定で違和感がないことが一番の理由だろう。犬は秋田犬。遠く日本から海を越えてやってきたこの犬は、ご丁寧にも首輪に漢字の「八」の字が書かれていたことから、「ハチ」と呼ばれる。ついでに、映画の最後には、「本当のハチ公は東京・渋谷で主人を待ち続けた犬だ」と紹介が添えられている。それだけなら、まあ、米国を舞台に焼きなおしたが、原典を尊重していますよ、という作り手の誠意のようなものを感じないでもない。

しかし、この映画、どこか座りが悪いのである。それは、「主人公の息子が教室で語って聞かせる、父と愛犬の話」という物語の構造をとっているからだろう。「これは日本で実際にあったお話しにインスパイアされて、米国を舞台に焼きなおしましたよ」と、映画の製作者から観客に説明がある。そういう映画の中で、少年が出てきて、自分の自分の父の話として、過去の出来事として、物語を語る。論理的に矛盾しているとまでいうつもりはないが、なんだか不必要に虚構を2つ重ねているように思えて違和感が残るのだ。

米国人の少年が語って聞かせる話、という構造をとるのであれば、話の内容は「誰からから聞いた日本の話」でも成立するはずである。あるいは、「本当のハチ公は東京・渋谷で主人を待ち続けた犬なんだけど、それを米国を舞台に焼きなおしましたよ」という説明が入るのであれば、少年が父と愛犬の話として物語を語る必然性はなくなる。あるいは、いっそのこと、「みんなの前で話すネタに困った少年が、どこかでみた日本映画のストーリーを自分の父親と愛犬の話として語って聞かせたことがバレて、校長室に呼ばれて叱られる」といったエピローグでもついていたら、よほど座りが良いと思うのだが。そうしたら少年が大きく板書する<HACHIKO>の「KO:公」が、一体全体どこに由来するのかという謎も解けるというものだ。

犬視点での撮影はともかく、犬が死ぬ間際に幸せだった日々を回想するという演出では、いったい涙を流したらよいのやら、吹き出して笑ってしまったらいいものなのやら困るという不思議な気分を味わえるのだが、日本の『ハチ公物語』をそれほど面白いとも思わなかった当方にとって、犬を可愛らしく撮れている点においては米国版のほうが圧倒的に出来が良いと感じた。米国のそれなりに厳しい規制をクリアしながら、犬のしぐさや表情をきっちりフィルムに焼き付けるには忍耐強さも必要だっただろう。アニマル・トレーナーも優秀であるに違いない。まあ、いずれにせよラッセ・ハルストロムなどというビッグ・ネームを担ぎ出してきて作るような映画ではないことだけは確かである。

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