3/19/2011

True Grit

トゥルー・グリット(☆☆☆★)


コーエン兄弟の映画は、面白かったにしろ、つまらなかったにしろ、いつも騙されたような気分になる。テクニックが先行して、魂が入っていないというか。体温が感じられないというのか。なにかテーマがあるようにみえて、どこか、はぐらかされたような気にもなる。そんなものは映画を撮るための口実に過ぎなかったんじゃないか、と感じてしまったりもする。

物語も、キャラクターも、題材そのものも、突き放した感じの客観的な視線、といえばそうなのかもしれないが、全てが自身の技術を見せびらかすための材料でしかないような印象を受ける。まあ、私がそういうふうに感じてしまう映画作家ってのは他にもいるのだが、コーエン兄弟はその代表のようなものだ。巧いなぁ、面白いなぁ、と思いながら、信用してなるものか、心を許してなるものか、と警戒しながら作品をみているところがあったりする。

そのコーエン兄弟の新作が、西部劇だという。なんだか知らないが評判が良く、本国では興行的にも大成功を収めているというし、名義貸しだかなんだかしらないが、スピルバーグの名前までクレジットされている。いったいどんな映画になっているのだろうかと興味がそそられないわけがない。震災から1週間しか経っておらず自粛、外出控ムード漂うなか、いそいそと映画館に出かけた。しかして、その出来栄えたるや、いかに。

・・・やっぱり、さすがに面白いのである。でも、どこか、なんか騙されたような気がしないでもない。

本作はジョン・ウェイン主演の『勇気ある追跡(1969)』のリメイクである。というか、同じ原作の2度目の映画化、とでもいうのか。開拓時代の米国。西部には、まだまだ法の目や秩序の及ばぬフロンティアが広がっていた時代が舞台である。(それや、「西部劇」なんだから当たり前か。)父親を殺して逃げた男に復讐を誓う少女が、腕利きと評判の保安官を雇い、僅かな手がかりをもとにして、先住民居留地の奥、荒野へと向かう。保安官にジェフ・ブリッジス、同じ男を違う理由から追跡してきたテキサスレンジャーにマット・デイモン、件の仇にジョッシュ・ブローリンが扮している。そんな中、強烈なキャラクターで大人の俳優たちを喰ってしまったのが、中心となるしっかりものの少女を演じたヘンリー・スタインフェルドである。アカデミー賞では「助演女優」賞の候補になっていたが、この物語の実質的な主人公であり、事実上、立派な主演女優である。

旅の道中にはコーエン兄弟らしい人を喰ったユーモアも散りばめられ、どこかオフビートな風情もあって、思わず笑ってしまうこともある。そうはいっても、彼らがやりがちな悪ノリにちかいオフザケはみられない。クライムものを撮っているときほどダークだったり、ハードだったりはしないが、それにしても正々堂々、正攻法で臨んでいるように見える。アクションを交えながら語られるのは、自らの責任においてなすべき正義とその代償について、である。また、それを懐深く見守る大いなる父性についての物語である。

強く、賢く、自立した少女。追い詰めてみれば、チンケな小悪党に過ぎない仇。思いもかけない対決の行方とその顛末。むしろ、復讐を成し遂げたあとに訪れるクライマックス。目的は果たされたのかもしれないが、あくまでビターな物語の結末。エピローグがもたらす余韻。

なんだか、伝統的な米国の価値観を、現代的な視点から再構築することを意図したかのような作品である。キャラクターの解釈や造形には明らかに現代という時代を踏まえたフィルターがかかっているのにもかかわらず、底辺を流れている米国的な価値観には揺るぎがない。そこで考えてしまうのだ。これは作り手の本音なのか、そういうフリをして見せているだけなのか、と。深読みをしたくなるようなとっかかりがあちこちに用意されている。が、それもどこまで意図したものなのか、単に思わせぶりなだけなのか、よくわからないところがある。まあ、こちらの先入観がそう感じさせるだけなのかもしれないが。

騙されたような気分はさておくとして、昨年アカデミー賞を受賞して絶好調なジェフ・ブリッジスがみせる貫禄の演技を堪能するだけでも損はなく、本作を本格西部劇たらしめているロジャー・ディーキンスの撮影も見事。コーエン兄弟作品のなかではとっつきやすい作品なので、普段は避けて通っている人にもおすすめできるんじゃないかと思う。

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