3/04/2011

Morning Glory

恋とニュースの作り方(☆☆☆)


出演作を重ねるごとに魅力が増してきているレイチェル・マクアダムスが(恋、はともかく)仕事を成功させるために奔走するドタバタ・コメディ、という枠の中では楽しめる作品である。不機嫌顔の偏屈爺と化した「脇役」ハリソン・フォードも面白いし、ダイアン・キートンは立ち位置をわきまえた好演(まあ、ちょっと年をとったな)。

だけど考えてしまう。どこか納得がいかない。

結局、こうやってテレビは白痴化していくのだ、ということか。

主人公が猛烈アピールで得た仕事で結果を出すため、視聴率の悪いモーニング・ショーの立て直しに躍起になるという話である。いろいろあって、数字が出て、注目を浴び、ネットワークのキー局からお声がかかるまでになっていくというサクセス・ストーリー仕立て。それはいい。

しかし、その成功のプロセスがちょっと釈然としない。

尊敬するニュースキャスターをスカウトしてきたといっても、硬派な番組へと舵を切るわけではない。視聴率を取るために、レポーターたちに過激な体当たり取材を要求し、番組のバラエティ化、白痴化を推し進めていく。報道の力、メディアの力を思い知る出来事があっても、番組の路線を変えはしない。視聴率をとることが良いことで、主人公が行っている番組活性化策が善で、頑固なジャーナリスト気取りは時にスクープをモノにしたとしても、視聴者に媚び、朝の番組にふさわしく料理の一つや二つ作って見せるべき、、、という価値観で突き進み、そこに迷いもなければ、振り返りもない。

主人公が、ということではないだろう。この映画の作り手が、そのあたりのことについてあまりにも無自覚で、批評精神がないということだと思うのである。結果として仕事に賭ける主人公の志の在り処、なんのために仕事をやっているのかがわからない。また、主人公と頑固なニュースキャスターの価値観の対立や相互理解のドラマが、匂わせているほどには描けていない。結局、ハリソン・フォードが立場をわきまえて折れてみせる、ということでしかない。

単に職場の仲間と楽しく、日々の仕事や困難を乗り越えていく話なんだといわれたらそうだ。そういう単純さに本作の魅力の一端がある。しかし、あまりにお気楽なんじゃないか。舞台としてTV局を選んだりせず、どこか他の職場でやってもらえたら、どれほど気持ちよく笑える作品になったことだろうか。

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