7/16/1998

Saving Private Ryan

プライベート・ライアン(☆☆☆☆)

スティーブン・スピルバーグ監督の新作は、第二次世界大戦の欧州戦線を舞台にした「戦場」映画である。出演はトム・ハンクス、エドワード・バーンズ、マット・デイモンなど。激烈な戦闘となったノルマンディ上陸-Dデイで幕を開けるこの作品は、4人兄弟の3人までを同時に失った母親のもとに、最後の生き残りかもしれない行方不明のライアン二等兵を送り返すというミッションを帯びた小隊の苦悩と運命を描いていく。

作品としての圧倒的なインパクトの割に、お話しが弱い。それを差し置いても、この作品を90年代のスピルバーグを代表する傑作と呼んでも差し支えないだろう。

ありとあらゆる映像テクニックを駆使しながら描く戦闘シーン、特に、冒頭20分程度で描かれるノルマンディ上陸作戦は、まるで彼の映像技術のショーケースだ。これは、もう、凶悪である。スピルバーグが鬼畜描写、人体損壊描写好きであることは分かっているが、そういう意味でも彼のフィルモグラフィーの頂点に位置するといってよいだろう。

凶悪レベルな陸戦描写といえば、悪名高き『スターシップ・トルーパーズ』があるが、あればSFという隠れ蓑あって許容される描写であった。この映画の戦場描写は、それをはるかに凌駕し、悪趣味大将のバーホーベンも真っ青になるようなものだ。吹き飛んだ自分の片腕を探してさ迷うものがいる。あふれ出る内臓を押さえながら母親の名を呼ぶものがいる。ヘルメットのおかげで命拾いをしたと思いヘルメットを脱ぐと、その瞬間に頭を弾丸が貫いていく。海岸線がおびただしい死体で埋まる。スピルバーグ龍の笑えないブラック・ユーモアが交じるから、余計に凄まじい。

この描写は戦争映画の流れを確実に変えるだろう。真似をするにしろ、しないにしろ、これからの作り手はこの映画を意識せずにはいられないはずだ。

これを支える音響もまた凄いのである。自分の前を、後ろを、横を、弾丸が飛び交い、すぐそこで爆弾が炸裂する。戦場の疑似体験。あまりのことに、かつて戦場を経験した人たちがトラウマを蒸し返されるかもしれないと警告が出たのもうなずける。映画館のサラウンド音響の本領は、まさにこうした作品で発揮されるのだろう。

それに比べると、そもそもこの映画のために用意されたお話しが、面白くない。単に、戦場を描きたかっただけなのじゃないかと、お話しはそのエクスキューズなのではないかと邪推したくなるくらいである。

兄弟全滅の悲劇を回避するため、最後のひとりを家に帰すという判断をうけ、その一人をわざわざ戦場から探し出し、保護するために、多くの命がリスクに晒され、あるいは失われるという話である。もともと、そこにある矛盾と、それでもなお、何かを信じてミッションに殉じる気高い精神とを描きだそうというのが意図なのだろうが、どこか、単純な美談としてまとめられているようにも見えてしまうのは脚本の弱さゆえだろうか。

そこらへんをわかっているからか、これまではあまり大スターをキャスティングしないことが特徴だったスピルバーグが、いまやアカデミー賞2回の大物になったトム・ハンクスを主演に立ててきた。その判断はやはり正解だったといえるんじゃないか。なにしろ、脚本の舌足らずを、トム・ハンクスという存在が全てを説明してくれるのだから。

ジョン・ウィリアムズの音楽はいたずらに戦意を高揚したりせず、静かに、しかし力強くヒロイズムと失われた命に対する鎮魂歌を奏でる。そこにはベテランでしかだせない貫禄とともにスピルバーグとの長年のコラボレーションからくる余裕を感じさせられる。映画は2時間50分の長丁場で、場内に灯りが点るころには、ぐったりした疲労感を覚えるだろう。しかし、これを映画館で体感せずしてなにをすればいいというのか。必見。(1998/7)

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