10/16/1998

Practical Magic

プラクティカル・マジック(☆)

面白い作品に出会うためには、ともかく沢山の映画をみるしかない。沢山の映画を見るということは、山ほどのクズ映画を見るということに等しい。そして、これはそんなクズ映画の中でも、何をクズと呼べば良いのか確認するためには格好のテキストになるような作品じゃないかと思う次第である。

魔女の血筋にあたる姉妹を主人公に、成り行きで殺してしまった妹の暴力的な恋人をめぐってひと騒動という話である。主演はニコール・キッドマンとサンドラ・ブロック。ダイアン・ウィーストやアイダン・クイン、ストッカード・チャニングらが共演。原作つきの映画化作品で、監督は、俳優としても知られるグリフィン・ダン。ああ、「狼男アメリカン」ノ人ですね。

御伽噺風に始まって、コメディに向かう様相を呈するが、突然MTV調になったり、重いドラマになったりして、気がつくと中途半端なまま恋愛御伽噺として幕を閉じる。この作品の大きな問題と思われる第1のポイントは、これは一体何の映画なのか、軸足が定まっていないことではないだろうか。いや、簡単にジャンル分けされるのを拒む映画にも面白い作品はたくさんあるが、定番を外そうとした努力が裏目に出ているのが本作ではないだろうか。

望みもしないのに不思議な力を手にしてしまった姉妹が世の中に順応しようとするドラマならそういう話にすべきだし、軽い気持ちでその場しのぎの魔法を使ったらとんでもない騒動になるドタバタ・コメディならそういう話にすべきだ。いい男に飢えた姉妹が恋愛がらみで魔法を使って思いがけないしっぺがえしを食いつつも真実の愛を見つけるロマンティック・コメディならそれでいいし、別の魔法使いが現れてサイキック・ウォーズになるならそれも見たいと思う。

でもこの作品は、残念ながらそのどれにも当てはまらないのである。

第二の問題は物語の構成がなっていないこと。時間にして最初の10分を除く全てが拙い。本筋は行き掛かりで殺してしまったニコール・キッドマンの暴力的な恋人を、さすがにまずいと生きかえらせようとしたりしてうろたえるところから始まる。捜査官が現れサンドラが恋に落ちる。ここに到達するまでに映画がどれだけの時間を無駄な描写に費やしたことか。ろくでなし男によるドメスティック・ヴァイオレンスに苦しんでいるはずのニコール・キッドマンがプールサイドで楽しそうに男たちと戯れているサービスカットを撮る前に、描くべきことがあるだろう。

映画はサンドラの2人娘や母親、叔母さんまで登場させて賑やかこの上ないが、基本的には本筋と関係のない必要のないキャラクターたち。恋の本命アイダン・クインも、重要な役割を担うはずなのに、無駄なシーン、無駄な登場人物、無駄な描写のために割を食ってしまい、単なる脇役程度にしか見えない。映画の中で悪役を引き受けるはずのニコールの恋人も、死ぬまでの間にキャラクターを見せる機会が一度もない人形のような扱い。

こんな出鱈目も逆に珍しい。原作に遠慮して脚色に失敗したのか。それを検証するために原作を探しに行くエネルギーも湧いてこないので、ただただつまらない映画の代表としてのみ、記憶に留めることにする。

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