5/19/1999

Star Wars Episode I: Phantom Menace

スター・ウォーズ エピソード I ファントム・メナス(☆☆☆★)

辺境の惑星ナブーが通商連合に経済封鎖を受ける。交渉の役を担った2人のジェダイ騎士がやってきたが、事件の裏側には既に滅びて久しいとされるダークサイドのフォースの使い手である「シス」の手が関わっていた。ナブーの女王と共に惑星を脱出、共和国首都コルサントに向かう途中、砂漠の星タトィーインに不時着した一行は、そこでフォースの強いアナキン少年と出会うことになる。

いや、誰がなんといっても、『スター・ウォーズ』なので、幸運にもその最初の1本を劇場で経験した世代(の中では若いほう)としては、初日の深夜上映のためにともかく並ぶしかない。なんだか仮装してライトセイバーを振り回す子供たちやら、ヨーダしゃべりで話しかけてくるおっさんやらが大行列を作っていて大変な騒ぎであった。そして映画館の暗闇に20世紀フォックスのファンファーレ、ルーカス・フィルムのロゴ、”A long time ago, in a galaxy far, far away”! ああ、これを待っていたんだよ。その瞬間こそが、本作における最高の瞬間であったことは特に否定するものではない。

さて、既に分かっている結末に向けて「帰納法的」に展開される新3部作の開幕である。だから、前の3部作を見ていない限り、画面で展開されていることの意味をほんとうに理解することはできない。

が、一見さんお断りという話でもなく、今回が初見の小さな子供でも十分に楽しめる作りになっている。何しろ、アナキン・スカイウォーカーは子供だからな。そうして、むしろそういう「お子さまモード」が本作への困惑と、非難の的となっているのは事実である。個人的にはポッドレースのシーンはもっと短くしたら良かったとは思うが、不評を浴びているジャージャー・ビンクスとか云うカリブ訛りのCGIキャラクターは、子供に受けているみたいだし、あんまり目くじらを立てなくてもいいんじゃないか、などとも思う。まあ、100%CGIで作っている画期的なキャラクターだというのを強調したいがばかりの、不必要に周囲と絡む演出はご愛嬌といったところか。

この映画で驚いたのは、大型のイヴェント映画にありがちな「あざとさ」、無理やり観客の感情を喚起する一種の浅ましさがないこと。久しぶりに監督に復帰したジョージ・ルーカスの演出は、あきらかに、最近のトレンドから外れている。ルーカスは呆けたという口の悪い輩もいるが、これはこれ、シリーズの「序章」として、その壮大な予告編としてのバランスが意識されているようにも思える。

演出があっさりしている反面、、画面や音楽に盛りこまれた情報量はシリーズ中でも屈指である。CGIなしにはこういう絵作りは無理だな。音楽にも色々隠し味が効いている。アナキンのテーマの中に隠されている帝国マーチの影。ナブーのパレードに潜んでいる銀河皇帝のモチーフ。こういう音楽の作り方は騙し絵のようで面白い。目に見えているものが全てではないという意味で、旧三部作より幾分複雑な様相を呈している、それが、分かってくると、少し違った楽しみ方ができるようになる作品である。(もちろん、そういう様々な要素は、リピート鑑賞しないとなかなか拾い切れないので、いろいろ気になって、結局、E.T.探しも含めて5回も劇場に足を運んでしまった。)

平穏な共和制末期を反映した優雅なデザインの宇宙船など、これまでとかなりテイストが異なるので、少々面食らうところはあるが、やはり、どこかに一貫した部分は残されていて、これらのデザインがどうやって我々の知っているデザインにつながっていくのか、これから先の興味がつきない。

ファンにとっては懐かしいキャラクターの昔の姿を目にしたリ、彼らの出会いや起源が次々と語られていくだけで単純に嬉しいものである。それ以上に、歴史の循環、運命の輪を意識したのか、前3部作、特に最初の1本を彷彿とさせる演出が随所あって、そういうところにニヤリとさせられたりもする。一方で、決まった結末に向かって走っていく物語の窮屈さ、わかっていることを確認していく作業であることの退屈さも感じざるを得ない。

ある意味で、新3部作は負け戦であると思っている。さまざまな制約の中で、どれだけ観客を満足させ、熱狂させられるか。ともかく幕を開けた以上、ここから先が正念場だろう。

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