6/27/2009

Evangellion 2.0 You Can (Not) Advance

エヴァンゲリヲン新劇場版:破(☆☆☆☆)

初日の劇場を包み込む観客の熱気、満席の場内で期せずして巻き起こる拍手。昔、といっても、たかだか15年や20年前までは、ヒット作や人気シリーズ作品の先行深夜上映や初日で良く見られた光景なのだが、久し振りにそんな現場に遭遇すると何か、大きなイベントに参加したかのような不思議な充実感に満たされる。前作は公開規模を考えたら存外のヒットであったし、つい先日発売された Blu-ray 版がBDとしては最速のスピードで売上記録を樹立。昨年中の公開が予定されながら今日まで待たされた第2弾。観客はこの1作を心から待っていたし、作り手はその大きすぎる期待に応えてみせた、そういうことだと思う。

作り手が「繰り返しの物語である」と表現していただけに、前作『序』では基本的にオリジナルをなぞるように物語が展開されたが、本作は冒頭、最初のカットから新キャラクターを投入し、基本的な要素はオリジナルに材を求めながらもキャラクターの性格付けや行動、成長、そして物語の展開そのものを大きく変化させている。成長しない引きこもり気質の少年を主人公にした特異な物語は、 12年のときを経て、自らの意思で困難に立ち向かっていこうとする成長する少年を主人公にした王道のエンターテインメント・アニメーション作品へと大きく変貌しようとしている。これは同じ素材から生み出されるもうひとつの可能性を贅を尽くして描くものなのであろう。もしかしたら、本来、オリジナルのシリーズがあるべきだった姿(なのであるが、さまざまな状況により実現し得なかった姿)へと回帰するものなのであろう。オリジナルは特異な作品であったからこそ多くの人の心に突き刺ささる現象となったというのに、敢えて王道路線で正面から勝負をしようとしている、それが前作よりもはっきりと見えてくるのが近作である。

前作にもましてパワーアップした「使徒」が次々と来襲し、壮絶で凄惨なバトルが繰り広げられるなか、どこか総集編的な成り立ちを引きずって忙しなかった前作とはことなり、主要な登場人物間でのドラマがセットアップされ、練り上げられ、クライマックスに向けて手順を踏んでうねりながら醸成されていくあたりが、本作を1本の映画として見応えのあるものにしている。前作から引き続いて主人公たちを取り巻くその他大勢の人々の存在や、都市生活者の日常生活を描写したカットが反復して挟み込まれていて、物語として内側に閉じるのではなく、外の世界への広がりを印象付けようとしているかのようである。アニメーション表現は緻密かつ大胆、劇場の大スクリーンに負けない圧倒的なクオリティで素晴らしいが、アニメ特有のサービスカットやお色気描写には、ジャンル的な「お約束」とは理解したうえで、それでもある種の違和感を感じないでもない。まあ、児童ポルノ規制に関連して正論の裏側でとんでもない暴挙が行われようとしている今のご時勢に対する挑戦とでも理解しておこうか。

オリジナルからこれだけ逸脱し、性格をことにして展開させながら、しかし、完全に別のものになってしまったと観客を失望させるのではなく、むしろ観客を熱狂させられる作品を仕上げてくるところには何よりも感服させられた。「エヴァンゲリオン」と「ヱヴァンゲリヲン」のあいだに横たわった差異がこれほどまでに大きく広がっているのに、それでも違うものをみたという違和感が残らないのは何故なのか。結局、この新劇場版シリーズは、かつてファンが心の奥底で強く願ったが決して目にする機会のなかった作品の姿に近いから、なのではないだろうか。クライマックスでの主人公が選択する行動と絶叫に心を揺さぶられ、作品終了と同時に観客を拍手に駆り立てた「熱」は、単に作品の力によるものを超越している。初めて充足される願望、そう、こんなものがみたかったのだという願望がまさかと思っていた瞬間に充足される、そのことに起因するのである。さて、再構築と銘打って始まった新劇場版が、オリジナルをどう包括、総括してどこに向かうのか。次回作「Q」(←爆笑)を大いなる期待を持って待ちたい。

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