6/19/2009

Transformers: Revenge of the Fallen

トランスフォーマー リベンジ(☆☆)


本作の試写を見た製作総指揮に名前を連ねるスピルバーグが、もしかしたらマイケル・ベイの作品の中で一番いいじゃないか、と述べたという。しかし「マイケル・ベイ」のフィルモグラフィに並んだゴミ屑のような作品の中で最高、っていうのは褒め言葉になっているのだろうか、と心配になってしまったりもするのである。

さて、前作の(予期せぬ)特大ヒットを受けて製作された本作は、続編の作り方としては呆れるくらい古典的なアプローチに則っている。"Bigger and Louder"、つまり、スケールはとにかく大きく、物量は大量に投入して、爆発もアクションもお笑いもお色気も、とにかくたっぷりと大増量、というやりくちである。ある種の局地戦といえた前作の部隊を全世界規模に拡大し、世界各地で大バトルが繰り広げられる。機械生命体同士の戦いは人類の存亡をかけた戦いへと変貌し、新旧大量のトランスフォーマーだけでなく実在する兵器も惜しみなく投下し、挙句の果てにはピラミッドまでぶち壊す。唐突な漫才があるかと思えば、無駄なお色気シーンや下ネタも特盛状態の2時間半だ。こうしたアプローチの「続編」では仕掛けの大きさに反比例して中身がどんどん薄くなるのが通例だが、もともと前作も「中身」で評価されるような作品でないから心配は無用だろう。とはいえ、スケール拡大に伴い、オートボットと共闘する「米軍」が、地球防衛隊よろしく世界中に出張して、勝手に戦闘と破壊を繰り広げるという政治的にどうかと思われる能天気な描写や、軍人が常に正しくシヴィリアンは無能だというある種の作品では良く見られる類型的な描きかたがなされていることの背景にある「思想」については、お気楽な娯楽映画であるといってもいかがなものか、と思うものである。

マイケル・ベイという監督は、何をどうやっても揶揄の対象にしたくなるような作品しか作ってくれない人なのだが、映画らしいスケールとハッタリの効いた「画」を撮れるセンスを持っていることだけは確かである。例えば先日鑑賞した『スター・トレック』の J.J.エイブラムズの画面作りが徹頭徹尾テレビ・サイズでみみっちいことに比べると、大きな有意差が認められることだろう。作品として優れているか、面白いかということとは別に、わざわざ映画館に足を運ぶことで、それなりの爽快感というか、満足感のようなものは感じることができるのがこのひとの強みだということを、今回、改めて再確認できた。

ただ、このひとに決定的に欠けているのが、「画」を組み立ててつなぎ、ストーリーを語る技術なのである。少なくとも、簡潔に効率よく物語を語る技術については決定的に欠落している。「トランスフォーマー好き」であれば違った楽しみ方もあるとは思うが、そうではない単なる映画好きの立場から言うならば、前作も、本作も、90分から100分程度にまとめることができていたらかなり面白い作品になっていたんじゃないかと思う。しかし、いつもながら、たいした内容でもないのに2時間半近い尺でダラダラやるのがこの人の流儀であり、限界なのである。画面では派手に、常に何かが行われているのだが、見方を変えれば緊張感もなく、退屈で、弛緩しきった時間が流れているだけ。いくら物量を投入して派手に爆発させようとも、欠伸の一つや二つもでてしまう。

毎度のことだが、本筋と関係ないようなシーンをたくさん挟み込んで、それをストーリーの「緩急」と勘違いしているのにも閉口させられるし、ある一連のシーンで語られるべきストーリーの本質を分かっていない演出と編集で、無駄な描写にダラダラと尺を使うのも勘弁して欲しいところである。本作でいえば、ストーリーから乖離した「笑えないお笑い」や「サービスたっぷりのお色気」が、唐突に、しかも反復されて挟み込まれるときのギクシャク感。クライマックスとなる砂漠での戦闘シーンとて、シャイア・ラブーフ演ずる主人公が危険を省みずに戦場を突っ切り、味方部隊の背後に安置されたオプティマス・プライムの亡骸を目指すという核となるストーリーを掴んでいたら、あんなにダラダラしたものになるはずがない。人物や部隊、戦闘の位置関係や全体状況を「画」で見せて簡潔に説明することすらできないのは、この男がストーリーテラーとして3流であることの証でしかない。結局、本作をみるということは、そういう分かりきった事実を再確認するだけのことである。

0 件のコメント:

コメントを投稿