6/27/2009

Vicky Cristina Barcelona

それでも恋するバルセロナ(☆☆☆)

原題、Vicky Cristina Barcelona はシンプルだが韻を踏んでいてリズムも良いし、なかなか軽妙だ。だいたい、そっけなさも含めて映画の体を良く表していると思う。ウディ・アレンの新作は、「自分の望むものは何か分かっている(と思っている)女性=Vicky(レベッカ・ホール)」と、「自分が望まないことは何か分かっている(はずの)女性=Cristina(スカーレット・ヨハンソン)」が、バルセロナで出合ったアーティスト(ハビエル・バルデム)とそのエキセントリックな元妻(ペネロペ・クルス)に翻弄されるさまを、丁度、無責任なアメリカ人観光客の浮かれ気分そのまま軽快に、しかし、成就しない恋愛が最もロマンティック、という台詞に秘められた皮肉でしっかりと味付けしながら語ってみせる小話の類である。映画を見て、「何がいいたかったのか分からない!」などと怒り出すような無粋な観客には決してお勧めしないが、変幻自在、熟練の話術、話芸そのものを楽しむ心の余裕があるひとなら大いに楽しめること請け合いである。

この映画を見終えて、自分の友人にでも登場人物の相関関係や物語の展開を簡潔に分かりやすく整理して口頭で説明できるか試してみるといい。それほど難しい内容の作品でもないのに、これが意外に難しいものだと気づくに違いない。突拍子もなく唖然とする展開や人物関係がなかなか複雑で、聞き手が混乱する確率がかなり高いはずだ。この映画を見ていて何に感心するかといえば、観客を決して混乱させたりしない的確で、かつ、恐ろしく効率的な語り口なのである。脚本としてはかなり無茶な構成なのに、終わってみるとなんとなくそれで座りが良かったりする。いまや、こんな作品をさらっと撮ってしまうのはウディ・アレンくらいしかいないのではないか。もうひとつ、柔らかな陽光輝くバルセロナを舞台に、観光名所をたっぷりと盛り込みながら、しかし、舞台や背景に負けた凡百の(恥ずかしい)観光地映画にはなっていないバランス感覚の良さもまた、特筆すべきであろう。

事前の評判どおり、途中でいきなり登場して物語をかき回すペネロペ・クルスが最高である。おかっぱ頭の殺し屋から一転、セクシーな画家を演じるハビエル・バルデムとの息もぴったりで、スペイン語で壮絶な悪態をつきまくる彼女をバルデムが「みんながいる前では英語で話せ」といなす漫才調のシーンの反復は可笑しくてしかたがないし、とてつもなく気分屋の変人キャラクターで、怒ると何をするか分からない凶暴な女性なのに、なんともいえないキュートな魅力に溢れている。ハリウッドで出演した英語映画では「訛りのある英語をしゃべるかわいこちゃん」以上の役柄に恵まれなかった彼女だが、それがいかに才能の無駄使いだったことか。演技者としての評価が一段と高まったいま、本作のようなお気楽なロマンティック・コメディの脇役で物語を軽くさらっていってしまうあたり、そういう役柄選びが嬉しいではないか。その分、本作で一番割りを喰ったのはスカーレット・ヨハンソンだろう。ペネロペ・クルスと同じフレームに収まると、もう、どうしようもないくらいの格の違いが露になってしまい、(それが演技であるという前に)単なる世間知らずの小娘にしか見えないところは、さすがにちょっと可哀想だ。一方、本作の真の主人公とでも言うべきレベッカ・ホールは地味ながら好演である。結婚を控えた揺れる気持ち、などという使い古しの設定なのに、しっかりと現実味を与えていて言動に嘘臭さを感じさせないところがつくづく巧いなぁ、と思う。巧みな話術も巧みな役者がいてこそ成立するものなのだね。

0 件のコメント:

コメントを投稿