6/06/2009

Road to Rebirth

ハゲタカ(☆☆☆)

いくつもの佳作を生んでいるNHKの「土曜ドラマ」枠。2007年、そこで放送された『ハゲタカ Road to Rebirth(全6話)』は、民放では作ることのできないテーマとフォーマット、俳優の起用、フィクションといえどもきちんとしたリサーチに立脚し、映画を意識した丁寧な作りを武器として、社会派で、ともすれば難解と受け取られがちな内容を「ドラマ」として、エンターテインメントとして描ききった力作であった。TVシリーズは、「近過去」である1990年代の終わりから2004年くらいまでを舞台にして、我々が耳にするニュースの裏側で起こっていたことを「説明」して見せながら、主要な登場人物たちの背負った「ドラマ」をきっちり描いて見せた。「現代」を描きながら、「近過去」を検証する冷静な視点と、偶然や因縁が交差する(作為に満ちた)熱いドラマが交差するところがひとつの見所であったと思っている。

ちなみに、本作は「TVシリーズの映画化」ではない。一通り完結した物語となっているTVシリーズに対する「続編」である。もともとは、出発点とした原作『レッドゾーン』がそうであるように、同じ「現代」を描くといっても、既に起こったことではなく、近未来に起こりうることを描く構想であったのだろう。しかし、昨秋以降の経済環境の激変を受け、従来の認識の延長線上で物語を構築する限界に直面し、結果として脚本の8割方を書き換えたという。こうした泥縄式のやりかたは、作品の完成度についていえばネガティブに働くことも多い。なにしろ、今、足元で起こっていることを表面的になぞることは簡単であるが、本質を射抜くことはなかなか難しいものだ。だから、リライトをしているという話をきいたとき、結局、半年遅れのニュース・ヘッドラインを垂れ流すだけに終わるのではないかと危惧したが、そうやって現在進行形の「時代」と切り結ぶことを選ぶ作り手の覚悟と感度は素晴らしいことだと思うし、いわゆる邦画の世界においては稀有な資質であると思う。果たしてその成果はどうなったのかといえば、多少の無理矢理や単純化は否めないものの、物事の本質を曲げたり、過度にセンセーショナリズムに走ることもなく、ドラマの中で昨今の印象的なトピックをそれなりに消化することに一定レベルでは成功していると感じた。その点ひとつだけでも製作チームに賞賛の言葉を送りたいと思う。

さて、先にも述べたとおり、本作はTVの続編である。ここから初めて見ることになる観客には、既存のキャラクターたちのバックストーリーや人間関係が分かりにくい作りになっているが、あまり気にすることはない。なぜなら、彼らの本作における役割は、いってみれば豪華な脇役の扱いでしかないからである。考えてみれば、彼らがそれぞれ抱えるドラマについてはTV版で既に決着のついたものであり、そこを描くことは蛇足になる。これは、実のところ、一見して主役を張っているかに思われる「鷲津」についても同じことが云える。本作における鷲津の思想や行動原理は少し分かりにくいところがあるのだが、これは、このキャラクターが、「外敵に対抗する力を持った伝説のヒーロー」であり、敵として登場する新キャラクター、劉一華の引き立て役を担う「記号」としてしか描かれていないことに起因するのである。そう、彼に関するドラマもまた、TV版で完結している以上、それ以上の掘り下げの余地がないということなのだろう。ただ、そういう割り切りに一理あると感じながらも、どこかで物足りなさを感じるのが人情というものかもしれない。

そんなわけで、本作の中心は、新しく導入したキャラクター、新興国の持ちうる資金力を背景とした「赤いハゲタカ」こと劉一華のキャラクター造詣に置かれている。そして、この男をお馴染みのファンドマネージャー「鷲津」と対峙させることによって、その人生や生き様を描き出そうというわけだ。現代の資本主義がもたらす究極の格差をテコにして極貧からのし上がってきた劉一華という男の人生は確かにドラマの核になり得るだけの普遍的な重さがある。TOBによる買収合戦はTV版の焼き直しに過ぎないが、そこにこの男の正体や真の意図の所在が絡んでくることにより、本作はTV版とは異なる側面とスケールから「金を巡る悲劇」を描き出すことに成功しているといえるだろう。

劇場版ということで、監督・脚本以外のスタッフは映画を撮り慣れたスタッフに交代し、TV版よりも落ち着いた画作りを心掛けていると聞いていたが、しかし、TV版とのスタイルの一貫性を維持する必要性からか、表面上は大きな変化を感じさせるものにはなっていない。要は、TV的な画面作りを抜け切れていない点で、劇場作品としては物足りないものになっている。例えば、劉一華がメインになるシーンと鷲津がメインになるシーンでそれぞれ赤や青のフィルターを使って撮り分ける趣向も、TV画面サイズでは機能したかもしれないが、劇場サイズでは安っぽく感じられた。似たようなことをやっても、例えばソダーバーグの『トラフィック』では、明らかに異なる3つの話が交差する構成であるゆえに大胆な色彩設計が活きたのである。キャラクターごとに忙しなく色分けというのは、少し短絡的で幼稚な発想ではなかっただろうか。ドラマの流れを寸断しているだけのように思う。また、キャラクターの登場や場所の移動に伴っていちいちテロップを打つような、観客の知性を信じない「TVスタイル」が安易に踏襲されているあたりにも疑問に感じられる。まあ、実際のところ、本作にも普段は映画館に足を向けないような「お茶の間の観客」が多数入っているようだったから、彼らに対する配慮をするのも「商品」としては正しい考え方なのかもしれないが。

そういえば、米国ではようやくというべきか、今更というべきか、『ウォール街』の続編企画が動き出したようだ。本作でも言及される "Greed is Good" とは、マイケル・ダグラスの名台詞だった。米映画界が今の時代とどう向き合い、どう切り結ぶのか、楽しみである。

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