6/01/2009

Angels and Demons

天使と悪魔(☆☆★)


宗教とか象徴学者とか、なんだか知的なふりを装ってはいるものの、結局はインディアナ・ジョーンズのバリエーションみたいなところに落ち着くのである。観客にとっての謎解きの面白さはなく、主人公は瞬間に謎をといて走り回る。どちからといえば、ニコラス・ケイジ主演のヒットシリーズなんかが一番ノリ的にも近いといえるだろう。ただ、歴史の浅い米国を舞台にしていながら"National Tresure(国宝)"などと大仰に語る軽さとバカバカしさがあっちの作品の身上であり微笑ましいところであるのだが、バチカンだのダヴィンチだのガリレオだのと持ち出していやに権威付けしてみせるところがこちらの浅ましさだと思ったりもする。まあ、それは映画の話ではなく、原作に帰せられるべき責任なのだろう。しかし、だいたい、イタリア語もラテン語もろくに分からないで学者やっていられる主人公の設定はバカバカしくないだろうか。

さて、面白くも何ともないのに大ヒットをとばした『ダヴィンチ・コード』の続編として作られた本作は、「ダヴィンチ・コード」よりも前を描いた原作を土台に、空疎な大作には欠かせないベテラン売れっ子脚本家、デイヴィッド・コープとアキバ・ゴールズマンが違和感なく時間軸を入れ替えて脚色をしている。謎解きやら薀蓄やらをすっとばし、バチカンとローマ市内を制限時間内に駆け巡るというシンプルな構成だ。これは、『ダヴィンチ・コード』の失敗を踏まえたものといえるだろう。『フロストXニクソン』では久々に尊敬に足る仕事をみせてくれたロン・ハワード監督だが、本作ではあまり変な色気を出さず、脚本に則ってスピーディな展開を心掛けているのがよい。かといって、いつもの人畜無害の優等生的大作映画かと思うと、意外に歪んだ描写があったり、どこかへんてこりんだったりして退屈もしないのである。褒め倒すような映画ではないが、『ダヴィンチ・コード』より数段いい、とは思う。

本作はキャスティングでかなり得している。鍵になるキャラクターに、ユアン・マクレガー、ステラン・スカルスゲールド、アーミン・ミュラー・スタールと、本心を易々とは見せない曲者役者を配置したところが大きく効いている。特に、コンクラーベの進行を司る司祭を演じたアーミン・ミュラー・スタールが素晴らしい。この人、最近では『ザ・バンク』や『イースタン・プロミス』でも非常に印象深い一面的ならざるキー・キャラクターをものにしていたので、その顔に覚えのある向きも多いだろう。旬というのも失礼かもしれないが、こういう人をパッと連れてくるあたりのセンスというか、嗅覚の鋭さは賞嘆に値するだろう。

しかし、先にも述べたが、なんだか変てこな映画だなぁ、と思うのである。この映画のヒーロー足るべき主人公が結局のところ何をしたのというのだろうか。もちろん、後手後手にまわって死者が積みあがる中、たった一人とはいえ救った命もある。そして、それがバチカンにとって重要な人物であったのも事実だ。しかし、真犯人の術中に容易にはまり、利用され、踊るだけ踊り、走り回るだけ走り回って、周囲まで巻き込んで、間接的ながら善良かつ有能な人間の命を奪うことに手を貸し、あと一歩で取り返しのつかないことをやらかしていた、、そんなのがヒーローとしてどうなのか、と。自分がとったわけでもない隠しカメラの映像を発見し、それで大団円って、どうなのか、と。これで納得しろといわれても、すっきりしないのだ。主体性のない巻き込まれ型のヒーローがいけないというつもりはない。が、どんでん返しに普請するうち、それまで主人公らしく活躍して見せた全てが単なる無駄足に過ぎず、実際は真の敵に手を貸していただけというような大惨事へと矮小化されるところが作劇としてどうか、ということなのである。何かが間違っている、そう思う。

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