6/12/2010

Confession

告白(☆☆☆★)


公開1週間経った劇場、R-15指定の作品だが、普段はTVの延長線上にあるような映画にしか興味を抱かないような若い観客が多くて、一瞬、入る箱を間違えたのではないかと戸惑ってしまった。『下妻物語』、『嫌われ松子の一生』の中島哲也監督が撮った新作、『告白』は、口コミで集まったに違いないそういう「若い観客」には十二分にショッキングな作品ではなかっただろうか。君たちきっと見たことないんだろ、こういう重たいエンターテインメント。

ともかく、こういう作品が「東宝」という大メジャーで製作され、全国それなりの規模で公開され、これだけの客を集めてみせたという、その事実が素晴らしい。もちろん、これが、「原作もの」でなくてオリジナル脚本だったらもっと素晴らしいのだが、まあ、それはさておいてもいいや。TVドラマの延長としてのイベントばかりで埋め尽くされるようになった今、こういう作品が出てきて、こういうヒットを飛ばす。そのことで、「もっと多様な映画を作り、供給してもいいんじゃないか」と、作り手(というより出資者たち)が少しくらい思い直してくれたらいい。この作品が、新しい流れの第一歩になればいい、心からそう思う。

作品そのものも、中身がともなっており、面白く見ることができた。ストーリーそのものは原作に負うところが大きいが、そこで描かれた物語を、映画というフォーマットの中できっちり再構築してみせたところは高く評価されるべきだろう。視点を切り替えながら登場人物のモノローグで語っていく原作の構成を、そのまま映画に持ち込んだのが正解である。登場人物たちの過剰な自己主張に、この監督が得意とする、スローモーションを多用する過剰に作りこまれた映像をパッチワークのようにはめこんで、これまた絶え間なく背景に音楽を流し続ける。手法も映像も(いつものごとく)あざとくて鼻につくことこの上ないが、これが題材にピタリと拮抗して、スリリングな緊張感を生み出している。

複数人物の主観的なモノローグをつづっていくことで事件の背景が立体的に浮かび上がってくるという構造は、大林宣彦が宮部みゆき原作に挑んだ『理由』(傑作!)にちかい、と思う。人工的に作りこまれた映像のパッチワークという意味でも、旺盛な実験的精神という意味でも、CMディレクター出身という共通項を持つ大林監督の(過小評価されているとしか思えない)作品が想起されたのは自然なことだと思うのだが、どうだろうか。

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