7/23/2011

From Up on Poppy Hill

コクリコ坂から(☆☆★)

少女漫画原作を自由に脚色し、1960年代初頭、横浜を舞台にした青春ものとして完成されたスタジオジブリの長編新作である。宮崎駿の企画、脚本(共同脚本:丹羽圭子)を、『ゲド戦記』ではさんざんミソをつけた宮崎吾朗が監督。まあ、こういう題材は、ジブリでもなければ大型の商業作品としては成立しない、という意味では価値のある1本といえるだろうか。

この映画を見てびっくりしたことは、カットの短さとポンポンすすんでいくテンポの速さである。どこかでプロデューサーや監督が述べていたが、諸般の事情もあって平均的な1カットの長さを短くしたらしい。それを情報として知っていたにもかかわらず、幕開けからちょっと面食らった。画面に描かれている情報を確認して咀嚼する前にカットが切り替わっている。でも、それがいいリズムになって、画面に溌剌とした若さが刻まれている。上映時間も91分に収まっており、この程度の内容に見合った尺の長さではなかろうか、と思う。

この作品では、父親を早くに失い、仕事で不在の母親に代わって下宿屋の仕事にも精を出す少女と、彼女が高校生活で出会った一学年上の青年との淡い恋愛感情がメインストーリーとして描かれている。惹かれるようになった二人が、実は、父親が同じ人物なのではないかとの疑念が持ち上がり戸惑いを覚える。若い2人のロマンスと並行して、高校の中で起こった古いクラブ棟の建て替え計画への反対運動の顛末が描かれていく。実に真っ直ぐな主人公ら高校生たちと、彼らを深い懐で受け止め、見守り、支援する大人たちの姿が印象的である。

「カルチェ・ラタン」と呼ばれるクラブ棟の建て替え反対を通じて、「過去を否定するのではなく受け継いで未来につなげていく」というテーマが示されているように見えるが、それだけではない何かを感じさせられる作品である。

脚本を書いた宮崎父の視線は、現代の若い観客よりも同年代、つまりは、映画の舞台となった時代に主人公らと同世代だったはずの人々に向いているのではないだろうか。そして、かつて自分らを見守り、自由にさせてくれた大人たちのように、今度は自分たちが若い世代を信じ、見守っていこうと云っているように見えなくもない。。原作の舞台を10年ほど前にずらした脚色をするからには、それ故の理由があるはずである。いわゆる団塊の世代の青春時代としたのには、そうした世代の観客のノスタルジーに訴えかけようという商業的な狙いのほかに、そうした、彼自身のそういった問題意識が反映されているように思えてならない。

ところで、その脚本を受け止める側の宮崎息子が父親と同様の解釈や意識を共有しているかというと、そうでもないのではないか。また、(いつも反則すれすれの)キャッチコピーがいうような、「(若い世代の観客に向けて、かつての若者のように)、上を向いて歩こう」というメッセージを発しているようにも全く感じられない。どこかで、父親世代のノスタルジーに付き合ってやっている、とでもいうような、登場人物たちをどこか客観的にながめているような冷めた視線すら感じられる。「それはまあ、いい時代だった、というんだけどさ。。。(いい気なもんだ)」と。

この映画は爽やかな青春物語、青春映画にはなっているが、作り手の中にある視点が一枚岩でないがゆえか、強いメッセージ性やインパクトには欠けるところがある。しかし、そればかりが映画、あるいはアニメーションの面白さとも違うのだから、だからダメ、というものでもない。

本作がアニメーションとして今ひとつ、と思う部分があるとすれば、高畑勲なり、最近では原恵一がやっているような、「日常芝居」をきっちりやりきれていないところだと思う。そして、その結果としてキャラクターたちが描かれている以上には立ち上がってこない。肉体を獲得してリアルな人間になっていない。作り手のどこか客観的な視点と相まって、キャラクターたちが平板で印象に薄い。

あるいは、ある部分ではリアル志向で見せているのに、「カルチェラタン」に巣食う一癖も二癖もある学生たちを、コミックタッチの類型的な戯画化でしか描けていないところも物足りないところだ。もしかしたら、こうした学生たちは、父親世代の時には周囲にいっぱいいたのだろうが、息子世代ではあまり縁がないのかもしれない。それゆえ、リアルな人間として想像できない。そして表現が限りなく類型化されたマンガになってしまうのではないか、と思ったりする。

時代色を出すための既成曲の使い方はどうとも思わなかったが、本作のために書き下ろされた劇中歌(谷山浩子作曲)はどれも面白く、作品に膨らみを与えていた。この時代の横浜の風景を再現した美術や背景も美しいし、声のキャスティングも適切だった。それもこれも含めて、一定水準はクリアした作品であるとは思うのだが、いずれにせよ、夏休みに大宣伝をかけて、多くのスクリーンを占拠して上映するような作品ではないんじゃないか。

P.S. 思ったが、宮崎吾朗は、いっそのこと、ミュージカルをやったらいいんじゃないか?

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