7/15/2011

Harry Potter and the Deathly Hallows Part II

ハリー・ポッターと死の秘宝 Part-2(☆☆☆)

いよいよ、である。もちろん、最後まで付き合いましたよ。ここまできたら、観ないという選択肢はないし。Part-1 の出来栄えがなかなか良かったので、本作への期待感もそれなりにあったしね。そして、まずは、納得、充実、よくできたシリーズ完結編であった、と思う。

(途中でお亡くなりになってしまったリチャード・ハリスを除き)主要キャスト&脇役キャストが最後まで変わらず、これだけの規模と、これだけの安定感で、よくぞ十年作り続けたものである。もちろん、市場が求め、映画会社が望んだこととはいえ、これを実現させたプロデューサーの力量には敬服する。子役たちが成長していく姿をスクリーン越しに見守るような、とても面白い映画体験をさせてもらった。

シリーズ総括はさておき、本作である。いやはや、「不死鳥の騎士団」を見て、その出来の悪さを嘆いたとき、その同じ監督がシリーズを最後まで続投し、このレベルの作品を作り、シリーズの幕をきっちり閉じてくれるとは思いもよらなかった。堂々たるものである。

思うに、ピーター・イェーツは作品を重ねるごとに大型VFX映画の見せ方や演出の勘所をつかんでいったんではないか。そして作品の内容を完全にグリップし、映画としてのアレンジやメリハリの効かせ方も堂に入ってきた。シリーズ中「不死鳥の騎士団」だけ脚本家が異なっていたのだが、それ以降、本作にいたるまでスティーヴン・クローブが復帰し、一貫して脚色を手がけてきたこと大きかったかもしれない。

毎度のことながら、原作マニア的な見地からは本作についてもあーだこーだと細かい改変に一家言あろう。が、ドラマ的な盛り上がりにしろ、映像的な見せ場にしろ、ケレン味のある演出にしろ、原作のエッセンスは十分に咀嚼した上で、「映画版」としての落とし所をきちんと見出しているのが前作、そして本作の良いところである。そして、原作を読んでいても新鮮な気持ちで映画を楽しめる要因でもある。

ところで、Part 1 の146 分に比べても、シリーズのこれまでの作品と比べても、Part 2 の130分というのは短めの尺になっているのには驚いた。多少説明不足で窮屈なところもあって、もう少し尺を長くしても許されるんじゃないかと思わないでもないのだが、完結に向かう勢い、スピード感を損なわないためにはこれくらいが調度良いという判断なのだろう。説明不足と言ってもシリーズを完全に初見というわけでなければ、なんとなく了解できるわけだし、ことここにいたってチンタラ説明したり、原作にある内容を逐一映像化してみても野暮というものか。

Part-2 の映像的な見所は、魅惑的な魔法学校を舞台に、いよいよ勃発する全面的な大魔法戦争が描かれているところだ。これまでのような局地戦ではなく、双方の陣営が多くの仲間を結集しての一大クライマックスだ。VFXももここぞとばかりに気合が入っていて派手に楽しませてくれる。

それはそれとして、この闘いの最中に、最近の作品では出番の少なかったマギー・スミスの見せ場を作ってくれているのが嬉しいところである。登場人物が多いだけに、割を喰ってしまったキャラクターも少なくない。そんななか、シリーズ最初期から登場する彼女のキャラクターに活躍の場があったことで、完結編としての座りも良くなったように思う。

もちろん、今回一番の役得はアラン・リックマンである。『ダイ・ハード』の悪役で売れて以降、癖のある悪役といえばこの人、というようなキャスティングの延長線上でのスネイプ役であったように思う。本人も、はじめはこういう展開を見せるとは想像していなかったはずだ。このキャラクターの過去の記憶が明らかになるシークエンスは、原作と比べると比較的サラっと見せているように感じられたが、その作りは良く出来ていた。原作を読んでいない観客に対しても、これまで7本で嫌われ役であったキャラクターの印象を一変させるだけのインパクトはあるだろう。登場時間が長くなくとも、作り手がこのキャラクターを丁寧に、大切に描いていることが感じられるのが嬉しい。

今回、3D版で鑑賞した。前作のときには直前になって公開を断念した3D版。どの程度の出来かと興味をもっていたが、変換3Dの技術もそれなりに進化を続けているのだなぁ、との感慨は覚えた。従来の、変換3D ものでは、どうしても書き割りの舞台セットのような不自然さが目についたが、それなりの時間と金をかけて丁寧に作業をすれば、そこそこの品質でコンバートできるということのだろう。

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