6/06/1998

Doctor Dolittle

ドクター・ドリトル(☆☆)

ある日突然、周りの動物たちの会話が理解できるようになってしまった主人公のドタバタ劇。エディ・マーフィの新作コメディは有名な原作から「動物としゃべることができる」という意匠と主人公の名前を借りて自由に脚色。監督はベティ・トーマス。このひとは、『プライベート・パーツ』でラジオ界の問題児ハワード・スターンの自伝を本人主演で爆笑コメディに仕立て上げたことで知られている。

あの「ドリトル先生」、という先入観がないほうがよいだろう。一応、ストーリーはある。核になるエピソードは、自殺願望のサーカスのトラを手術で救う話。だが、それはまあ、一応作りました、といった感じでしかない。

それよりなにより、あの「エディ・マーフィ」の映画、と思うと違和感があるはずだ。なにせ、Do - Little (=何もしない)の名のごとく、極端にいえば、主人公を演ずるエディがなんにもしない映画なのだから!

これまでのことを思えば、本作でエディ・マーフィが演ずる役柄の変化は驚きである。何しろ、妻がいて、子供がいるのだから。こういうのは、初めてではなかろうか。年を重ね、良き父親を演じ、子供が喜ぶような映画を作ることに興味を見出したといったことなのだろうけどね。

もうひとつ、エディがアグレッシブに主導権を握らず、受けとリアクションに徹するのである。これもまた極めて珍しい。ボケるのも、突っ込むのも、ひとりでこなし、映画全体をかっさらっていくのがかつてのエディ・マーフィというものではなかったのか。しかし、今回、その役回りを担うのは、「しゃべる動物達」である。エディは単なる傍観者だ。

だから、映画の見所は何よりもまず、ジム・ヘンソンのスタジオが手がけた動物たち、ということになる。モルモットからトラに至るまで、とにかくしゃべり、演技をする。アニマトロニクスとCGを駆使した動き、芸。これまでに行われてきた同種の試み、例えば『ベイブ』等と比べても、一段と技術が進歩していることが見て取れる。

もちろん、こういう実際に喋っているわけでない動物たちと共演するリアクション芝居は難しかろう。それを、このテンションでこなすことができるエディは大したものだが、じゃあ、それが楽しいのかと言われると、やはりちょっと物足りない。エディ自身、本作のヒットで「復活」扱いされていることに、困惑したりしないのだろうか。このまま毒のない家族向け映画の顔に収まられてもなぁ、と思ったりもする。

映画としては家族向けを想定しているようだが、子供向けかと思えば下品な会話やネタが多いので注意が必要。まあ、子供ってのはそういうのが楽しいのかもしれないけどね。

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