9/24/1999

Jakob the Liar

聖なる嘘つき、その名はジェイコブ(☆☆★)

ナチスによるユダヤ人強制収容所で暮らす主人公ジェイコブは、友軍であるソ連邦軍の情報を仕入れてくるが、仲間は彼が内緒でラジオを所有していると信じてしまう。持ってもいないラジオを毎夜聞いていると嘘をつきつづける羽目になったジェイコブは口八丁、手八丁で作り話で周囲に希望を与えていく。

ジュレック・ベッカー原作、ロビン・ウィリアムズが自身の会社で映画化、主演した悲喜劇である。プロデューサーは彼の妻。脚色と監督は、フランスのTVなどで監督を務めてきたハンガリー出身のピーター・カサヴィッツに委ねられた。

しかし、間が悪いとはこういうことだと思うのである。97年に製作されながら、2年もお蔵入りしていたおかげで、ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』が世界を席巻し、強制収容所の嘘つき男が希望を運ぶ話には新鮮味が感じられなくなってしまった。しかも、ロビン・ウィリアムズが「おなじみ」の熱演を披露する映画だ。もういいよ、そんな声があちこちから聞こえてきそうになる。

しかしこの作品、話そのものはなかなか面白い。ゲットーを再現した美術も、撮影も素晴らしい。

ただ、脚色次第では、もっと面白い映画になったんじゃないか、とは思う。

この映画はコメディである。喜劇として機能しているのは、ジェイコブがラジオなんか持ってはいないことを観客が知っているからである。周囲の状況によって嘘をつきつづけることを余儀なくされ、いろんな話をでっち上げる羽目になる主人公の滑稽さ。

しかし、「ジェイコブの嘘」を観客が知っている、このことが、映画をつまらなくしているといえないだろうか。

主人公の、ときに滑稽だが確実に希望をもたらす話。それは口から出任せなのか、それとも真実なのか。彼はラジオを持っているのか、いないのか。そこを映画の登場人物たちにも、観客にも説明しないまま「ミステリー」として最後まで引っ張ったら、映画にサスペンスが生まれたに違いない。ファンタジックな味わいもでただろう。そして、ロビンが底力を見せる最後の15分間、ナチスの拷問を受け、真実を明かし、人々の前でラジオなんかないのだと証言することを迫られるところは、まさに決定的な名シーンになったんじゃないか。

映画には主人公が出会い、一緒に暮らす少女が登場する。単純でありきたりかもしれないが、この少女を主人公にして、彼女の視点で物語を再構成してみたらどうだろうか。少女の視点で、ラジオで聞いたニュースの話をする男を描く。本当だと信じたいが、嘘かもしれない・・。どんなものだろう?

いずれにせよ、例えいい話であっても、それを面白い映画にするには様々な工夫が必要なのだと思い知らされる、また、違った意味で、出来上がった映画は寝かさずにさっさと公開すべきだと思い知らされる、そんな作品である。

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