8/03/2008

The Dark Knight

ダークナイト(☆☆☆☆★)

ティム・バートンはかつて、闇の仕置き人バットマンが存在してもおかしくのない世界、闇の怪人たちが跋扈してもおかしくのない街を作り上げ、どこかに似ているけれどもどこにも存在しない箱庭都市「ゴッサムシティ」を舞台としたファンタジーとして『バットマン』、『バットマン・リターンズ』を作った。それは、かつて人気のあった荒唐無稽なTVシリーズとは違ったが、かといって、現実の地続きにある世界とも違った。

ジョエル・シュマッカーがメガホンを引き継いだ続く2本では、おそらくそこらへんには職人監督的な無自覚のまま、箱庭世界観の延長線上でカラーでポップでゲイ・テイスト満載なマンガを展開した挙句、シリーズの興行的命脈を使い果たした。

クリストファー・ノーランが『バットマン・ビギンズ』でシリーズのリニューアルを手掛けたとき、我々は、彼がかつてのバットマン映画のような「箱庭」に更なるリアリティを与えようと演出のテイストを変えてきたのだと思った。

映画の舞台がゴッサムシティに留まらない点で、ある種の不整合感を感じないわけではなかった。しかし、演出のタッチがリアリティ重視であっても、デザインや設定がハードな方面に寄っていても、ブルース・ウェインがいかにしてバットマンになったのかが詳細に語られても、「これは架空の世界を舞台にした物語である」と、信じて疑うことはなかった。だって、ゴッサムシティを縦横に走るあのモノレールや、敵となる犯罪集団の存在や計画の荒唐無稽さ。他にどのような解釈があるというのだ?

演出のタッチが変わっても、本質的な意味で映画の立ち位置がバートン版と変わらないのであれば、ノーラン版は面白くない作品だと感じられた。ノーラン版のゴッサムシティはバートンの美意識を反映したかつてのセットに比べると独創的でもなければ芸術的でもなく平凡だなぁ、と思ったし、ゴツゴツしたバット・モービルを見て、昔のやつの方が優美だったなぁ、と思った。粋じゃないし、狂ってもいない。

そして、この夏登場した『ダークナイト』を見た。これはもちろん『バットマン・ビギンズ』の続編であり、新シリーズの2本目ということになるが、前作ともあいだですらテイストが異なっているのである。そして、ここにきて初めてノーラン版バットマンがこれまでのそれと何が違うのかということが理解できた。

つまり、これは、ゴッサムシティとバットマンを現実の世界に連れ出す思考実験なのだ。

その意味で、まずスーパーヒーローやスーパー・ヴィランンが活躍する箱庭を構築しようとするアプローチとは対極にあるといってよい。前作でも狙ったベクトル自体は同じだったのかもしれないが、結果として不徹底、中途半端だったのではないか。本作は、その反省に基づいてあらゆる意味で徹底的にノーランの意図する「バットマン」が描かれている。

本作において、ゴッサムシティは現実に(北米のどこかにNYなどと並んで)存在する都市として明確に位置づけられた。そして、現代社会においてヒト・モノ・カネがひとつの都市を越えて移動するように、ゴッサムもまた、現実の世界とつながっている。これは、言葉で説明される設定ではない。これは説得力のあるビジュアルと、物語の展開の中で語られていることだ。

街のセットを組むかわりに、現実に存在する都市(主としてシカゴ、部分的にNY)でのロケーション撮影を徹底したことがそう。ストーリーも(前作に続いて)ゴッサムを飛び出し、ブルース・ウェインは街を出た悪党を「捕獲」するため香港にまで足を伸ばす。それは、我々の知る現実と地続きの世界だ。部分的に用いられたIMAXのカメラと大型フィルムが実現した圧倒的な密度の情報量と息を呑む臨場感が、そのコンセプトを強固に補強してみせる。

そんな世界でブルース・ウェインことバットマンが激突するのは、前作のラストで「予告」がなされていたとおり、最大の宿敵、ジョーカーである。覚えているだろうか、ティム・バートン版では、ジョーカーがブルース・ウェインの両親を殺した犯人であるという(原作とは異なる)設定を作り上た。そして、バットマンによって工場廃液に突き落とされて異様な姿に変貌したジョーカーとの因縁において "You made me!" - "I made you, you made me first." というやりとりがあったこと。アプローチを異にする本作だが、ここでも同じテーマが繰り返される。

闇の仕置き人・バットマンの存在が狂気の愉快犯・ジョーカーを呼ぶのか?卵が先か、鶏が先か、突き詰めて、バットマンとは何か。そして、正義とは何か。ジョーカーを演じるヒース・レジャーが、脚本が巧みに描き出した狂人像を、なんとも得体の知れない凄みで体現してみせて圧巻だ。史上最狂、最高の悪役の誕生をスクリーン上で目にする前に、この才能溢れる若き俳優の訃報を耳にしなくてはならなかった無念。

クリストファー・ノーランと6つ違いの弟であるジョナサン・ノーラン、それにブレイド・シリーズなどでアメコミ銘柄の注目株となったデイヴィッドS・ゴイヤーは、バットマンという素材を使い、ビッグバジェットの娯楽大作の皮をまとった神話的な犯罪ドラマを紡ぎあげた。ノーラン兄のアクション演出は前作より進歩した程度だが、CGIに頼らない迫力満点・度肝抜かれる大型アクション・シークエンスを連打して、文句を云う口を封じてみせる。無駄に豪華なキャストがそれぞれの持ち場をしっかりと演じて、ドラマの重さをしっかり支えている。

だいたい娯楽映画の長尺化は作り手が無能な証拠だと思っているが、この作品の 152分は別格。見終わって映画3本分の疲労感が残るが、これ以上望みようのない幕切れがもたらす余韻と共に一分一秒ももらさず味わいつくしたい大傑作である。この夏、これを見ないで何を見るというのか?つべこべ言わずに劇場に走るべし。

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