8/03/2008

Ponyo on a Cliff by the Sea

崖の上のポニョ(☆☆☆☆)

たまたまなのかもしれない。が、この日、私が見た回では、映画が始まる前はものすごい熱気に満ちていた満場の観客が、映画の終了と同時に、どのように反応してよいものか戸惑っているかのように静まり返ってしまった。なんとなく気持ちは分からないでもないが、しかし、みんな、何を期待して劇場に足を運んだというのだろうか。大方、「トトロ」のように明快なストーリーラインとまとまりをもった作品を期待していたのだろう。(もっとも、そういう観客のほとんどが、「トトロ」のときには劇場に足を運びすらしなかったことは、皮肉であるが悲しい現実である。)

いわゆる起承転結というか、物語がきっちりと構成された普通の作品を、よもや宮崎駿に求めようとはさらさら思っていない。リアルタイムで見てきた観客として、彼がそういう作品をやりつくしてしまい、「いまさらそんなんじゃないだろ」と思っている感覚も、今回出された各種のインタビューを精読するまでもなく、良くわかっているつもりである。だから、本作の壊れ方が並大抵でないのも想定の範囲内であると同時に、むしろ、そんな作品を作る自由を得た天才が、なにを見せようとしているのか、何を作りたいのかに興味を持っている。

本作はかなり明確に子供に見て欲しいと思って作っただけのことはあって、表面上は少年と異形の少女の出会いと約束を主題としたハッピーエンドのようなストーリーラインを持っている。が、その背景で町は沈み、船は座礁し、魔力は解き放たれ、古代魚が溢れ出し、気がついたらあの世とこの世がつながって溶け合い、まるで世界の終焉とでもいうべき事態が進行していく。理由も語られなければ説明もない。主人公は幼い男の子であり、彼は自分の興味の範囲外のことを詮索しようとしないからだ。

とはいえ、この映画をみる「大人」の観客としては、この、決して長くはないフィルムに描きつくされたものを目にして驚愕せざるをえまい。もう、ストーリーがどうとか、金魚(人面魚?)が海にいるかどうかとか、そんな生き物をいきなり水道水に放りこんでよいものかどうかとか、そんな瑣末なことを問題にしている場合ではないのである。

これは、子供が親を呼び捨てにし、親は嵐の中子供を家に一人残して出かけてしまい、老人が蔑ろにされて老人ホームのような場所に閉じ込められているような世の中は一度滅びた方がいい、と云っている、そういう作品なのであろうか。

それにしても、子供に自分の名前を呼び捨てにさせる「親」が、いきいきとしていて魅力的に過ぎないだろうか。「千と千尋」のときのように、あからさまな「豚」としては描かれていない。この「親」は自らが置かれた立場で精一杯頑張っている人間だ。老人たちとて、多くは自分の置かれた環境に満足しているように見えるし、そんなに悪い待遇を受けているようには描かれていない。

ただ、そうした常識的なお仕着せを嫌うある一人の老婆が、物語の中で最も重要な役割を果たすことになるのは偶然ではないだろう。主人公たちが道中でくぐるトンネルは、やはり異界への扉と考えるのが適切だろうし、そう考えれば、あの町だけでなく、もしかしたら映画の画面では描かれていない外の世界、全ての世界が一度水没し、滅んでしまったという見方も成り立つ。

滅ぶ世界の中で、何を残すのか、何を残したいのか、これは、観客一人ひとりが、そんなことを自由に考えさせるだけの余白がたくさん残った作品である。

ただ、この作品の面白さを、そういう「理解」、違った言葉でいうなら「深読み」にのみ求めるのはやはり間違っている。もしかしたら、本作のアニメーションとしての面白さ、表現の豊穣さを楽しむ上ではそんなことは余計なことだ。

ますます「商品」として大量生産、大量消費される「アニメ」が望んでも得られないような体制で、予算と時間をたっぷりとかけ、動かない「絵」に生命を吹き込み(=アニメート、とはそういうこと)、そうして完成させられた躍動する動画の贅沢さ、それを映画館の大スクリーンで体験する至福は他の何にも代えがたいものである。

本作では「絵」の精緻さ、リアルさを追求する路線を放棄し、敢えてシンプルで柔らかい線、大胆なディフォルメで描かれた絵に無理やり原点回帰してみせたことが、アニメーションが本質的にもち得る力の凄さを改めて思い起こさせることにつながっている。これを見て、楽しめばいいのだと思う。それを楽しめないというのは、やはり、何か先入観や思い込みにとらわれていて、目の前で展開する尋常ならざる仕事の成果を感じ取る力が脆弱になっているということではないか、とも思う。

しかし、いくら子供向けに作っていると作り手が主張し、もちろん、表面上は子供たちが単純に楽しめるマンガ映画になっているとはいっても、これほどまでに大胆で狂った作品が、商業作品として全国のスクリーンを席巻し、多くの観客が詰め掛けていることそのものが摩訶不思議な事態であり、もしかしたら、奇跡的とでもいいたいくらいに、ものすごく幸せなことなのだと思う。ビジネスとして成立している限りにおいて、芸術家は創造の自由を得られる、そんなことを、これほどまでに雄弁に物語る映画を他に知らない。

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