3/25/2009

Bedtime Stories

ベッドタイム・ストーリー(☆☆☆)


「さあ、アダム・サンドラーの新作を見に行くぞ」と調べてみれば、表向き、ディズニー印のファミリー映画の体裁をとっているために、やたら「吹替版」ばかりが幅を利かせ、都合の良い場所で、都合のよい時間からの「字幕版」上映を探すのに苦労させられた。郊外のシネコンではもう、吹替版一色の様相を呈している。理屈はわからないでもないが、ここまで極端である必要があるものかどうか。選択の余地がないというのは困った事態だと思う。

さて、昨年はシリアスなドラマに挑戦した秀作『Reign Over Me (再会の街で)』があったものの、コメディ作品としては『Click(もしも昨日が選べたら)』以来、久方ぶりの公開となるアダム・サンドラー作品である。別にサンドラーがこの間、ずっとコメディから離れていたというわけではない。『I Now Pronouce You Chuck & Larry(チャックとラリー おかしな偽装結婚!?)』、『You Don't Mess with the Zohan(エージェント・ゾーハン)』と、ヒット作が2本連続で劇場未公開作となってしまっただけのことである。そういう意味では、ディズニー印だろうが吹替版だろうが、ともかく全国規模で公開されるだけでもありがたいと云わざるを得ない。なにしろ、アメリカ製のコメディ映画に冷たい国だからね。

さて、「ディズニー印」に初顔合わせとなるアダム・シャンクマン監督作、とはいえ、サンドラーにとって必ずしも他流試合というわけではない。脚本にいつものティム・ハーリヒーが参画しているし、製作プロダクションはサンドラー自身の「ハッピー・マディソン」である。接点を探してアダム・シャンクマンのフィルモグラフィを見ていると、アダム・サンドラーと仲の良いロブ・シュナイダー主演の『Deuce Bigalow: Male Gigolo(デュース・ビガロウ激安ジゴロ!?)』があった。もちろん、ハッピーマディソンの製作である。アダム・シャンクマンはここで振り付け(コレオグラフィ)を担当しているから、案外、それ以来のお付き合いなのだろう。ともかく、この映画でもアダム・サンドラーが、いつもの「大人になりきれない幼児性たっぷりの男」をフツーに演じ、どことなく脱力感漂うキャラクターたちが、ゆるっとしたテンポでギャグをかましていく。ね、いつものアダム・サンドラー映画、でしょ。盟友ロブ・シュナイダーがカメオ出演で笑いをとるところまで同じである。

不本意ながら姉の子供二人の世話を頼まれた男が子供を寝付かせるためにいい加減なお話を語って聞かせるのが話の発端である。そのお話しをイマジネーション豊かな子供たちが勝手に展開させていくと、翌日、それが(妙な形で)現実になる。そのことに気がついた男は、これ幸い、といい思いをするべく画策するのだが、、という筋立てで、敬愛していた祖父が譲り渡したホテルの経営権を巡るドタバタへとつながっていく。不思議な出来事を疑ったり、理由を探ったりする前に、うまい汁を吸おうと悪知恵を働かせるあたりの能天気さがアダム・サンドラーの演ずるキャラクターの典型で、笑ってしまうところ。子供向けだと割り切った本作では、驚くべきことに不思議な現象の種明かしもないというゆるさである。それでいいのか?といえば、問題のような気もするが、そういうノリが作品の基調であるがゆえに、笑って楽しむのが正解、だと思う。

アダム・シャンクマンはスティーヴ・マーティン主演のコメディなどで監督を手掛けるようになり、劇場版の『ヘアスプレー』で名を上げた。数多くの作品で振り付けを担当していたことでも分かるように、ミュージカル畑は得意とするところなのだろう。本作でもクライマックス、主人公とガイ・ピアース扮するライバルが新しいホテルのアイディアを競う場で「ミュージカル」が炸裂、あのガイ・ピアースに歌わせ、躍らせるという楽しいシークエンスが待っている。大小いろんな笑いが詰め込まれた映画だが、個人的なお気に入りはこの「ミュージカル」で決まり。

予告編などで流れる史劇調、西部劇調、SF調のシーンは、すべて「お話し」の世界を視覚的に見せるためのもので、あれが現実にあふれ出してくるわけではないのだが、主要な登場人物出演の上で、いちいち丁寧に映像化しているあたりに、ヒットを約束された大作ゆえの予算的なゆとりを感じさせられる。コートニー・コックスとケリ・ラッセルが出演しているが、ヒロインはケリ・ラッセルの方で、コートニーは主人公に子供を押し付ける姉役で出番は少ない。最近売り出し中(?)のラッセル・ブランドが主人公の(ちょっとネジの緩んだ)友人役として笑いをとる。このひと、要注目かもしれない。

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