3/24/2009

Valkyrie

ワルキューレ(☆☆☆★)


ブライアン・シンガーにとっては『ゴールデン・ボーイ』、『X- MEN』、に続く3本目の「ナチ」ものであり、トム・クルーズにとっては『ラスト・サムライ』に続く、「外国で反乱軍として負け戦を闘うシリーズ」の第2弾となるのが本作である。ドイツを舞台にした史実に基づく作品であるが、冒頭、トム・クルーズによるドイツ語のモノローグに英語のモノローグが重なってクロスフェードで音声が切り替わり気がつくと全員が英語をしゃべっているという、まあ、いわゆるいつものハリウッド仕様である。(本当はドイツ語をしゃべっているのだけれど、みんなの耳には便宜上英語で聞こえています、ということね。)

それよりも何よりも、日本公開版の「仕様」には驚かされた。『レッド・クリフ Part-I』の上映に当たって、冒頭、日本で勝手に追加作成した時代背景や状況の簡潔な説明を流したり、本編中でしょっちゅう登場人物の名前を字幕挿入したりした「小さな親切」が好評を博したと判断されたようで、本作も冒頭で「ドイツという国でアドルフ・ヒトラーという男が総統になってね、欧州で戦線を拡大すると共に、無実の人々の大量虐殺を続けていたんですよ!」という説明が入り、本編中も、主要な登場人物には人物名の字幕が入る「ゆとり」仕様になっている。親切なのかもしれないが、同時に失われた趣もある。主人公がヒトラーと初めて対面するシーンなどが典型で、たくさんの人の中からあの姿、振り返ったあの顔をスクリーンで認識して、ああ、ヒトラーだよ!となるところ。演出も、カット割りも、照明も、その瞬間を大事にして組み立てられているというのに、早々、無粋にも「ヒトラー」と字幕を出されたんじゃ演出意図も台無しというものだ。全く嫌な世の中になった。この流れはどこかで止めなくてはならない。

さて、映画本編に話を戻そう。製作過程で公開予定日が何度も変更されるなど、仕上がりに不安を覚えさせる出来事にことかかなかった作品であり、賞レースでのリアクションなどからみてもあまり多くは期待できないのだろうと思っていたのだが、そんなことはない、実に面白い出来栄えなのだ。そう、いってみれば、この作品の問題点は、多分、面白過ぎることにあるのだろう。

もちろん、凝り性で拘りの強い監督と主演者がタッグを組んでいるのだから、そこは、できるだけ史実を忠実になぞっていこうという強い意志のようなものは感じさせるのだが、元来、エンターテインメント魂の濃厚な彼らの手にかかると、歴史的悲劇を描く重厚なドラマになりえた題材も、第一級の娯楽大作に昇華されるのである。だいたい、「失敗」するという結果を誰もが知っているとき、そこにはサスペンスは成立しないというのが常識であろう。それなのに、この映画は作戦の計画と遂行プロセスをやたらサスペンスフルに、それこそリアル「ミッション・インポッシブル」として描いてみせ、しかも、それがやたらと面白いのである。この題材をサスペンスに振るのは、本来であれば致命的な采配ミスであろう。しかし、結果の如何ではなく、プロセスとディテイルに重点を置いた本作では、結局のところ、観客が主人公を初めとする登場人物に感情移入する余地が残っていたということだ。登場人物の緊張感や焦燥感を共有させる演出テクニックは一級品である。それと同時に、何故この作戦が失敗したのか、どこで計算が狂ったのか、といった事実を丹念に積み上げながら、「後戻りできない作戦」が「悲劇」へと転調するポイントがきっちり描かれている。こういうメリハリの効いた作劇術に、ブライアン・シンガーの、大衆娯楽映画の担い手としての確かな技術と感覚の冴えを感じさせられる。

娯楽映画としての面白さが際立っているからか、主演のトム・クルーズばかりが目立っているというネガティブな意見も出ているが、それは日本における宣伝やポスターの印象操作によるものが大きいのであろう。実際のところ、彼の演技はいつになく控えめなくらいである。キャスティングについてはさすが、ブライアン・シンガーというべきだ。何しろ、(ゲイであることを公言する)彼が「男」を選ぶ目に狂いあろうはずもなく、かなり力のあるアンサンブル・キャストになっているのが見所のひとつである。何しろ、要所要所にケネス・ブラナーにビル・ナイ、トム・ウィルキンソンにテレンス・スタンプという大物、大ベテランをずらりと揃えたあたりの重厚感は抜群で、まずなんといっても「画」になっているし、群像劇としても見応えがある。こうしたキャスティングが可能なのも、本作が英語で撮られているからこそだと思うと、米国流の「世界中なんでも英語」な作品作りも一概に否定できまい。

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